第16話 御前会議、今度は帝国
何で、ここにいるのだろうか。
そんな疑問など、諦めと言う境地に捨て去った少年、ネリーシャは、やわらかな椅子に座っていた。
落ち着かないほどやわらかで、高級な椅子である。すでに慣れつつあるのは、王国の御前会議に参加した経験からだ。
その原因となったのは、姫様のお手紙。
ニセモノの手紙と、本物の手紙。
誰かが、帝国と王国を戦わせようとしているのなら、止めねばならない。そのために、カブール帝国へ手紙を届けるのが、旅の目的。
その手紙を、壮年の男性が手にしていた。
カブール帝国の、皇帝陛下である。
「さて、我が学友はなんと返事をしてきたか………」
二重の鎖の首飾りの中央には、皇帝の紋章が下げられている。王国の紋章と同じく、三対の腕の怪物の姿だ。
衣服も、さすがは皇帝陛下である。普段着を装いながら、その質の高さはネリーシャでも見て分かる。布の質だけではない、さりげない装飾が細やかで、見事。ふとした場所に、植物を模した模様があった。
ネリーシャは、しがない雑貨屋の跡取り息子の分際で、皇帝陛下の衣服のさりげないつくりを観察できるほど、近くに座していたのだ。
ここはカブール帝国の、お偉い方々の集う会議場。もちろん、皇帝のご子息と、その奥方もご一緒だ。
その奥方こそが、今回の事態の発端であり、最初に気づいたラオダ姫である。今は静かに、皇帝が手紙を読み終えるのを待っていた。
なぜか、お使いの終わったネリーシャたちもいたが、今更緊張などするはずもない。ただ一つの心配事は、退屈そうに隣に座る、巫女ラマーナである。
緑の大猫との異名を持つイタズラっ子が何かしでかさないか、気が気でなかったのだ。
たのむ、やらかさないでくれと、ネリーシャはずっと、心で祈り続けていた。
そんなネリーシャの願いなど、大人の知ったことではない。皇帝陛下は、静かに手紙を置くと、柔らかな笑みを浮かべていた。
「姫よ、そなたの父上は、私の記憶のままであった」
緊張は、消えた。
ネリーシャは思った。これで戦争は回避されると。
少し寂しいが、悪ガキ大臣の地位を返上、平凡な雑貨屋の跡取り息子としての日々が戻ってくる。そう、思っていた。
だが、違っていた。
皇帝陛下のお言葉で、場の空気が、凍りついた。
「布告どおりに『炎が荒野』で戦を始めようと言っている。ついでに、我らも自身も参加してはどうかとな。この手紙が早馬より早く届いていれば――と、続けてあるが、正にそうなった。さすがは巫女殿と言うべきか」
ネリーシャの笑みが、固まった。
周囲の重臣達も、固まった。
明らかに、動揺していたのだ。誤解が解ければ、戦争は回避されると、そのための手紙であると思っていたのだ。それなのに、帝国、王国の指導者まで参加となれば、それは全面戦争の合図となる。
どうしてそうなった。
なぜだ。
皇帝の御前であっても、このざわめきは大きくなるばかり。そこに、場違いな少年の声が、ポツリと響く。
「それって、みんなして、黒幕さんをおびき出す――って事ですか?」
ネリーシャの発言である。
国王の御前会議でも、思わずと言う発言をしたネリーシャだが、今回は慌てなかった。
大人が困っている、あわてているという態度になったおかげで、冷静な思考を取り戻すことが出来たのだ。
悪ガキ大臣の経験が、教えてくれるのだ。
罠を仕掛けようとした相手を、罠にはめるのだと。
皇帝陛下は、楽しそうに笑った。
「なるほど、あいつが密使に送るだけはある。気に入ったぞ、少年」
重臣の皆様は、今度こそ、動揺した。
非難もわずかに含んでいたが、多くは皇帝と国王の無言のやり取りを読み取ったネリーシャへの驚きと、評価であった。
有頂天になるネリーシャではないが、お褒めの言葉を素直に受け取ることにした。
浸っていた時間は、すぐにぶち壊された。
「ねぇ、ねぇ、もうお手紙届けたんでしょう。姫ちゃんと一緒にイタズラ………」
大人の会話に退屈したイタズラっ子がいた。
そんな印象の、見た目は発育のよい十六歳のラマーナさんが、ネリーシャのズボンを引っ張っていた。
ネリーシャは、もう少しおとなしくしているように伝えようかと思った。いや、むしろこの言葉をきっかけに、退室を申し出ようと。
しかし、遅かったようだ。
「そうね、久々に、イタズラ心がうずくってね」
ずっと黙っていらしたラオダ姫殿下が、笑みを浮かべた。
それは楽しそうに、何かいやな予感がしてならない、絶対何かを企んでいる笑みである。
おてんば姫とも呼ばれる、ダーカジラン王国の第三王女にして、カブール帝国の姫ともなられたお方が、お怒りだった。
今回の事件の発端に、されたのだから。
それは姫の責任ではないが、利用されたのだから。
「ふふふ、たっくさん、お礼してあげなくちゃ………ねぇ?」
にこやかに笑みを浮かべる姿を見て、重臣の方々のみならず、皇帝陛下も、頭を抱えた。
ネリーシャも感じ取った予感は、経験済みなのだろう。
やらかすぞと。
このまま、姫の独壇場になりそうな気配があったが、とりあえず下がるようにと、命じられた。
ラオダ姫も、ご一緒だ。
ネリーシャは思った。
大変だ、また、押し付けられたと。
救いは、夫である帝国の第三皇子殿下もご一緒と言うことであったが、不安でしかないネリーシャであった。
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