第17話 おてんば姫、微笑む


 皇帝陛下の御前から退いたネリーシャたちは、緑の大猫ラマーナの友人、ラオダ姫殿下の私室の一つに通されていた。

 身分の高い方々は、個室をいくつも有しているようだ。寝室に執務室、そしてここは謁見の間と言うよりは、お茶会、歓談の間である。

 今は、脅迫の間と言うべき状況であった。


「ねぇ、ダラージャ。お義父様とうさまには追い出されたけど、愛する妻の名前が悪用されたなんて、優しいあなたの心もズタズタでしょう?許せないわよねぇ?」


 燃えるような赤毛のラオダ姫さまは、甘えるように夫たるダラージャ殿下に抱きついていた。

 仕草としては、そう表現してよいものの、どうしてだろう、脅迫しているようにしか見えなかった。

 甘えるような声に仕草でありながら、夫に脅迫していたのだ。

 命令に、従えと。

 夫殿下は、乾いた笑みを浮かべていた。


「ラオダ、お客様の前なのだから、甘えるのもほどほどに」

「もう、ダラージャのいじわるぅ~」


 可愛らしく、夫におねだりをする若奥様の姿のはずなのだが、この光景に、ネリーシャはいやな汗をだらだら流していた。

 悪い予感しか、しなかったのだ。

 お怒りだ、何かを企んでおいでだと。

 しかも、夫が、妻に逆らえない力学も、よっく知っていた。

 ご近所の姉と言う暴君が、哀れ犠牲者を捕らえ、尻に敷いている。結婚とは墓場だという言葉は、真実だと知ったのだ。

 いいや、墓場からい上がり、時にうめき声を上げているという表現が、ふさわしい。結婚前の日々はまやかしだったと、うめき声を上げるのだ。そして、墓場へと引きずられていく。

 身分高い方々であっても、同じらしい。

 ネリーシャが、微妙な笑顔を浮かべていると、姫の友人、ラマーナさんが口を開く。


「相変わらず、仲いいね」


 にっこにこの、お子様の反応だった。

 女子であるため、男のなげきを理解できないとは、先人のうめき声である。しかしながら、現在ネリーシャたちがここにいるのは、新婚の悲哀を見せ付けられるためではない。

 ネリーシャは、自分が何とかしなくてはと、要らぬ言葉をはいてしまった。

 話題を変えようとして、深みにはまるパターンである。


「ところで、今回の騒動を起こした人たちって、どんな人たちなんでしょうか」


 個人では、ありえない。姫の紋章だけでなく、皇帝陛下の紋章まで偽造し、命令書を発行したのだ。それも、戦争と言う悲劇を起こしたい人々である。巻き込まれれば、どれほどの命が失われるのかと。

 単なる好奇心も、不安を抑えたいという気持ちもあった。

 姫殿下が、答えてくれた。


「まず思いつくのは、国家連合ね。王国と帝国の共倒れを一番喜ぶ相手だし、その後の計画も、色々と考えていそうだし………計画倒れと内紛で忙しいでしょうけど」


 動機としても、能力としても、最大の容疑者である。

 カブール帝国、ダーカジラン王国の両国と国境を接する、敵である。とは言え、カブール帝国とダーカジラン王国はここ百年、血を見る戦いをしたことがない。あくまでけん制と、敵国としての形式だ。

 一方、国家連合は全てを自分達の連合に加えるべき、従うべきと言う思想の持ち主であるため、明確なる敵である。

 姫が思いつくのも当然なのだ。

 確かにそうだと、ネリーシャがうなずいていると、おとなりに座るラマーナさんが袖を引っ張ってきた。

 話についてこれない、つまらないと言う態度は、本日何度目か。


「ねぇ、ねぇ、国家連合ってなぁ~に?」


 ネリーシャは瞬間あきれたものの、異なる常識に住まう住人だと思い直す。目の前のイタズラ大王様は、人と異なる暮らしをしている巫女さまなのだ。

 自分の常識が相手も知っていると考えるのは、過ちと知っている。人以外の人々と交流を持つための日々を過ごすラマーナに、そこまで強いるのは悪いことだと。

 大仰に、ネリーシャは語り始める。


「森の獣も同然のお前とはいえ、人の世界に足を踏み入れたのだ、知らねばなるまい」


 姫の御前であることは、すっかり忘れている。その原因は、ラオダ姫殿下がかもし出してくれた、日常の空気だ。

 おかげと言うか、ネリーシャらしいと言うか、いつもの調子で、調子付いたのだ。

 姫様が、ネリーシャの気分を台無しになされた。


「あら、その子も神殿でお勉強してるはずだけど?」


 やはり、お勉強がいやで逃げ出した悪ガキに過ぎなかった。理解者を気取って、教えてやろうとする気分から、脱力するネリーシャ。

 代わりに、見かねたダラージャ殿下が、説明をしてくれた。


「国家連合って言うのはね、王国や帝国、その他遠くの国々を結ぶ商業都市、中継都市が………」


 話し始めて、すぐさま言葉が途絶えるダラージャ殿下。

 きょとんとするラマーナのお顔から、全く理解できていないとお分かりになったのだろう。にこやかな笑みのまま、しばし沈黙のあと、言いなおされた。


「群れからはぐれて出来た、新しい群れなんだよ」


 獣ではないのだが、確かにダラージャ殿下の説明の通りである。ネリーシャが、野生の獣も同然と言い放ったのを聞いて、思いついたらしい。分かりやすい言葉で理解させて、細かいことはあとで付け加えればいいと。

 さすがはおてんば姫を妻に選んだだけのことはあると、ネリーシャは尊敬の念を抱いた。

 さすがであると。


「なぁ~んだ、はぐれたなら、悪さするよね?」


 お前もその一人ではないのか。お勉強嫌いで神殿から逃げ出した巫女とやらを、ネリーシャは横目で見た。

 姫殿下は、面白そうにその様子を見守っている。

 ダラージャ殿下は、続けた。


「そうだよ。群れからはぐれても、力がないわけじゃないからね、逆に元の群れを飲み込もうとしてるくらいなんだから。気をつけないと、ね?」


 あなどってはならない。

 言いたい事はそれであるため、説明はここで終わった。

 本題は、歴史の説明ではなく、これからのことなのだ。


「さっすが私のダラージャね」

「お前がお勉強教えろっていつもいうから、こうなったんだ」

「だって~、退屈なんだもん」


 学友でもあったらしく、二人の世界は、どこか子供の勉強会だった。

 そういえば、高貴なる身分の方々は、互いの文化を学ぶために、交換留学をすると聞く。おてんば姫の学友時代の暴れっぷりが、目に浮かぶ。そして、哀れにも引き回されるダラージャ殿下の苦労は、これからも続くのだ。

 そういえば、押しかけ女房と言う称号もお持ちだったはずだが、ともかく、大変だ。


「とまぁ、そういうことだ。王国と帝国の力を弱めるために争わせようって………」


 分かりやすく補足したつもりのネリーシャだが、ラマーナは不思議そうなお子様の顔で、こちらを見ていた。

 どのように説明しようかと思っているところに、つい言ってしまった。


「今回もいつもみたいに、花火大会で終わればいいって話で………」

「花火大会っ!?」


 立ち上がったラマーナさん。ネリーシャはあわてる、しまった、お子様が楽しみを得てしまったと。おとなしくさせることは、もはや不可能だと。

 そこへ乱入してくる影があった。


「「「「「花火大会、行くっ!」」」」」


 悪ガキ軍団であった。

 このタイミングを見越していたかのようだ。帰りの馬車を用意するまで、おとなしくしていろと、別室で待ちぼうけをさせていたはずだが、脱走したらしい。

 その背後では、従者の皆様が肩をがっくりと落としていた。

 ネリーシャは、見なかったことにした。

 その中に、ナンシオ・コマージャンもいたのだから。

 密使の仲間として、御前会議にも参加できなかった帝国貴族の三男坊の今の役割は、子守のようだ。同じ三男でも、ダラージャ殿下との差がとても大きい。

 上には上の、格差があるようだ。


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