第29話 ネリーシャと、牢獄の青年
警備兵詰め所。
そこは、捕縛した犯罪者を一時的に拘束、あるいは取調べをする施設でもある。ご厄介になるのは遠慮したい、常に空き部屋であることが望ましいお部屋である。
本日は、宗教屋さんの青年が、お世話になっていた。
「ボクは………最初はまじめな農民だったんです。贅沢に興味はあっても、想像することも出来ないって………」
涙ながらに、身の上を語っていた。
小さな不満を抱いていたある日、演説をぶる人々と出会ってしまったらしい。自分達は、貧しい境遇に押し込められている。真の神の下で、平等な暮らしを送るべきなのだと。
「まぁ、はっきりと言うが………おまえさんは、操られたんだ」
ウサギさんが、渋い声で言い放つ。
室内であれば外せばいいものを、隊長さんは、なぜかウサギさんの着ぐるみのままだった。可愛らしいウサギさんお顔なのに、渋い声だった。
それが妙に威圧感があり、説得力があった。
「信仰心が厚いってほめられて、のぼせ上がって………ボク、ボクっ………」
机に突っ伏した宗教屋さんの青年に、ウサギさんは静かなまなざしを送っていた。
もしも、この光景を別の日に見ていれば、冗談としか思えない。だが、今この時、この場にいる全員は、大真面目であった。
我らが悪ガキ大臣ネリーシャもまた、その一人だった。
「仕方ないさ、人間、誘惑に強くないんだから」
ネリーシャはそっと、青年の肩に手を置いた。
捕縛に協力したとはいえ、なぜ、雑貨屋の息子がここにいるのか。そんな突っ込みもまた、誰もするわけがない、悪ガキ大臣殿なのだ。
そして、誰が教えたのだろう、理解者の笑みを浮かべていた。
「そうさ、君は悪くない。操られていたんだ。可愛そうに、実行犯にさせられて………」
ネリーシャの言葉を受け、青年は、大声で泣き出した。
一方、理解者を装い、宗教屋の青年を慰めていたネリーシャは、悪魔の笑みを浮かべていた。
悪魔の笑みが、そう語っていた。
すぐさま、理解者の顔が覆い隠す。
「そう、悪いのは、君のように優しい人を操るやつらなんだ」
優しく、ネリーシャは語り掛ける。
ウサギさんの警備隊長さんは、窓から、そっと空を見つめている。
少年ネリーシャも、窓を見つめる。
時間がないが、今は焦ってはならない。貴重な数秒、この室内は、ただ青年のむせび泣く声だけが響いていた。
ネリーシャは、静かに言葉をかける。
「そう、悪いのは、君じゃない」
同じ台詞だった。
慰める相手には、何度でも同じ言葉を投げかけるべきなのだ。投げかけられた言葉を、強く、強く胸に抱けるように、これを説得と言う。
あるいは、誘惑。
「そう、悪いのは君じゃない。悪いのは、神の名前を語ったやつらさ。君は、操られただけなんだから」
同じ台詞を、ネリーシャはゆっくりと繰り返した。
青年は、ようやく顔を上げた。涙で視界がゆがんでいるだろうが、はっきりと見えるのだ。とってもやさしい笑みを浮かべた、ネリーシャが。
「そうなんだ、君は悪くない。君にこんなことをさせたヤツが、悪いんだ。今、どこにいるか、何をしようとしているか、知りたいんだ」
ゆっくりと、本題に入った。
ネリーシャは青年より、やや目線が下になるようにしゃがみこむ。上からの目線ではない、ひざをついて、青年を見上げる姿勢だ。
理解者の姿勢だ。
そして、顔を真顔にしながら、訊ねる。
「悔しくはないのか、君にこんな事をさせたやつらは、おいしい結果だけを掠め取ろうとしているんだ」
実際にどうなのか、ネリーシャには分からない。
だが、青年が知る情報を全て得るためには、ウソ、偽り、大げさもまた、よしである。
ネリーシャは、静かに、それでも少しだけ声を強めて、続けた。
「オレなら悔しい。犯罪者にされたんだ。ただ、いい暮らしをしたいって思うことが、罪なのか………オレは、そう思わない」
理解者ネリーシャは、青年を見事に誘導していた。
宗教屋の青年は、最初こそ、信仰に厚い青年を演じていた。神の名の下に正義を行うのだと、教えられた教義を、つたない言葉で伝えようとしていた。しかしながら、ただの受け売りの言葉に過ぎず、すぐに底をつく。
捕らえられた恐怖と、今後訪れるだろう犯罪者としての人生に、押しつぶされる。
そして、うなだれたところに、理解者が現れたのだ。
ネリーシャだ。
この状況で操られない人物は、そもそも勧誘されないのだろう。ネリーシャの勝利は、必然であった。
それでも油断なく、ネリーシャは、優しく笑みを浮かべた。
「さぁ、教えてくれ。君達は、このタルで何をしようとしたんだ………」
そのタイミングで、回収されたタルが運ばれてきた。ふわふわと空中に浮かんでいるのは、共に室内に入ったラマーナの魔法だ。
中身がたっぷり詰まっているため、ゴロゴロと転がすしかなかったのだが、共にいたラマーナに運ばせたのだ。
中身を、一緒に確認する。
それをエサにラマーナに協力させたのだが、花火の紙包みでなく、お酒と言う好奇心を刺激するものでもなく、退屈そうだ。従っているあたりは、えらいとほめるべきだろう。
なお、ヤギの仮装をしたルプタたちは、新たな獲物を求めて暗躍中だ。
「悪ガキ大臣殿、そこの青年の自白の通り、中身は爆薬でした」
タルの中身を鑑定した警備兵に、ネリーシャはうなずくことで労をねぎらう。十歳以上も年上の兵士相手に、えらそうな態度だ。
いや、国王陛下も認めた、悪ガキ大臣と言う地位である。この場の誰もが、ネリーシャの態度に、疑問など抱くものか。
ネリーシャは、タルに片手を置いた。
「聞いたろ、爆弾だってさ………死じまったら、何にもならないのに………なぁ、教えてくれ。君をこんな危険な目に合わせたやつらの居場所を、目的を」
ゆっくりと、ネリーシャは訊ねる。
焦ってはならない。
末端の情報とはいえ、爆弾の配置、その後の計画を、青年の知る限りの全てを聞きださねばならないのだ。命を引き換えにしてまで、信仰を貫く狂信者もいると聞くが、そのように見えないための、ネリーシャの尋問だった。
答えは、危機感を新たにさせるものだった。
「いえ、混乱させるのが目的です。空き家の陰に隠れて、導火線に火をつけて――」
爆薬の詰まったタルを前に、さほど危険ではないという態度だった。
単純に、花火が詰まったタルであっても、大人の胴体ほどのサイズの火薬に火がつけば、家が吹き飛ぶ危険物である。だが、青年には、その認識すら、ないらしい。
「それで、爆発に驚いた人たちに、神罰が下ったって言って、自分達を信じれば救われるって、勧誘するつもりでしたから………」
回収したタルには、たっぷりと爆薬が詰まっていた。金属の粉などを混ぜ、派手な色や音を楽しませる花火ですら、この分量は危険な爆弾だ。
なのに、爆発して物を壊すことを目的とした爆薬が詰まっていれば、威力はさらに上回る。
無知とは、恐ろしいものだと、ウサギ隊長の部下達は、優しく真実をつげた。
「だがな、タルの中身………頑丈な石組みの塀を崩せるくらいの威力はありそうだぜ」
「だな。あんたも、間違いなく
ぬいぐるみと言う洗礼を回避した警備兵が、腕を組んで、青年を見下ろしていた。バカにしているわけではないだろうが、その態度に、一切の遠慮はなかった。人々を混乱に陥れようとしたことには、間違いがないのだから。
その点に関して、ネリーシャも擁護するつもりはない。そして、事実を突きつけられた青年もまた、気持ちは同じらしい。
机を、力いっぱいに殴った。
だまされた――と。
「司祭様は、ボク達を使い捨てにするつもりだったんだっ!」
そのこぶしは、さぞ痛いだろう。すりむいて、怪我をしたかもしれない。しかし、それほどの怒りを抱いたのだ。
だました相手を殴りたいのか、それとも、己自身か。
ネリーシャは、青年のこぶしを握り締めて、改めて訊ねた。
「そうさ、キミはだまされた。教えてくれ、タルの場所を、仲間の場所を、司祭様ってヤツの、居場所を」
やや声に感情がこもっていた。共に怒っているのだと、悔しいという気持ちを込めたのだ。演技だけではなく、本当に司祭様と言うやつを殴りたい気持ちもあった。
青年は、こぶしに置かれたネリーシャの手を見つめる。
そして、涙を拭くこともなく、改めてネリーシャの顔を見つめた。
共に怒っているのだ。そんな顔で、ネリーシャは強くうなずいた。後ろで、退屈そうにタルにしがみついている緑の大猫の姿など、見えてはいないだろう。
宗教屋の青年は、こうして仲間となった。
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