12章 日下部水蓮
47話 蒼炎/一人冷たく、何よりも熱く……
結局。
結局、だ。
…………皆、居なくなる。
*
奇怪な塔の頂上に、涼しく振り往く粉雪に、鮮血の雨がまき散らされる。
つい数秒前まで何匹かの竜が鎮座していたその場所に、けれど今瞬きの間に、生まれたのは奇怪なオブジェの群れ。
杭に穿たれ貼り付けのように果てたトカゲのオブジェ。
大斧によって首を落とされ崩れ落ちた大トカゲのオブジェ。
真っ赤に真っ赤に真っ赤に白いカーテンを染め往くそのオブジェの群れの中、青い鎧はその装甲を凄惨な
「…………」
喚く事はない。呻く事もない。激昂し咆哮する事もない。
ただ獲物を探す青い鎧の周囲で、オブジェの支柱となっていた杭が一斉に浮き上がり、刹那、滝のように血の雨を降らせる――。
その最中、青い鎧はふと、塔の上から飛び降りた。
――下りたその先に、血染めの杭が足場として、青い鎧を受け止める。
「……さっさと終わらせてやるよ」
することは最初と変わらない。砲撃種の殲滅。
装備が変わっただけで、水連のコンディションも大して変わらない。
変わったのは一つ――眼下に、背後に、仲間がいると痛みと共に思い出した事。
それを強く意識した事。失われる可能性に思い至った事。
――これ以上誰も、失いたくはない。そう、想い、そう、祈っている事。
祈るだけでは意味がないと、それもまた痛い程知っている。
無理をしよう。そう、水連は思った。
無理をすれば、速く済ませればそれだけ、味方の、仲間の被害が減る。
だから――。
宙に立った青い鎧は、左手の杭を天へ向け、躊躇うことなくそこにある全弾、宙へと放つ。
放たれた杭は疎らに周囲へと散り、けれどその自由落下が直後、見えない手に掴み取られたかのように全て一様に、ぴたりと動きを止める。
瞬間、
「――ッ、」
水蓮の頭に、何か、血管でも千切れたような音が、痛みが響いた。
異能は日々、使い慣れていた。使えば使う程新たな使い方を覚え、効果範囲が、同時に動かせる数が、増えてはいる。けれどその変化はあくまで徐々に、だ。
一つ試して次へ、一つ慣れて次へ、そうだんだんと、水連は異能の使い方を学び、それを実践していっていた。
だが、今ここはもう終の舞台。
今更出し惜しみも、安全策も、試しも慣れも必要ない。
これまで試していない規模で、強さで、異能を使う。意識を細分化するように、何本もの杭その全ての位置と向きを把握しそれぞれ別個に動かし回す――。
タガを外したのだ――痛みはその対価だろう。
だが、その対価を支払うだけの価値が、水連の役割にはある。そう、信じ、青い鎧は何本もの杭を舞わせ、踏み、跳ね――痛みの最中今この瞬間も使い方を無理やり学び……。
そして、
再び蹂躙を始めた青い鎧――その視界の先には、次の塔、次の獲物が映り込んでいた。
*
離別には慣れてる。
……人生に離別が多過ぎる。
嘆いたって、……どう叫んだって、それはもう過去だ。
拭い難い、覆せない、現実だ。
*
雪が、止んだ。
一面、白銀の紅化粧。硝煙絶叫屍の群れ、ふと見通しの良くなったその地獄の最中、太刀を握り竜へと躍りかかるオニは、ふと――。
溶けた。
断末魔も何もない。ただ突然撃ちおろされた青白い閃光がその場を呑み込み、光が消えた後にはもう、何も残らない。
――その更地に、次の兵士が、あるいは対面の竜が、即座に踏み込む。
太刀と尾がぶつかり合い、銃撃が竜を穿ち、青白い光が人間を消し去り――。
「怯むな!前線を維持しろ!」
「FPAはどうした!雪が止んだ、目視できるだろう!早くあのクソゲロ野郎を――」
「――クソ!さっさと砲撃種を、」
絶叫が、消える。
断末魔が牙に呑み下される。
半狂乱の気合の声が、尾に貫かれ潰える。
見渡す限りそこら中、雪原を赤く染める地獄の乱戦。太刀握る腕が跳ね跳び転がり、その上に竜の死骸が折り重なり、それら全て踏み越えて迫る単眼の群れに、兵士はただ、ただただ抗う他にない。
「退避だと!?馬鹿を言うな、今退いたら――」
「うわあ、ああ、ああ……嫌だ、止め、」
「クソ、クソォォォッ!」
南部攻撃部隊。精鋭ではない、主力部隊。そこには乱戦と混乱と狂騒が満ちていた。
通信機器が死んだことで、指揮系統の質が下がったのだ。命令と願望は錯綜し、逃げかけた背をトカゲが抉り、抉った竜を別の人間が抉り――。
幾度も幾度も幾度も繰り返される殺し合いによって、雪原は剥げ赤黒く、前線の兵士は士気を失う寸前で、狂し続けていた。
目の前の単眼の濁流。終わりの見えない地獄――だけではない。
青白い閃光は、躱せる奴がオカシイのだ。
もはや目を付けられないことを祈る他ない、地獄。閃光に灼かれる事を恐れながら、すぐ目と鼻の先にいる
その恐慌は時が経つ毎に増し、もはや前線を維持し切れるその瀬戸際まで、兵士の心は壊れ往き――。
だから、すぐにその変化に気付いた者は、居なかった。
一瞬が無限のような、永劫続く地獄の最中で、周囲に目を配れるのはやはり怪物だけ。怪物ではない兵士達は、一瞬一瞬刹那の度に、自身の生存に歯を鳴らし、また迫るトカゲへと抗い――。
やがて、その地獄の最中、――救われた後に誰かが気付く。
「……砲撃が?」
――いつの間にやら、永遠と撃ちおろされていた青白い閃光、それが消えていると。
一人が気付き、その呟きに、すぐ目の前の地獄しか見えていなかった兵士の視線は、次々上がっていく――。
紅色の雪原、それを見下ろし、そびえたつ奇怪な塔の群れ。
ついさっきまでそこに鎮座していたはずの青白い巨竜が、けれど今はもう、真っ赤なオブジェに変わっている。
誰が?――誰ともなくその姿を探し、あるいは歴戦の兵士だ。半人半鬼の黒い鎧をその曇天の最中探した者もいたかもしれない。
だが、その視線が捉えたのは、別の人間だ。
青い鎧が、宙を跳ねている――。
跳ねて動いたその末に、奇怪な塔、砲座の真上――そこに鎮座する巨竜が一つ、真っ赤なオブジェに変えられて、その周囲で、血の色の杭がオブジェを増やす。
青い鎧――否、返り血で半身が赤く染まったその鎧は、今、砲撃種の首を切り落とした大斧を、鮮血の尾を引きながら、肩に担ぎ直した。
それはどこかたなびくような光景だ。
鮮血の斧が旗のように、蒼を朱に染め変える炎のように。
“夜汰々神”。
鮮血の旗を担ぐ化身。
敵を蹂躙し続けるソレは、眼下を眺める気配すらなく、また空を駆け、次の獲物を探しに進む――。
「「おおおおおおおおおおおおおお!」」
誰ともなく、否誰しもが、不意に雄たけびを上げ竜の最中へと挑んでいく――。
砕けかけの士気に、炎が灯る。
地獄の最中に希望を見出す。
生存の希望を。勝利の希望を。破壊神が、守護神が、まだ味方に付いていると――。
*
母さんが居なくなった。居なくなったことを、その時の俺は理解できなかった。
サユリが居なくなった。俺の目の前で、ミートソースに。
エンリが居なくなった。気づいたら、二度と会えなくなっていた。
扇奈が倒れた。間に合ったのかもしれない。間に合わなかったのかもしれない。
鋼也が、桜花が……結局、幸せな結末には辿り着けなかったのか。
*
ノイズでも走ったような痛みが、脳裏を奔る――熱に魘されるような、耳鳴りに近いような、頭の中で血管がはちきれたような、そんな、痛み。
それを完全に無視して――。
「…………慣れて、来たなァ、」
――呻くように呟くスイレンの周囲で、幾つもの血染めの杭が踊り舞う。
もはや塔に降り立つ必要すらない。呟いた水蓮の周囲で、散らされっぱなしの杭が幾つも、ひとりでに動いては視界の先の砲撃種を、その護衛を、串刺しに蹂躙する。
異能、血筋――遺されていた力。使えば使う程にその制御は練磨され、練磨し最適化される度に頭の中で痛みがたわむように喚く。
有効範囲が伸びる――いや、無理やりにでも伸ばす。もはや塔から塔へ跳び回る必要すら薄く、青い視線が捉えた先に、杭は勝手に飛び交い、勝手に蹂躙し、――その負荷に耐えかねるように頭の中は喚き出す。
けれど、やはりそれを無視し、蹂躙をし続けながら“夜汰々神”は戦場を駆け抜ける。
ソレは、
寒気に、水連は宙で背後へ跳ねる――跳ね、宙に突き刺さった大斧にぶら下がる水蓮、その眼前を青白い閃光が通過していく。
視線を向ければ、砲撃種の口が眼下の兵ではなく、水連を向いていた。
それを、青い目が眺めた瞬間に、周囲で踊っていた杭がひとりでに、盾突いて来たその敵を蹂躙しに飛んでいく――。
視界の先で真っ赤な噴水。それを作った直後に、杭の群れは躾けられた猟犬のようにすぐさま、水連の元へと帰ってくる――。
「良い子だ、」
呟き、青い鎧はまた別の獲物を探す――探すのに難儀するほど、その獲物の数は減って来ていて、そして。
――悪寒に飛びのけば、呪いのように執着した直感に従えば、目の前を閃光。
その先に視線を向ければ、獲物は当然そこにいる。
そこへと、青い鎧は駆け、殲滅し蹂躙し、もはや新たに返り血を浴びる事すらなく、曇天のした、加速度的に砲撃種を殲滅していく――。
*
俺だけが残っている。それを呪った。呪って生きて来た。
復讐を願い。
ネジを外して。
もうこれ以上何も失いたくないと、だから初めから何も手に入れないようにして。
そうやって一人、生きて生きて生きて……。
けど、どんなに
ただ失っただけじゃない、という事も、わかった。
残っているモノがある。
悼む事を知った。
生かして貰えて来たんだと、結末がどうであれ手元にはずっと残り続けるんだと、知った。
だから、そうやって恩を受けて、生かして貰って、その果てに今俺がここに居るのだから。
俺は今、俺のすべき事をしよう。俺の手で拭える全てに報いよう……。
*
すぐ目の前、手を伸ばせば届く距離にいる砲撃種の首を、大斧が撥ね飛ばす。
そのすぐ周囲で、直掩の装甲種が、杭に抉られ不出来なオブジェとかす。
視界の端、右の端、別の塔の上で、見えない腕に振り回された数多の杭が、砲撃種を、その直掩を磔刑に処し、不出来なオブジェに変える。
視界の端、左の端、別の塔の上で、見えない腕に振り回された数多の杭が、砲撃種を、その直掩を磔刑に処し、不出来なオブジェに変える。
3か所同時。3か所同時に殲滅した直後――
(……あと、一匹、)
青い瞳は血に憑りつかれたように、残る最後の砲撃種、この竜の防衛陣地の最奥の塔を睨み付ける――。
――直後、また、頭の中で何かがはじけたような、そんな音のような痛みが鳴り響いた。
「…………ッ、」
痛みに呻き、我に返るように――周囲全体に肥大していた異能が、意識が一瞬、途切れる。
「クソ、」
直後水蓮は呟き堪え、その身動ぎに合わせるように、方々に散っていた杭が落ち掛け、けれどすぐさま立て直し、水連の元へと帰ってくる――。
熱病に魘されたように、執念に憑りつかれたように、静かに、だが明確な殺意を持って歯を食いしばる水蓮の周囲で、戻って来た杭の群れが血の滴りを垂らす。
いや、そう鮮血が垂れているのは水蓮の頭の中だろうか?
…………だとしても、構わない。
「ッ、」
青い鎧は、塔から飛び降りた――その足の下で受け止めるように杭が止まり、直後弾き上げるように、同時に蹴り飛ばすように、青い鎧は宙を次々跳ねていく。
――視界の先、最後の塔。その上にいる砲撃種が、目視出来た。青白い閃光を背に溜め、咆哮でも上げるかのように大口を、瞬くそれを水蓮へと向け――。
跳ねる――跳ねた足の下を青白い閃光が通過し、けれど水蓮はそれを見る事すらなく、青い瞳で砲撃種を睨み続ける。
その執念。その殺意に突き動かされるように、杭の群れは一斉に塔へと、その上の砲撃種へと迫っていき――。
と、だ。
ふと、その杭の群れと砲撃種との間に、いくつかの影が割り込んできた。
竜だ。黒い、墨のような体色をした、空を飛ぶ竜。
ついさっき扇奈を――仲間達の脅威となったのだろう、その生きた特攻爆弾の群れ。
それが、飛来する杭に自ら身を躍らせ、突き立てられ、突き刺さった直後――
爆ぜる。
一瞬で幾つも、杭に貫かれた黒い竜が爆ぜ、その威力によって、水連が放っていた杭もまた、四散し残骸となり眼下へと落ちていく――。
漸く、……漸くだ。竜は
悪くない案だろう。だが、
「……今更遅いんだよ、」
呟き、水連はまた、宙を跳ねる――。
自爆する黒い竜、その群れは牙を剥き出し、水連へと飛来してくる。
そこへと、水連もまた正面から近づき――そう跳ねる水蓮を追い越すように、杭の群れが黒い竜へと飛び、その口を羽を、射貫き抉り爆発と共に消え去っていく――。
爆発が一つ起こるたび、水蓮の脳に衝撃のような痛みが奔る。
タガを外し過ぎたのかもしれない。子細に繊細に、全ての杭を自在に操ろうとしている内に、杭が受けた衝撃まで感じ取る様になってしまったのか。
だが、どうだって良い。
視界に移る黒い竜が、杭が絡み合い爆ぜる度に死んだろうな痛みが水蓮の脳裏を奔るが――。
「――どうだって良い!」
最後の爆発。4本同時、4回同時に爆発に呑まれ死んだかのような錯覚が水蓮を襲い、けれど、“
爆炎の最中へ、最後の一本、最後に残った足場を蹴って、水連は突っ込み、突っ切り――その煙の果てに
背中が輝き始めている。その大口が持ちあがる。閃光が水蓮へと放たれかけ――
――けれど、その口がふと、横から殴られたかのように、逸れる。
足場にした最後の一本。それが水蓮を追い越し、横合いから砲撃種の頬を穿ち、その衝撃で逸れた口から閃光――
――閃光が水蓮の真横の空を抉っていく。
溶けるような灼けるような熱線を真横に、その熱を感じつつけれど焦がされる事無く、水蓮は頬を貫かれた竜の手前、奇怪な塔の上に着地する。
直後。
振り下ろした大斧が。
遮二無二突っ込んだ破壊神の戦斧が。
目の前にある首を断ち、真っ赤な血が眼前を覆い隠す――。
砲撃種の身体、もう死骸となったそれから、閃光と血が散り、首がごろりと足元に落ち……。
「これで……」
直後、水連はめまいでも起こしたように、ふらついた。
杭が、無理に使っていた異能の負荷が、消えたからだろう。脳裏にあった痛みは鈍いモノへとわずかにやわらぎ、和らぐと同時に疲労なのか、くらりと血の味と匂いが鼻腔をくすぐる。
眠気に近い気だるさが身体にあった。だが同時に、アドレナリンがその眠気を阻害し、ふらつくだけで水蓮は立ち続ける。
「…………全部、」
全部殺した。砲撃種を全部、倒した。……後は巣だけ、巣の奥まで踏み込んで行ってゲートを壊すだけ。
それで、水蓮の役目は終わる。
この命ですべきことは、終わる。
「…………フゥ、」
一つ息を吐き、水蓮はゲート――それがあるのだろう場所へと視線を向け掛け……けれど直後、脳裏に疑念が宿った。
今の、最後の砲撃種。その直掩の、装甲種が居ない。居ても無駄だと悟って逃げ出したのか、それとも……。
そう、考える余裕も必要も、なかった。
息を整えた水蓮の眼前に、ソレが現れた。
黒い、竜。生きた特攻爆弾。それが、砲撃種の羽の影から、するりと現れ、その単眼が水蓮を見る。
扇奈は、姐さんは毎度言っていた。知性体は性格悪いと。
砲撃種を全部殺されたのは、知性体としても誤算だろう。この対応策も、たった今思い付いて、試しているのだろう。さっきの杭を壊すのも、その試した手段の一つで、そして同時に、あれはダミー。
アレで終わりと思わせた上で、本命がこうして目の前にある。
狩人が最も油断するのは、獲物を殺した瞬間。
その瞬間を狙うように、一匹だけ、巨大な砲撃種の影に、隠れていたらしい。
「……ブービートラップ、」
呟いた水蓮の前で、黒い、小さな竜は嗤い――そしてこう、鳴いた。
「――ヤマトノタメニ」
直後、水蓮の眼前を、爆炎が、呑み込んだ――。
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