結晶獣の郷

下村アンダーソン

第一部 〈星呼びの儀〉

1

 登っても星に手は届くまい。しかし呼ぶ手助けにはなるだろう、と老いた棟梁は言った。実の孫娘に語るような声だと、ミーファは秘かに思った。

「これで完成?」

 眼前に聳えているのは、石や材木を組み合わせて作られた櫓である。下方部はどっしりとしているが、上に向かうにつれて細くなる、尖塔を思わせる構造だ。男たちの手で中央広場の一角が封鎖されてから二週間、日に日に高さを増していくこの建造物を、ミーファはかつてない熱心さで観察しつづけていた。

 毎年欠かさず見物してきた〈星呼びの儀〉。まさかこんな想いで、自分が〈星呼び櫓〉を見つめることになるとは思わなかった――。

「ほぼ、な。今はまだ、ところどころ骨組みが剥き出しだが。華やかな街のど真ん中に、あえて無骨な感じで立ってるのも悪くはないと思わないか?」

「悪くないと思う。でもどうするの」

「もちろん当日には、飾り布で全体を覆う。夜空と同じ濃く深い藍色、蒼白い星の色、あるいは青鉱石の色でもいい」

「毎年色が違うんだ」

 というミーファの所感に、馬鹿な、と棟梁は渋声で応じて、

「同じなものか。それぞれにふさわしい色を選んでる。一流の染物屋に依頼するんだぞ。祭壇だってちゃんと拵えてもらえるよう手配した。じきに備え付けるつもりだ」

「今年はどんな青にするの?」

 棟梁は腕組みして視線を彷徨わせ、

「まだ考えてる最中だが、絶対に後悔はさせないと約束する。おまえのための祈りの場所だからな、〈星呼び〉のミーファ」

「その呼び方」ミーファは思わずはにかんだ。「まだしっくりこないよ」

「どう感じていようと、事実だからな。ラシュラッド――この〈青の聖別の街〉の今年の代表はおまえなんだ」

 天辺が見えるか、と問われて首を反らせてみたものの、柱やら板やらに遮られ、真下からではむしろ視界に入れにくい。登ってみるよう促されているものと思い、梯子に手をかけると、途端に小さく軋む音がした。はたとして振り返ったが、棟梁は深く皺の刻まれた顔に笑みを湛えているばかりだ。

 彼は自信満々の風情で、

「平気だよ。そう簡単に壊れやしない。俺たちがどれだけ、〈星呼び櫓〉を作ってきたと思う?」

「私が生まれるより前から」

「いちおうは正解だ。だがもっと言えば、おまえのお袋さんが生まれるよりも前だな。下っ端だった頃のことを思い出すよ。ちょうど、今のおまえと同じくらいの歳だった」

 加工前の結晶のようにごつごつとした手が、梯子を掴んで揺さぶる。音こそ激しくなったが、確かに折れたり倒れたりする気配ではない。十五歳のミーファからすれば気の遠くなるほどの時間を、彼は櫓作りに捧げてきたのだ。

「自分の仕事には誇りを、人の仕事には敬意を持たなくちゃいけない。〈星呼び〉が集中できる場所になるよう、俺たちは毎年、精いっぱいの力を注ぎこんでる」

 手が離れる。揺れが収まると、ミーファは再び手摺を握って、ゆっくりと体を引き上げた。なるほど想像よりずっと安定していると分かった。軽く弾みをつけながら、たん、たん、と一歩ずつ、夕方の空へと近づいていく。

 程なくして櫓の頂上に至った。肩ほどまである柵で囲まれた、小ぢんまりとした空間である。床板に描かれた円形の印は、祭壇が置かれる位置、そして自分が座ることになる位置を示すものだろう。

 ほ、と息をついてから一帯を見渡した。下で待つ棟梁に驚きを告げようとしたが、咄嗟に言葉が浮かばなかった。

 連なった家々の狭間に、無数の蒼白い篝火がぼんやりと浮かんでいる。ほとんど真っ白と呼べるほど明るいものも、かろうじて視認できる程度のささやかな輝きを湛えるのみのものもある。並びは一見すると不規則なようだが、実際は綿密な計算に基づいて配されていることをミーファは知っている。これは天体の縮図だ。街全体を夜空と見立て、火によって疑似的に星座を描き出さんとする――そういう趣向である。

「ミーファ。やっぱり下見に来たんだ」

 灯りのひとつを指差し、形を辿ろうとしたとき、背後からそう呼びかけられた。振り返ると、ちょうど下から金色の頭部が突き出してきたところだった。案の定、クルルだ。

「うん。入れるようになったから見ていけって、親方に言われて」

「自慢の仕事ぶりを、真っ先にミーファに見てほしかったんだね。今年の――よっと」

 持ち前の身軽さでひょいと体を持ち上げ、ミーファの横に並ぶ。柵に凭れかかり、踵を浮かせて身を乗り出した。

「今年の〈星呼び〉ってのも当然あるだろうけど、お祖父ちゃん、ミーファのこともすごく可愛がってるから」

 快活そうな笑みを浮かべている。目鼻立ちのくっきりした容貌と相まって、華やかな印象が際立った。

「ね、やっぱり緊張してる?」

「もちろん」

「絶対に大丈夫、なんて無責任なこと言えないけどさ。私もお祖父ちゃんも、ずっとミーファの味方だよ。祈るのがつらくなったら、信じて見守ってる人間がいるんだってこと、思い出して」

 ミーファは頷き、隣り合った幼馴染の横顔に改めて視線をやった。結晶を加工して手作りしたものらしい小さな耳飾りが、硬質な輝きを放っている。

「そういうこと、弱気になるとつい忘れそうになる」

「そうになる、だけで消えちゃうわけじゃないでしょう? 私たちはちゃんと傍にいるんだから」

「うん。頑張って思い出す」

「本当はミーファが忘れようもないくらい、私たちのほうが率先して伝えるべきなんだよね。大きな声で、派手にさ」

「派手に?」

 思わず頬を緩めながら問うと、クルルは悪戯気な笑みを寄越して、

「それはもう」

 不意に、クルルが両腕を高く差し上げて振った。どこかに友人の姿を見とめでもしたのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。なにかの合図だ。

 長々と尾を曳くような音とともに、幾筋もの光が空へと駆けあがった。太陽の残滓が形作る金色の領域を抜け、澄んだ夜の領域へ至ったかと思うと、ぱぱ、ぱん、と弾けて明るい火花を散らす。ずいぶんと距離が近い。一瞬の閃光が、自分たちふたりを照らし上げるようだった。

 ミーファはぽかんと空を見上げたまま、

「あれ――〈星呼びの儀〉のための花火?」

「練習で打ち上げてみた。私が調合したんだよ。どうかな、気に入った?」

 振り返り、強く頷いた。改めてクルルを見返し、はっとして手を伸べた。

「もしかして、同じ結晶から作った? 光り方が似てるような」

 耳を飾る石に指先で触れながら訊ねる。彼女はくすぐったそうに笑って、

「さすが。加工次第でぜんぜん違う姿に変わるのに、どこか面影が残るのが、結晶の面白いところだよね」

 棟梁が職人なら、孫娘たるクルルもまた職人だった。街の外から〈結晶捕り〉たちが集めてくる結晶を材料として、新しいなにかを生み出す。彼女の作品、特に身に着けられる小さな装飾品は人気があって、求める者が後を絶たないが、決してそこに安住しようとはしない。芸術家のようでも、科学者のようでもあるとミーファは思うのだが、クルル自身はただ職人と呼ばれるのを好んでいる。

「ねえ、ミーファ。少し散歩しようよ。カーニバルの直前の雰囲気って、私、すごく好きなんだ」

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