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「――みんな、もう集まってきてる?」裸身に白いローブを羽織っただけの格好のまま、同じ室内のクルルに問う。「いっぱい? そうでもない?」

「多かったら緊張して、少なかったらがっかりするんでしょう。気にしないほうがいいよ」

「分かるけど――やっぱり気になるよ」

 クルルは顔を上げ、勿体ぶるように間を置いてから、

「ぎっしり。〈星呼び櫓〉の周りはすごい人だかりだったよ」

「嘘」

「騙してどうするの。ちらっと見た感じだけど、ここ数年では一番の賑わい」

「そんなに? どうしよう」

 湯を浴びて戻ってからずっと、ふらふらと落ち着きなく部屋を左右しつづけている。長椅子に腰かけて愉快そうにこちらを眺めているクルルが、今だけは少し恨めしい。

〈星呼びの間〉――儀式を控えた〈星呼び〉が身を清め、心を落ち着けるための場所に、ミーファとクルルはいる。北の区域の外れ、街でもっとも物静かな一帯にある、小ぢんまりとした建物の一室だ。

「落ち着いて、なにかお腹に入れたら?」

「言わなかったっけ。〈星呼びの儀〉の直前はなにも食べちゃ駄目なんだってば」

「そうなの? なんで?」

「〈星呼び櫓〉に登る前に、〈白林檎薬〉を飲むんだよ。体に薬が回りやすくするためじゃないかな」

 ふうん、とクルルは曖昧に頷き、

「大丈夫? 長丁場なんだし、途中で倒れちゃったら困るよ」

「倒れないよ。むしろ――吐いちゃうほうが心配」

「そっか。この一点だけでもう、私は〈星呼び〉にはなれないな。一晩じゅうなにも食べられないなんて、考えられない」

「下の部屋になにかなかった? 食べたかったら、私に構わないで食べてて」

 告げると、クルルは悩ましげに腕組みし、

「果物が籠に盛ってあった。食べたいんだけど、ミーファに付き合って断食すべきなのかな。それともミーファのぶんまで食べるべきなのかな」

「食べていいよ」

 行ってくる、と残してクルルは階下へと消えた。最初から目を付けていたのかもしれないと思った。甘いものが好物なのだ。

 ややあって戻ってきた。腕いっぱいに抱えてくるものと思いきや、手ぶらである。見るからに気落ちした様子なので心配になり、

「どうしたの? あんまり美味しくなかった?」

「消えてた」

「消えてたって?」

「無くなってたの。来たときは確かにあったんだよ。なのにいま見たら消えてた」

 ミーファは顎に指を当てた。余程のこと楽しみにしていたのだろうから、クルルの勘違いではあるまい。

「私が食べちゃわないように、ここの人が下げたのかもね」

「まだ直前じゃないのに」

 クルルが長々と吐息し、先ほどと同じ長椅子にへたり込んだ。ミーファはその隣に腰を下ろし、

「もう一回出してくれるように頼む?」

「我慢して断食する。終わったらお腹いっぱい食べよう」

「そうだね。一緒に」

 ようやく、クルルは納得したように頷いた。よし、と威勢よく発し、立ち上がる。腕を捲り上げながら、

「ちょっと早いけど、化粧と着替えを始める? なにかしてたほうが、多少は気が紛れるでしょう?」

 衣装と装飾品一式、化粧道具はすでに準備されている。着付けに関するいっさいを引き受けるとクルルが申し出てくれたのは、ミーファにとって幸いだった。あれこれ頭を悩ませるより、自分をよく知った相手に任せるほうが遥かに気楽だ。

「そうしよう。お願い」

 鏡台のほうへ移動しようとすると、「ちょっと待って」となぜか押し留められた。

「まずはこっちでやるから」

 壁際の施術台を示された。なにか理由があるのだろうと思い、おとなしく従う。枕を背中の下に敷き、上半身を軽く起こした状態で、手を洗いに出たクルルを待った。

「お待たせ。力、抜いててね」

 彼女は馴れた様子で壺状の容器を取ると、掌に中身を出して入念に伸ばしはじめた。透明だが粘度のある液体なのだろう。やがて近づいてきて、検分するような視線でミーファを見下ろした。

 そっと顔を包まれた。粘液は想像したほど冷たくはなく、むしろクルルの体温をそっくり宿しているようだった。指先が、掌が、柔らかく、しかし丹念に肌を按摩する。ミーファは目を閉じた。

 感触が、顎の先端から輪郭に沿って頬、続いて目許まで這い上がってくる。心地よいには違いなかったが、同時にくすぐったくもあった。意識はぼんやりと靄を帯びているのに、身だけが火照っているようだった。

「顔の下地はおしまいだよ。次は首回り。楽にしてていいよ」

 クルルの両手が滑り、するりとローブの隙間へと入り込んだ。首や肩を執拗にまさぐるような動き。隅々まで液体を塗り込める必要からなのは理解していたが、眼裏がうっすらと赤く染まるような感覚ばかりは抑えようもなかった。力を抜くよう指示されたのをかろうじて思い出し、半ば捨て鉢な気分で両腕を体の横に投げ出す。

 朦朧としているうちに施術は終わった。それ以降の、化粧を施され、衣装を着せられ、結晶細工で耳や首を飾られ――といった諸々の記憶は乏しい。覚えているのは、クルルが自分の髪を丁寧に整えている様子を、鏡越しにぼんやり眺めていたことくらいである。

「完成」クルルが華やかな声で宣言し、背後からミーファの肩を両手で叩いた。「うん。格好いい〈星呼び〉になったよ、ミーファ」

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