第31話 そして、いつもの朝
「いい加減起きなさいっ!
あおりっ! あおりっ!」
お母さんの声で、私は目覚める。
私は顔を洗い、髪に櫛を入れ、いつものように自分が可愛いことを確認する。
よしっ!
OKっ!
私、すごく可愛いっ!
なにか大切なことを忘れているような気もしたけれど、朝食のテーブルに着く。
トーストとコーヒーの香り。
目玉焼きと小さなサラダ。
「いただきます」
そう言って、さくっとトーストを齧って、目はつけっぱなしのテレビに向く。
デリカシーって概念がないのかっていうくらい、朝からにぎやかなニュース番組。
女性のアナウンサーが、アイキャッチの向こう側で話している。
「次のニュースです。
かねてから駿河湾に出没していたオンデンザメですが、環境省などの国、県、市、地元漁協等の横断的連携会議が開かれ、保護の具体的方針が決まりました。
観光船についても、近づいてよい距離が明確に定められます。
これにより、世界でも類を見ない……」
私、トーストを持ったまま思わず立ち上がり、そのまんま立ち尽くしていた。
学校はいつものとおり。
友達のミミもいつものとおり。
「タピオカ、私好きなんだけど、ブームが過ぎちゃうとあの太いストローがマヌケだよね。
なんか、もう、タピるにタピれない感じー」
なんて、相変わらず容赦がない。
「タピオカかぁ。
なんか、クラゲみたいだよね」
「そんなコト考えるのは、あおりだけだよ」
びしっと、ツッコミも容赦ない。
どこまでもどこまでも、いつもどおりの日常で……。
私、決心がついた。
「ミミ、明日、私、学校休む」
「サボるの?
いつからそんな子になったの?
私、そんな子に育てた覚えはありません」
「ミミに育てられた覚えなんてないっ!」
「だから、育てた覚えはないって言ってるでしょ!」
……脱力。
「マジで、どこか行くつもり?」
「駿河湾のオンデンザメ、見に行く」
「おおっ、あおり、どうした?
いつになくミーハーじゃん。
それとも、文系のくせに生物学に目覚めたかぁ?」
「うるさいっ!
アンタが人のこと言うんかいっ!
行くったら行くんだよっ!」
「わかった、わかった。
じゃ、私も行こう」
それは心強いけど……。
「実は考えていることがあるんだ。
すごーく怒られると思う。
それでもつきあう?」
「おお、つきあっちゃるぞー、あおり。
で、知っていると思うけど、遊覧船、むちゃくちゃ早くから並ばないと乗れないよ。
始発でも運次第だなー」
「わかった。
天気は?」
ミミ、スマホの画面をしゅっしゅする。
「げろげろーっ。
予報だと雨じゃん。
それでも行く?」
「行く。
却って空いてていいと思うよ」
「それもそっか。
よし、決行っ!」
ミミ、ノリがいいな。
助かるよ、正直。
翌朝、まだ暗いうちから私は家を抜け出す。
「部活の朝練の手伝いをするから」って、お母さんには説明しといた。
駅で、ミミと合流。
できる限り大人っぽい格好で、補導なんかされないように気をつける。
私の抱えた荷物を見て、ミミは笑った。
で、チケット、買えたよ。
最後の3枚のうちの2枚。
雨で良かった。
そうじゃなかったら、絶対買えなかったよね。
それから1時間ほど待って、出航。
漁船に気を持ったような船で、屋根なんかないから、私たちはコンビニで買ったビニールかっぱを着ている。
傘はさしても、吹き飛ばされちゃうだろう。船、思っていたよりずっと速いから、向かい風が凄い。
イメージとして、船ってぷかぷか浮いているって感じがあったし、夢に見ていたクラーケンの時は私の方が速かった。
でも、実際に乗ってみると相当に速いんだね。
でね、どうしても本当に夢だったのかの確認はしたいんだよ。
私の「初めて」をあげた人は、本当にいるんだろうか、って。
「それではみなさん、右舷に集合してください。
これからオンデンザメが浮き上がってくると思いますけれど、野生動物ですから確実だとは言えません。
大きな音を立てたりしないで、危害も絶対加えないでください」
そんなアナウンスが流れる。
私とミミ、最初から右舷にいたので、直接海を覗き込める位置にいる。
船が止まった段階で傘をさした。
雨はありがたいね。
これで、あまり周りから見られないように、いろいろとできる。
「おおおっ、今日も来ましたよ。
今、魚探がオンデンザメを捉えました。
浮上中です」
アナウンスがあった。
果たして、単なる魚類にすぎないオンデンザメなのか、それとも穏田先輩なのか。
私には確かめる方法がある。
「深度50m、40、30、20、10、きますよー!」
私、深度10という声に合わせて、ひそかに持ってきた大量のか◯ぱえびせんを一気に舷側から海面に落とす。
もちろん、袋から出して、簡単に撒けるようにしておいたんだ。
「ちょっと、そこの女性、今なにをした?」
船長ってよく見ているよね。
見つかっちゃったわーって、次の瞬間。
穏田先輩が、人なら3人くらい飲み込めそうな大口を開けて、すべてのえびせんを飲み込んでいった。
うん、オンデンザメじゃない。
穏田先輩だ。
至近距離だから、よくわかる。
穏田先輩、胸ビレを海面から上げてこちらに振ってくれた。
握手できそうな距離だよ。
「穏田先輩っ!」
私は叫ぶ。
穏田先輩、左右の胸ビレを交互に海面から上げてあいさつしてくれた。
最後には、しっぽを大きく海面から出して、大きな水しぶきを上げて、それから沈んでいった。
私、声をあげて泣いていた。
果てしない喪失感で、胸に穴が空いたみたいだった。
それから、ミミと2人、港の事務所で漁協の人から徹底的に怒られた。
ただ、それでも……。
「遺憾」なんて言葉を自分が使うなんて思わなかったけど、とても遺憾です。
私は、頭がおかしな人ではありません。
でも、真性のそういう人と思われたせいか、私たちは厄介払いするみたいに解放された。
漁協の人に、「穏田先輩はきのこ派です」ってのも伝えたけど、たぶん聞いちゃいないよね。
穏田先輩が、か◯ぱえびせんをこよなく愛しているのも聞いちゃいない。
ますます、おかしな人認定されただけだ。
ただ、オンデンザメが、か◯ぱえびせんをすべて丸呑みしたこと、そのあと異常なまでにフレンドリーになったという事実は残った。
だから、穏田先輩がへそを曲げたら、か◯ぱえびせんが再出動する可能性はある。
穏田先輩、たまにはそうやって、か◯ぱえびせんにありついてください。
そして、漁協の人が、私の言った「きのこ派です」って言葉を覚えていてくれますように。
あとは私、祈ることしかできないよ。
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