第104話 サラとマリーが変わった訳
特に急ぐことなく旅をして、無事ジクスへとたどり着く。もう晩秋というより、初冬という感じだ。特に南から上がって来たのでそう思うのかもしれない。
入門して真っすぐに“夜空の月亭”へと向かう。冒険者ギルドに行くのは明日でも良いだろう。
「お帰りなさいませ。お久し振りですね。今回も遠くに行かれていたんですか?」
セラスがいつものように明るく挨拶をしてくる。帰ってくると、お帰りと言われるのはなんとなく気分が良いいものだ。
「そうだね。南の方に行ってきたよ。ゼノシアって所だね」
「それは随分と遠くに行かれましたね。美味しいものはたくさん食べられましたか」
「まあ、結構食べたと言えば食べたけど……。依頼もあったし、思ったほど食べられなかったかな。機会があったら、また行ってみたい街だね」
何気ない会話をしながら、今回は半年分の金額を先払いする。
「あのう、私が言うのもなんですが、本当に借りたままでよろしいんでしょうか。最上階の部屋は満室になることは滅多にありませんし、コウさん達はこの半年で数泊しか泊まられてませんよね。このお金があれば、正直家を借りるどころか、ちょっとした家なら買うこともできるんですけど……」
セラスが心配げにそう言ってくる。最初に泊まった時も思ったが、なかなか良心的な宿だ。それともセラスが良心的なんだろうか。どちらにしてもそう言う従業員がいる宿、というのは好感が持てる。
「まあ、いつでもここに来れば部屋の心配がいらない、というのは結構重要だからね。値段分のサービスは受けてると思ってるから心配しないでもいいよ」
「そうですか。ありがとうございます。私としても精一杯歓迎させていただきます」
そう言ってセラスは頭を下げる。実に気持ちの良い従業員だ。電子空間上で部屋の予約、決済が全て済ませられ、玄関に入ったら自動的に部屋番号が端末におくられてくるのも便利だが、こういうアナログの方がコウの好みだった。
もっとも元の世界で人間が受付をやっているような高級なホテルなど、数えるほどしか泊まった事は無い。後はそこを利用した式典に参加した事があるぐらいか。その時はこんな事に金をかけるぐらいだったら、自分の給料を1クレジットでも上げろ、と思っていたが。
部屋に入ると、きちんと掃除をしているのだろう。長い間留守にしていても、埃などはない。これが、家を借りていたらまず掃除から始めなくてはならないだろう。その意味でもここを借りておく意味があると思う。正直、旅から帰った後、真っ先にやる事が掃除なんて面倒くさい。
「セラスが言ってたけど、本当にいいのかなぁ。正直掃除が嫌なんだったら、あたい達がちゃんとやるよ。まあ、ナノマシンに毎日やらせるのが楽でいいけど。それだと、なんかあった時流石に怪しまれそうだしな。ユキもマリーもそれぐらい楽なもんだろう?」
リングを操作し一瞬で部屋着に着替えたサラが、部屋の中央のソファーに腰掛けながら言う。
「いえ、マリーは知りませんが、私は嫌ですよ。正確に言うと掃除自体が嫌なわけではありませんが、コウが居る所を掃除するのが嫌なのです。コウは趣味で集めたコレクションを、他人が触るのを酷く嫌がりますから。
そして、個人のスペースができると、どんどんとコレクションが溜まっていくのです。例えば家を買ったとして、珍しいモンスターの剥製や、彫刻、陶磁器なんかが、どんどん部屋どころか家を占領していったらどう思いますか?しかも掃除をしようとしても、本人が触るのを嫌がるんですよ」
ユキが紅茶を入れながらサラに反対意見を言っている。まあ、そんな事もあったかもね。でも、艦内の個室は身動きが取れないほど集めてたわけじゃないし、ある程度は持ち家に送っていたはずだ。まあちょっとは、応接室とか、休憩室とか、艦橋にも置いてた気もしなくはない。
「へえ、ユキの行動が駄目だしされるんだ。相当嫌なことなんだな。それじゃあ無理か」
サラがユキの言葉に納得する。変なところで素直に納得しないでくれ、とコウは思う。
「確かに、そういう事もあったかも知れないが、何でサラが直ぐに諦めるんだ?」
サラは自分の考えを押し通そうとするところがある。モンスターを倒すのを面倒くさがったり、変な必殺技を考えたり。それがあっさりと諦めたのが不思議だった。
「あれ?コウは知らなかったのか。艦の人格AIって基本的に、艦長を気持ちよく仕事させるためのもんだろう。だから艦長のストレスになる事はしないよう、リミッターが掛けられてるんだ。勿論人によってその度合いが違うから、リミッターの値も違うんだけどさ。
そのリミッターは基本的に大型艦になればなるほど厳しくなるんだ、それだけ艦長のストレスが大きいからなんだけど。
あたいやマリーは大型艦の人格AIにしては、緩い方だったんだけど、ユキは元々駆逐艦だったろう。それの下限一杯だったんで、あたいやマリーじゃ、設定外だったんだ。まあユキの権限で、今はユキと同じに設定してるけど……。
そのユキがやらせてもらえないんじゃ、無理だと諦めるしか無いんじゃないかな」
そう言えば、昔そんな説明を聞いた気がする。ユキが気に入って使い続けていたんですっかり忘れてた。ユキとの言い合いもストレスに感じなかったし……。思い起こせばいくら艦長が気に入るだろうと予測しても、勝手にアバターの仕様を決めるなど聞いたことはない。ましてやそれをしれっと艦長のせいにするAIなど居なかったように思える。
「だから、先日言ったではないですか。サラとマリーの性格の変わりようはコウの影響だと」
紅茶をカップに注ぎ、テーブルに並べながらユキが言う。まあ、言われてみればそうかも知れない。サラとマリーのはしゃぎぶりを楽しんでいた感もあるし。
「それに、宿を取っているのは、理由が無いわけじゃないのでしょう?」
「まあね。半年分先払いしたって事は、あと半年はここにいるんだろう、と他人に思わせる事が出来る」
ユキの問いかけにそうコウは答える。そう大きな理由ではないが、ちょっとした事でも人の判断が変わることは良くある事だ。
「それだったら、いっそうの事、家を買った方が良かったんじゃないかな」
それに対してサラが聞いてくる。
「買った家は売る事が出来るからな。それに、期限が決まっているから人はそれを当てにするのであって、期限が無かったら考慮しないよ。永久的な和平条約が守られたためしがないのと同じだな」
もし無期限というものを人間がもっと考慮するのだったら、元の世界はもっと平和だっただろう。この世界の人間は知らないが、たとえ物理法則が違っても、これは変わらないようにコウは思えた。
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