第8話 加速する、事態
神話に連なる歴史を持つ、カブール帝国。
その帝都の中心には、頑丈な石造りの神殿と宮殿が合わさった、古代の遺跡と勘違いしてもおかしくない空間が広がっている。
何千年も、ここがカブール帝国の中心であったのだ。巨大な樹木の根っこが石畳を押し上げ、コケが生え、石が欠けて入る場所は少なくなく、歴史と言う時間を感じさせる。
しかも、現役で使用されているのだ。修理された痕跡も新旧あるが、目立たないような工夫もされている。刺繍の施された布があらゆる場所に垂れ下がり、風に揺られて、優雅な印象を与えてくれる。
石畳は古くとも、カーペットを敷けば、それだけで贅沢な空間の出来上がりだ。
そんな一室で、男はひれ伏していた。
「申し訳ありません、私が口車に乗せられたばかりに、このような………」
ひれ伏しすぎて、石畳に敷かれた分厚いカーペットに沈み込む勢いだ。おそらく、本人はそのまま消え入りたい心境に違いない。これが演技であれば、この帝国を追放された後も、食べていけるだろう。自らが犯してしまった罪におののいていた。
ここはカブール帝国の、謁見の間であった。
ひれ伏す相手は、癖のあるブラウンのショートへアーに、黄金の瞳の男性だ。孫がいてもおかしくない年齢だが、覇気はまだ衰える兆しがない。神話に連なる歴史を持つカブール帝国の、今代の皇帝である。
感情をともさない言葉で、言い放った。
「過ぎた事。それに、おまえもまた踊らされていたのだ。今回考えねばならないのは、踊
らされた人形の始末ではない。人形遣いのほうだ」
「左様、それでも、覚悟はしておれよ。物事には、けじめが必要だ。和平の材料として、責任者の処罰を求められた折には、その命、ささげてもらう」
皇帝に、重臣に、いずれも優雅な雰囲気ながら、残酷な言葉を吐いていた。
それは、最も被害を少なくする道であった。男もそのあたりは理解しているうえ、覚悟の上らしい、命乞いの気配はなかった。
問題なのは、その道が閉ざされつつあることだった。
「しかし、我が従兄弟どのよ、こやつ一人の命でわびても、王国は信じるまい。姫の紋章を帝国に偽造された、それだけで開戦の理由になりえるのだ」
「戦乱期であれば、であろう。それに救いは、その姫ご本人よな」
「あぁ、我が三男の押しかけ女房殿はおてんばだが、愚かではない。それに、我が友もだ。王国は即座に開戦と言う、浅慮はしないだろう」
相談役だろうか、皇帝よりやや年長の男性が、となりで腕を組んでいる。他にも、片腕で人をひねり殺せるような豪腕の男性に、髭が床までたれているご老人に、重鎮が勢ぞろいしている。
皇帝は、利用された愚か者を、一瞥した。
「では、改めてお前の話を聞こうか」
言われ、平伏していた男は、己の愚かさを語った。
姫の教育係である男は、とある人物から、話を持ちかけてきたという。帝国がひそかに侵略の準備をしているため、何とかしたいと。
そして、紋章をそっと見せられた。
教育係は迷った。
そんなはずはないという、疑念がまず沸き起こった。
次に、義務感が首をもたげた。
邸内にいるとはいえ、全てを知るわけではないのだ。見知らぬ人物がいる事も珍しくなく、何より、姫の紋章を預かったと言われれば、天秤は大きく揺れ動く。
姫は公に何も出来ない。信じられるのはお前だけだと、代わりに警告の手紙を出して欲しいと言付かったと、紋章を渡されたのだ。
あせった頭がどのように結論を出すのか、それは行動に移された。
紋章が偽造されたものだなどと、思いもよらなかった。
手紙を出し終えるまでは。
出してから、大儀を終えたという安堵感から、冷静さが戻ってきた。
恐る恐る、さりげなく、姫本人に、確かめた。
結果、知った。
操られたと。
では、操った相手は何者なのか。
紋章を偽造し、手渡した人物がいるのだ。
「問題なのは、人形遣いもまた、誰かに踊らされていた場合だ。内偵は、進めているがな」
善良な人物が踊らされる可能性は、目の前にひれ伏す愚か者が証明している。
いずれ解決されることを期待したいが、問題とすべきは、今の、目の前の問題への対処である。
「内偵は進めるとして、王国側の反応だな、目前の脅威は」
「戦乱の警告を受け取って、何も対処をしないなど、王としてありえぬ。我が学友殿は、まさかと、疑うことくらいは、してくれるだろうが………」
皇帝は、そうあって欲しいと願いながら、確実と言い切る自信はないようだ。椅子に深く背中を預け、遠くを見つめる。
「百年に及ぶ交換留学が、功を奏してくれましょうな、わずかながらでも」
「そのわずかな違いが大きい。今の仕組みを積み重ねた先祖に感謝だ。互いに疑念を抱く間柄では、即座に開戦なのだからな」
「しかしながら、我が従兄弟どのよ。思う事と、行動することは違うものだ。まして、国を背負う身であればな」
「ならば、和平の使者を、誤解だと弁明する使者を派遣してはどうか」
「その場で殺される可能性があるのにか?かく乱されたと相手が受け取らないと、どうして言える」
そのために、帝国は最悪の事態に備え、迎撃の準備を命じている。
この時点では、そこまでだった。
そこへ、使いが現れた。
「申し上げます。国境部隊より、宣戦布告のための使節を派遣した――との報告が届きました」
皇帝は立ち上がった。
「誰だっ、布告を命じたのは。我はまだ、防衛の備えをしろとしか、命じておらぬぞっ!」
皇帝だけではない、一同は、とっさに危機感の度を引き上げた。
これは、最悪であった。
一度目の誤解は、まさかと言う、躊躇がとどめてくれる。互いへの信頼を育むための、王侯貴族の交換留学であった。ダーカジラン国王とカブール帝国皇帝は、学友である。
だが、二度目の誤解は、疑惑の天秤が、はるかに重い。互いへの信頼は、あくまで個人の感情と割り切るしかなくなる。
支配者としての義務が、はるかに強く、天秤に働くのだ。
「陛下、こうなっては止むを得ません。姫にはお気の毒ですが、国境部隊に増援を。全面戦争への備えを」
重臣が、重ねて慎重論から、過激な意見を述べた。
それは最もであり、危険である。
こうした意見の持ち主が、もしかすると暴走したのか。
皇帝は、あせる頭で考える。
「我は、何者かに帝国を蹂躙されても気付かぬほど、無能な皇帝なのか」
静かな言葉を、放った。
室内であれば、大声よりもよく響くことがある。
あせっていた重臣は、押し黙っていた。
相手が上位であれば、自らの意見をひとまず封じるべきと、わかっているためだ。
皇帝は、言葉を続けた。
「我らを愚弄する者は、許せん。帝国、王国は誰かの操り人形か、我は道化か?」
皇帝は、重臣たちを見回す。
報告した主も、大変な事態になったと、肝をつぶしているに違いない。勝手に行動した将軍の身代わりに、処刑されるのではないか。そのように考え、おびえても仕方のないことであった。
無用の事と、知っていてもだ。
「姫の教育係よ、おまえを操った者は、今度は国境部隊の将軍すら動かしたようだな」
冷静に、皇帝は告げた。
ひれ伏していた姫の教育係、ついに処刑を命じられたかと、縮こまる。
だが、違った。
重臣が何かに気付いたように、皇帝の顔を見つめる。
「我がいとこ殿よ、では」
「そうだ。姫の手紙の件と同様に、我が紋章が偽造されたのだ」
騒然となった。
いいや、考えるべきであったのだ。姫の紋章が偽造されたのなら、そのほかの重要人物の紋章も偽造されたかもしれない。その可能性に、行き着くべきだったのだ。
「各都市に早馬を走らせろっ」
皇帝の決断により、重臣たちは即座に頭を切り替えた。
「よいか、敵を喜ばせるな。敵を上回り、蹂躙するのだ。帝都にいる将軍たちを呼べ、我が子もだ。作戦会議を行うぞっ。それと………姫の手紙の一件は、伏せて置け。いいか、徹底させろ。偽の手紙の件は、伏せておけ」
皇帝の意を察した出席者達は、即座に返事をする。
手紙の真相を知っているものは、今のところは、わずかしかいない。
真犯人と、それに連なるものを、探す糸口である。
それぞれの持ち場に戻る重臣たちを眺めながら、皇帝は静かに、つぶやいた。
黒幕を、どのように燻し出そうかと。
そして――
「あとは、我が三男の押しかけ女房殿が、どう暴れてくれるか………かな?」
楽しそうな顔になり、皇帝はつぶやいた。
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