第19話 初めての戦場は、追いかけっこ
荒野。
雑草がまばらに生えるものの、耕作には適さない土地のこと。
踏み荒らしても、焼け野原にしても、周辺の影響が限定される場所のこと。
鉱物開発は、遠い昔のこの場所は、『炎が荒野』と呼ばれている。ダーカジラン王国と、カブール帝国の国境のど真ん中、徒歩一時間である。
そのため、ここ百年の花火大会の会場となっているのだ。
そこに、土煙が上がっていた。
「全体、止まれっ!」
指揮官が、命じた。
よく響く大声も、指揮官になるための条件のようだ。見渡す限りの軍勢が、次の二歩で、きれいに止まった。
はためく軍旗は、帝国軍を表していた。
その衣服は、少し分厚いロングの上下に、長距離行軍に最適の、足首まですっぽりと守るブーツ。上着の色は、遠くからでもはっきりと軍人ですと、目立つ色が求められる。
注意の、黄色であった。
太陽の恩恵を受けた帝国のイメージにあわせたものであるが、ちょっとまぶしい。
そして、武器は二つ。
腰に刺しているナイフと、肩に担いでいる、腕より少し長い銃だ。
装てんされているのは、殺傷力が限りなく低い蛍光弾の一種。
俗に言う、花火である。
「陣をはれぇ~、用意っ!」
大声を張り上げる、現場指揮官。指揮官だと分かるように、肩に短いスカーフが縫い付けられている。
命令に従い、行進陣形から、射撃陣形に姿を変えた。
ここ百年、戦争といえばこの花火の打ち合いである。
兵の誰もが、今回も花火を打ち合って、それで終わってくれと祈りをささげる。
静かだ。
命令がない限りは、兵士達は勝手に言葉を交わすことは許されない。命令がいつ発せられるか分からず、発せられれば即実行をせねばならないからだ。
そのため、遠くの音も、よく聞こえる。
鳥が、遠くで
木々が、がさがさと音をする。
開戦前の、緊張感――それを、台無しにするお声も、聞こえてくる。
「らっしゃい、らっしゃぁ~い、のどの渇きに、新鮮な果実はいかがぁ~」
「は~い、今焼きあがりますからね~」
「ねぇ~、ねぇ~、花火まぁ~だぁ~?」
「まだかねぇ~」
見物人の方々であった。
平野のど真ん中で隊列を組む兵士達の、いつも数倍は集まるのだ。
ここで花火大会があると、事前通告されているからだ。
おかしい、危険だと警告する告知のはずである。だが、この百年、戦争とは名ばかりの花火大会なのだ。そのために、生真面目な兵隊さん達の列の周囲には、のんきな見物客の声が響くのが常であった。
安全な距離は保っているはずなのだが、静かなために、聞こえてくる。
「え~、お弁当、お弁当、ほかほか作りたての、お弁当はいかが~。安くて、おいしい、お弁当。銅貨一枚。銅貨一枚で~」
「ただいま~、パンが焼きあがりました~、お熱いうちにお召し上がりを~、小銅貨一枚で、一個。小銅貨一枚で、一個の格安で――」
「さぁ、さぁ、本日は久方ぶりの花火大会。それを記念して、本店伝統の味、果実の風味漂う干し肉が、何と一本で銅貨二枚、銅貨二枚で、お手元に――」
商魂たくましい、この屋台の数を見よ。まるで兵糧部隊のように屋台をガラガラと引っ張って、行軍に引っ付いていらしたのだ。兵士達が隊列を組む空間を、大きく、大きく取り囲んだ、楕円の陣地。おいしそうな匂いはここまで届いている。早速、腹の虫が鳴き始めたのを、誰か止めてくれ。
そんな気分の、そろそろ太陽は真上に届く、お昼前。
開戦予告も、お昼前。
王国と帝国の、決戦の時刻が、迫っていた。
ざわめきが、起こった。
まず気付いたのは、見物人の方々である。
緊張が、走る。
足音と、土煙、そして、見物客達の歓声が上がったのと、どれが最初だっただろうか。
ダーカジラン王国の国境軍が、現れた。
王国の旗を高らかに掲げての、堂々たる行進であった。
同じ文化圏なのだ、類似性が見て取れる。ロングの上下にブーツ、近づかないと違いが分からない、違いは色である。
緑豊かな土地柄を表す、明るいグリーン。
見た限りは、帝国と同じ規模だろう。双方合わせて数千人。
それぞれの国境を守るための、最小編成。
数千人の命がかかっても、国同士ではつばぜり合いに過ぎないのは、命を軽んじているためではない。その数十倍、数百倍の人々の運命が、背後に控えているのだ。
国家連合との国境ほどではないが、それでも大群だ。
改めて、覚悟を決める。
「全体、停止っ」
遠くからであるが、こちらにもしっかりと、その声は届いていた。王国軍もまた、帝国軍に負けずと、整然と行軍、そして停止した。
静寂が、戦場を支配する。
大声を出せば聞こえるだろうが、互いの表情までは、推し量れない距離。
横にずらりと百数十名が一列に、それが何列も重なって、連続射撃がかなう。
それは鉄の壁と言い換えてもよい。
あるいは、死の壁。
花火の次は、鉄の壁のつぶしあい。
果たして、今度もいつものように花火の見事さを称えあい、屋台を囲んで終わるのだろうか。それとも………
持ち慣れたはずの鉄の塊が、とても重く感じる。 屋台と、見物人の皆様も、さすがに緊張して、静かになってくれた。
今はもう、風がブーツを叩く音だけが、旗がはためく音だけが響く。
後は、鳥たちと、木々と、見物人たちの小さな音。 嵐の前の静けさとは、よく言ったものだ。後わずかで、命令が下るだろう。 その前に、互いの使者が戦いの前の言葉を交わすものだが………
「そぉ~れ、とつげぇ~きっ」
ざわめきが起こった。
いったい誰だ、口上の前に突撃を命じたのは。
誰も、そのような疑問をはさむ兵士はいなかったはずだ。声が、お子様だったのだ。
「「「いけぇ~っ、やっつけろぉ~っ」」」
軍団だった。
一人や二人ではない、隊列のどまん前をちょろちょろと、お子様達が駆け巡る。
見物客の子供だろうか、興奮が頂点に達したらしい。連れてきた親達はハラハラしているに違いないが、命令がない限り、捕まえることも出来ない。
いいや、捕まえようとして大混乱になって、それで終ってくれてもいい。
そう思いながら、目の端でお子様達がやってこないか見つめていると………
「おいおい、マジなのか………」
なぜか、お子様達は、帝国第三皇子の紋章が
ざわめきは、瞬く間に感染する。なぜか、そのざわめきは向かい合う王国軍もだ。どうやら、あちら様でも何かやらかしているらしい。
「あっ、来た………」
誰かがつぶやいた。
やはり、帝国第三皇子の紋章を、マント代わりに首に巻きつけて走っていた。
「花火だ、花火だぁ~」
「「「うて、うてぇ~」」」
数人が組になっているようだ。子供の体力は無限ではないのだろうか、そんな感想を抱くほど、元気よく駆け抜けていく。
まさか、お子様達の命令どおりに花火を撃ちまくるバカはいないだろう。だが、先ほどの悲壮な覚悟までが、お子様と共に、どこか遠くに駆け去っていくような気分だった。
「まてぇ、ガキどもぉ~っ………ぜい、ぜい」
子供達のはるか後ろから、大人が走っていた。
ぜいぜいと息を切らせて、目の前にやってきた。親だろうか、あるいは、引率の教員であろうか。どちらにしろ、ご苦労なことだ。
そんな感想で見ていれば、知っている顔だった。
「コマージャン殿?王都に宣戦を布告に行ったまま行方不明の、ナンシオ・コマージャン殿ではありませんか?」
「いいや、そのまま開戦の生け贄にされたって噂だが」
「王国がそんな野蛮なわけないって、そのまま戦いから逃げたって話じゃなかったか」
私語の連鎖が始まった。
もはや、規律も何も、あったものではなかった。
「勝手に殺すな、ずっとあのガキどもの世話役を押し付けられてきたんだ。分かるか、この苦労が、俺はなぁ、本当なら………うぅ………」
泣いていた。
苦労話が始まった。
今回は、いつもとは違う。
本当の戦争が、ついに始まってしまうのか。
その緊張の中を、お子様軍団が駆け抜けた。
第三皇子殿下の紋章旗を持って。
「ところで、あの子供達が掲げている旗、どこから持ってきたんですか。陣営本部………わけないですよね」
なぜか、旗を掲げていた。自分達の真似事をしているのだと、小さく笑い声の連鎖が起こっていた。
「いいや、殿下が来てるんだよ。相手方でも、第三王女の紋章が掲げられているはずだ。今回の開戦の話は………いいや、細かいことはいい。ともかく、今回も花火大会で終わるって事は、双方密約で決定された。それをガキどもが知っちまって………くそ、おかげでこの有様だ」
偽装の余地をなくすために、姫たち自身が出向いたのだ。
だが、花火大会という言葉を子供達に知られたのが、運のつきだった。
数千人の兵士達の間を、元気一杯に、走り回っている。そしてその体力も、たいしたものだ。
「まぁ………そういうことなら」
「自分達は帝国軍人であります。命令であれば、花火を盛大に打ち上げます」
悲壮な気分でいたが、現金なものだ。わざとらしいほどに背筋を伸ばし、一糸乱れぬ兵士の姿勢をとった。
声に笑いが含んでいるのは、誰も突っ込む様子はない。もはや、誰もが同じ気分なのだろう、口を開けば、笑ってしまいそうだ。
「ともかく、捕まえるの手伝ってくれ。もう、あいつらすばしっこくて、すばしっこくて」
「申し訳ありませんが、自分達はあなたの命令を聞くように指示されておりませんので」
「コマージャン殿が配下の者に命じればよいのでは?」
「いや、部下はいないんじゃなかったか?」
笑い声が、小さく伝染する。
哀れ悪ガキ軍団のお世話役、ナンシオ・コマージャン。使節の任を帯びる地位にありながら、この扱い。
どう見ても、出世と無縁の小間使いである。
まさに、哀れであった。
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