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 クルルがミーファの掌を掴む。ふたりで梯子を下り、棟梁に挨拶をして中央広場を離れた。

 古びた役所の庁舎を行き過ぎる。通りに並んだ篝火を辿るようにして、ぶらぶらと街を南下した。

「このあたり、当日はずっと露店が並ぶよね。珍しい結晶が手に入るといいね」

 他愛ない雑談のつもりだったが、クルルは存外に真面目な調子で、

「実はもう、探しはじめてるんだ。観光客の受け入れが始まった日から、宿屋や食堂を回って、情報を集めてる」

「行動が早いね」

「今のうちに見繕っておかないと、目ぼしいのはみんな取られちゃうもん。予算にも時間にも限りはあるし」

 結晶――彼女が愛してやまないこの石には、いまだ謎が多い。落ちてきた星の欠片それ自体であるとも、星の影響で岩石が変質したものであるとも言われる。太古の昔、百年の長きに渡って流星雨が降りつづけた時代があり、それ以降、大地のすべての生き物は結晶とともに生きることになった、というのが、いちおうの定説である。

「結晶像、見に行ってみようよ。あっちも、もうじき完成だよね?」

「うん。〈星呼び櫓〉とほぼ同時進行だって、親方が言ってた。南門広場の今年の展示は確か、〈結晶獣伝〉だったかな」

 クルルは小さく首を傾け、

「どんな話だっけ?」

「〈青の聖別の民〉の古い伝承だよ。像を見ながら話したほうが分かりやすいかも」

「じゃあ、広場に着いてから。〈星呼び〉はやっぱり、その手の話に詳しいんだね。自分も伝承の一部だっていう意識があるから?」

「そういうのは、正直言ってあんまり。そもそも私が〈星呼び〉ってこと自体、いまだに――」ミーファはそこで言葉を切り、かぶりを振って、「でも選ばれたんだから、ちゃんと役目を全うしないと。クルルも親方も、みんなも、私を信じてくれたんだもんね」

「信じてるのは事実だけど、気負わなくていいと思うよ。無事に終わったら、今度はもっと盛大に花火を打ち上げてお祝いしてあげる」

 ぱ、とクルルが勢いよく掌を広げてみせる。そのおどけた仕種がおかしくて、ミーファは少し笑った――。

 やがて南門が近づいた。こちらは結晶ではなく、灰色がかった普通の石を積み上げて作られている。こういった高さと厚さ、強度を必要とする構築物の材料としては、結晶はむしろ不向きな場合もあるのだ。

 傍らにいた門番の青年がミーファたちを一瞥し、軽く手を振って挨拶を寄越した。煙草を吸いに門衛小屋からたまたま出てきたところらしい。ふたりで頭を下げて応じる。

 普段は厳格に閉ざされ、資格を持つ〈結晶捕り〉しか出入りを許されないが、この時期だけはそれが緩和される。他の土地から〈星呼びの儀〉を見物しに訪れる客の数は、町長によれば街の人口の倍近くにも及ぶという。

 出入口は東西南北の四か所。それぞれの門の近くには広場があって、カーニバル時には催物が行われる。場所ごとに特色が異なり、ここでは結晶を用いた像が展示されるのが常だった。南の区域には昔から、芸術家の工房が多い。

「あれが結晶獣だね。すごい迫力」

 声をあげて駆け出したクルルのあとを、足取りを速めて追う。

 結晶獣は全身を尖った突起に覆われた、四つ足の生き物である。鎧のように折り重なった重厚な鱗、小振りな三角形の頭部から伸びた角、振り上げられた長い尾……いっさいが巨大な結晶を削り出すことで表現されている。この展示の主役だからだろう、大きさはちょっとした建物ほどもある。およそ一月をかけて制作された力作である。

「今でも街の外には結晶獣がいるんだよね。こんなのに襲われでもしたら――人間なんてひとたまりもないね」

 クルルは小刻みに頭部を動かしたり、立つ位置を変えたりしながら、じっくりと観察している。そうして視線を移しながら眺めると、結晶は目まぐるしく表情を変えるのだ。この像に使われている石もまた、深い水底のような黒から、淡い紫、明るい白まで、無数の色味を含んでいる。

 ミーファもクルルを真似て首を動かしながら、

「これはあくまで伝説上の結晶獣だから、いま実際に生きてるのよりは大袈裟な姿なんだと思う」

「でもさ、私が話した〈結晶捕り〉はみんな、結晶獣の住処には絶対に近づかないって。とんでもなく狂暴なのもいるって聞いたよ。伝説でも結晶獣って悪役でしょう?」

 確かにそのとおりだった。ミーファは伝承のあらましを語りはじめた。

〈流星雨の時代〉ののち、待てど暮らせど星の落ちてこない時期があった。同じく百年であったとの説も、より長かったとの説もあり、詳細は分からない。ともかくも地表を覆っていた結晶は数を減らし、いにしえの人々は不安に支配された。結晶の魔力抜きで生きるすべを、彼らは持たなかったのだ。そこで誕生したのが〈星呼び〉だった。

 最初の〈星呼び〉のひとりだったアシュヴァールが呼んだ星は青かった。星は強い光を宿し、一帯を青く染め変えたとされる。〈青の聖別の地〉と呼ばれたその場所には人々が集まり、やがて街が生まれた。これが現在のラシュラッドの原型だ。

「当時から壁はあったの? ラシュラッドはほら、擁壁の街として有名でしょ?」

「あった。というか、壁が先に作られたの。まず聖地と外界を区別する壁が作られて、そのあとで内側に街ができていった」

「そっか、〈聖別の地〉だもんね。結晶獣が出てくるのはその後?」

「うん。〈星呼び〉の時代が始まってしばらく、しばらくって言っても何世代も巡ったころかな、星が乱れたことがあったの」

 夜空は荒れ狂い、無数の星々が屈折し、ぶつかり合い、星屑となった。そうして遂に、この地に誤った星が降った。

 避けがたい災厄だったのか、あるいは心の弱い〈星呼び〉の引き起こした事態だったのかは、むろん確かめようもない。北から落ちてきた凶星は地に突き刺さり、砕けた結晶と交じり合った。その跡地から生まれたのが、〈黒の結晶獣〉だった。

「〈黒の結晶獣〉は凶星の化身、災いをもたらすものとして恐れられたんだって」

「なるほどね。それがこいつなんだ」クルルは納得したように頷いたあと、「それから?」

 続きを語ろうとしたとき、ふと背後に人の気配を感じた。振り返る。いつの間にか女性が立っていた。

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