48話 残火/仇敵の声

「結局、君はどんな人生を送りたかったんだい?」


 霞むように燻ぶるように、おぼろげな視野に暗がりが、白いそこに混濁し混沌としたその狭間に、……嗅ぎなれた紫煙とどこか安堵するような声が届く。


 白衣が見えた。角が生えてる。背が低い……俺が信頼していた大人が、目の前でそう問いかけてくる。

 それに、俺は、しゃがみ込んで微笑んで、答えた。


「……戦争が終わったら、か?そうだな……ちょっと思ってたよ。あんたの後追うのも良いかなって。あんたが残した本あるだろ?あれ、結構面白くてさ……戦後だからほら、あるだろPTSDとか。実体験あるし、職にもなりそうだし……まあ、勉強しねえとだけど、」


 そう、遺されたモノを思い起こした俺の前で、紫煙はふと微笑み――

 ――塗り替わる。


 おぼろげな離宮が背後に見える。犬が――“殿下”が見える。“殿下”はしっぽを振っていて、そして、優しい指先がそんな“殿下”を撫でていた。


 そう言えば、いつの間にか、俺は彼女の年齢を追い越していたりしたのかもしれない。


 背筋の伸びた少女。傍付きの使用人。俺を庇った人。

 生きろと願ってくれた人。箱庭の外を見ろと、そう願ってくれた人。


 彼女は、優しい声音で、問いかけてくる。


「望むように、過ごせましたか?」


 その姿を眩しく眺めて、寄って来た“殿下”を撫でながら、俺は言った。


「……箱庭の外見たよ。地獄にしか見えなかったけど……もう、そうは思わない。サユリの言った通りだ。自由があって、責任があって、選択肢があって。振り返れば良い思い出って奴か?……最後の方は結構楽しかった」


 そう呟いた俺の手元で、砂に変わるように、あるいは影に変わるように、“殿下”は消え、周囲の何もかもも消え――やがて、そこはどこか狭い箱の中になる。


 しゃがみ込む俺の目の前に、銃口があった。俺に銃口を向ける男は、他人に銃を向けていながら一切そこに呵責を覚えていないかのように冷静で、冷淡で、絶対的で……。


 その顔を、昔から、俺は知っていた。

 離宮に居た。俺を拾った。俺を見捨てた。俺を見逃した。


 俺は復讐を望んだ。望んで、居た。……過去だ。


「あんたと話してみたかったよ。なに聞きたかったんだっけ……ああ、サユリとどういう関係だったか、とかか?後、俺の母親の事とか、結局あんたは何がしたかったか、とか……」


 そう軽口のように言った俺の前で、その男――兄と呼ぶには年が離れて、父と呼ぶには年が近い。そんな結局分かり合えない気がする奴は、何かを言う。


「――――」

「ハァ?」


 何を言っているのか、聞き取れず、聞き返した俺の前で、ソイツはまた言う。


「―――、―――――。――、―――――、――――」


 その言葉を聞こう、理解しよう、そう考える度に、周囲の景色がどこか歪んでいき、歪んだと思えば天へと昇って行き、昇ったと思えば落ちていき、そんな不可思議な状況の最中、だんだんと俺の身体が重く、痛く、のろく鋭敏に――。


 感覚が壊れていく俺の目の前で、ソイツは、“大和紫遠”はどこか唄うように――。


「――私は独――だ。大和に――て唯―、」


 *


『――皇―――名乗―権利を―つ――だ』


 声だ。声が聞こえる。ノイズのように途切れ途切れに耳朶を打つ声。


 その声に、……俺の意識は揺り起こされ、鋭敏に、どこか狂気に駆られるように、目が覚めていく――。


『この帝位が動くことはない。私は大和における唯一にして最後の皇帝となる。我が皇位を継ぐ者は、……我が手で撃った。我が妹、桜花を、私はこの手で撃ち殺した!』


 嘆くように、恨むように、同時に誇り鼓舞するように、そう唄う声に合わせて――世界が揺れた。


 轟音、爆音…………空爆の音?

 そうだ、その音だ。俺は良く知ってる。良く、その最中に取り残された。


 地獄の最中に取り残されて、生きているのが不思議なような状況に毎度毎度、死に急ぐように突っ込んで……けれど、俺は生き残った。


 復讐の為に。……いや、それを言い訳に、ただ、死ぬのが嫌で、強がって吠えていただけか。


「う…………」


 呻き声が俺の口から洩れ、鈍痛が頭の中を駆け巡る……。

 痛い。痛い。痛い。……痛みがあるって事は、俺はまだ生きてる。

 瞼を押し開ける。腕に、足に力を入れて、身を起こす……。


 頭痛にぼやける頭の最中、俺が殺したい――話してみたいと願っていた声が、聞こえてくる。


『理解している。私が罪人であると。血族の返り血でこの身を染めた蛮族であると。だが――理解した上で私は唄おう。私が正義である!この手で撃った桜花と同じく、私も平和を望んでいたと。平和を望んでいると。…………私は正義を成す!齟齬の果て流れたこの地を、この大和に流れる最後の血とする!』


 声の最中、爆炎の最中、俺は視線を周囲に向ける。


 先程殺した最後の砲撃種。それが座していた異形の塔が真横にある。周囲には血と雪と爆炎と轟音――空には幾つも、幾つもの鋼鉄の鳥が往き過ぎていき……そこから落とされる黒い雨が、地面に落ちては爆ぜ、蠢くトカゲを吹き飛ばし…………。


 それを眺めて、俺は笑った。


「……陳腐だな、」


 呟いた俺の耳に、大和紫遠の声――通信越し、あるいは爆弾と一緒にスピーカーでも投下しているのか、そんな独裁者の、復讐相手の、……そんな声が聞こえてくる。


『私は妹の血を浴びた。血族の血を、誓いを、祈りを受け継いだ!私は誓った、あらゆる手を持って大和を平和にすると。どんな手段を取ろうとも、竜を、この破滅をも我が手で破滅させると!』


 帝国軍が来たらしい。


 大和紫遠の気まぐれか。妹を殺したとか、自身が罪人だとか、……正義だとか祈りを受け継いだとか。


 どうせでまかせだろう。ただ聞こえの良い事を言っているだけだ。

 だが、――敵の敵は結局味方か。


「フ、」


 何となく笑えて、俺はまた周囲を見回す――杭はもう、全部なくなった。20ミリも置いて来てる。背中には一応、爆弾を背負っているが、それはいわゆる戦略兵器だ。


 実質俺は今武器を持っていなくて――けれど、武器が一切ないって訳でもなかった。

 すぐ傍の、雪の上。血と泥で汚れてるそこに、見慣れた大斧が突き刺さっている。


 ただただ雑に頑丈だから使ってた武器だ。別に思い入れがあった訳じゃないが……今はもう、違うかもしれない。


 手を翳し、大斧を睨み、引き寄せる――そう、念じる。

 だが、念じた途端、


「う…………、」


 鈍痛がより鋭く、俺の頭を苛んで――そして、地面に突き刺さった大斧は、ピクリとも動かない。


 ……無理したせいか。一時的に使えなくなったのか?それとも、頭の中で何かが弾けて、もう二度と使えないのか……。


「……どうだって良いな、」


 呟き、俺はその大斧の元へと歩み出す。


 爆炎が夜を照らしている。火炎と轟音が周囲のそこら中を焼き、砲撃種がいた奇怪な塔をなぎ倒し、地面をはい回るトカゲを根こそぎ吹き飛ばし――。


 その爆音をBGMに、声は唄う。

 独裁者は唄う。

 大和紫遠は、唄っている――。


『共和国軍の諸君。私は諸君らを迎え入れよう。私は諸君らを許そう。我が妹の最期の願いに従い、諸君らに恩赦を与えよう。諸君らを我が配下と認めよう。諸君らを我が戦友と認めよう。諸君らを我が民と認めよう。同じ願いを持つ同胞(はらから)と、認めよう』


 援軍が来た。

 援軍が来る前に、俺が砲撃種を全部殺した。その結果、空爆は最大限の効果を持って、地面を、トカゲを、地獄を劫火で焼いている……。


 俺は大斧の元へと辿り着く。引き抜いたそれは――刃は少しこぼれているが、まだまだ鈍器として十分使える。


 それを掴み取り、担ぎ上げ――頭は鈍痛に苛まれ、視界はまだ若干霞んでいる。


 もう俺の役目は終わったか?

 十分、働いたか?ああ、十分働いただろう。紛れもなく勲章級の戦果を立てた。


 この戦果で皇帝に謁見だ。皇帝に、大和紫遠に謁見して、サユリを見捨てたあのおっさんを……授与式で派手に、


「フ、」


 笑えるな。笑えるだろ?

 もう、やっぱり、復讐なんてしようって気は一切ないらしい。


 未練らしい未練は……そうだな。やっぱり話しては見たかったな。


 ……振り返るとどうも、俺は随分下世話だったらしい。煮え切らないおっさんの恋路に散々口出してるのと同じで、聞いてみたいのは下世話な話だ。


 大和紫遠。あんたは結局、サユリとどういう関係だったんだ?


 聞いてみたい話は、どうもその程度だ。その程度の話なら……それこそ、あの世でサユリに聞いてみれば済む。


 俺は正面を見る――眼前で空爆が、爆炎が瞬き、それに吹き飛ばされるトカゲの残骸の向こう。


 戦略目標が、あった。

 竜の巣。最期のゲート。地面の上に何匹モノ竜が覆いかぶさってドームのように、それこそさっきまで俺が跳び回ってたあの塔と同じようなモノだろう。


 のたうつ竜が固まった、異形の神殿。

 白い繊維で固められたドームと、その中腹にある地下深くへの大穴。


 その先に、知性体がいる。

 その先に、“ゲート”がある。


 もう、こんな状況になったんなら、俺がやらなくても誰かがやるだろう。

 ただ、事実として、俺が単機竜の陣地の奥に来てるから……俺がその英雄の役に一番近いところに居るってだけの話だ。


 頭が痛い――だからどうしたって話だ。

 俺が今逃げて、それでどうなる?代わりの奴がやる。代わりの奴が命を懸ける。代わりの奴が死ぬ。


 それは、気に入らない……。


 俺は、歩み出す。異形の神殿へ向けて。まだ竜が何匹もたむろしてるんだろうそこへと向けて、一人……俺の身体は、まだまだ動いてる。

 異能が無かろうが関係ない。武器が無かろうが関係ない。


 混乱に乗じて一人で動くのは得意だ。元々テロリストだぞ、俺は。


「良い子だ……」


 ……なんだか全部が滑稽に、笑って呟き、まだ動く自分を褒めてやって……。


 俺は死地へと、歩んで行った。


 冥途の土産が英雄譚だ。それは、…………悪くないだろ?

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