46話 覚悟/静かに燻ぶり……

 吹雪が弱まり始めたか……後方から眺める戦場の様子は、つい数時間前までよりも見通し易く、指揮官の目に移った。


 オニが前面に、竜の群れと殺し合いを演じ、その後方からヒト――FPAが援護射撃を行っている。


 竜が組み合って出来上がったような奇怪な塔、その上に砲撃種は未だ何匹も健在で、その口から吐き出される死の光が、今この瞬間も前線の兵士を、弱り始めた吹雪を溶かしている――。


 ハーフエルフ――この南の部隊、主力部隊の指揮を執っている男、リチャードは、その光景を遠く、本陣から眺めていた。

 

 侵攻は遅々として進んでいない。元より覚悟の上だったとはいえ、攻める毎に自軍の被害が増し、勝利が遠のいていく。


 主力であり、おとり。2正面作戦。どうにか竜の注意を分断し、この主攻と北部の精鋭、どちらかが突破する事を期待する作戦。


 こちらの戦況が芳しくない以上、北部から攻めている精鋭の働きに期待したいところだが――。


 そう、思案するリチャードの背後に、ふと、人の気配があった。


 白装束のオニ――通信機器が機能不全になっている今、前時代的に運用する他になくなった伝令部隊の一人。

 それが、リチャードの背後で傅いている。


「なんだ?」


 振り向くことなく問いかけたリチャードに、白装束のオニは言う。


「たった今報告が。……北部の遊撃隊に損害が発生したそうです。部隊長が負傷、後退。残存部隊はすべて殊洛様が率い、このまま作戦を継続するとの事ですが……」


 部隊長――扇奈が負傷して交代する羽目になったらしい。

 それを聞いても、リチャードの冷静な表情は変わらず、けれど内心には舌打ちしたいような気分が広がった。


 扇奈が欠ければ、北部の部隊の殲滅力は半減するだろう。部隊の士気を調整するのが上手い指揮官だ。殊洛の能力がそれに劣っている訳でもないが、扇奈の部隊は特殊だ。部隊長が居なくなればそのまま更に大崩れもあり得る。


 殊洛の部隊だけで竜の陣地を突破してゲートまで破壊できるか?


 殊洛に聞けば出来ると答えるだろう。だが、それが実現するかどうかは怪しい。疲労や補給の問題もある。


 こうなると、北部の遊撃部隊に頼るのは現実的ではない。

 だが、この南の主攻で正面から竜の陣地を破壊できるかと言えば、そもそもそれに現実味がないから2正面作戦を決めたのだ。


 一度全軍退いて作戦を練り直すか?……それもまた勝ちの目が薄いから、こう急いて事を進めている。


 こちらが引けば竜は戦力を整えるだろう。陣地の拡大のスピードが尋常ではなかった。早急に潰さなければ共和国軍に勝利の目はない。


 士気の問題もある。今はまだもっているが、そもそも共和国軍は桜花に同意した軍隊。


 それを切ってまで、存亡を欠けて挑んだ戦に敗走となれば、賊軍の常として離反が多発しかねない。


 更に、帝国――大和紫遠の事もある。東京を包囲した帝国軍がそこで用事を済ませば、その軍備はそのまま共和国軍の背後をつくことになる。


 北部拠点南部拠点それぞれに兵力と指揮官を配置して抑止はしている。が、それだけの部隊で帝国を抑え込め訳もない。


 帝国が動く前に、士気がくじける前に、竜がその規模を広げ切る前に、この桜花作戦に勝利する必要がある。


 が、このまま事を進めた場合、その共和国軍として得られる唯一の活路は……。


 戦場を眺め、リチャードは投入可能な予備兵力とその有効性について思案し、全軍の動きを思案し……そこで、いきなり、独り言のように呟いた。


「なんだ。……アイリス、わかってるだろうが今は……」


 一人、その場にいない誰かと話し、その話に耳を傾けた末に、リチャードは冷静な表情をわずかに崩し、眉を顰めた。


「何?信用できるのか?……どちらにせよ、か。わかった」


 そう、その場にいない誰かとの会話を終えて、リチャードは背後、白装束のオニへと振り向いた。



 北部遊撃部隊――その後方、戦場から離れたその場所に、テント群があった。

 共和国軍北部拠点と、竜の陣地奥深くへと攻め入る精鋭部隊との連絡地点、簡易拠点。


 仮設、と言うすらおこがましい程のただ必要最低限、医療テントと弾薬類のコンテナがあるだけのその場所に、青い鎧は立っていた。


 開かれた鎧から半身を出し、煙草を咥え、紫煙越しに青い目が眺めるのは、医局――。


 水連は一旦、後方まで退いてきたのだ。前線に部隊を置いて、水連1人が。

 もちろん、独断専行という訳ではない。


 そう、命令を受けたのだ。扇奈の部隊の指揮を受け継いだ東乃守殊洛から、負傷者を連れて一旦後退しろ、と。


 同時に、装備を変更しろとも。扇奈の負傷でプランがずれた、ゲートの破壊まで目的に入れろ、お前が倍働け、と。


 殊洛の目の前で、エルフの異能を使って竜の大群を蹂躙したせいか。痛く気に入られてしまったらしい。


 その荒い人遣いに今更文句があるはずもなく、だからそう佇む水蓮の背後で、整備兵が装備を換装している。


 ゲート破壊用、と言っても要はそれ用の爆弾を担ぐってだけの話だ。物々しい設置式の爆弾が背中に固定され、その代わりに、エルフの異能と玩具バンカーランチャーが便利過ぎたせいで結局使わないだろう、20ミリとその弾薬を外す。


 それを背に、煙草を咥える水蓮の横で、ふと現れた白装束のオニが地図を手に言う。


「伝令です、日下部水蓮。確認できている砲撃種の配置はこれです。撃破優先順位をリチャード様が決定しております。あくまで随時自己判断を優先しろとの事ですが、南部の戦況は芳しくない。可能なら優先的に――」


 紫煙と共に、水連はその指示に静かに耳を傾け、その話を終えた直後に、今度は整備兵が声を投げてくる。


 作業を終えたのだろう。

 整備兵は水蓮に爆弾の使い方のレクチャーを始め、水連は遠い戦闘の音を聞きながら元から知っているそれの知識のすり合わせ、確認を行い……。


 その末に、世間話のように整備兵は言う。


「頼むぜ。……東京は完全に落ちたって話だ。帝国軍がこっちに来てるらしい。なんとかその前に……」

「ああ。挟撃は避けたいもんな。……おっさんと、お人形、あ~、スルガコウヤと桜花様は?どうなったって?」

「…………」


 整備兵は、答えない。

 ……それが何よりの答えなんだろう。


「そうか、」


 それだけ呟いた水蓮の背を軽く叩き、「頼むぜ、」と言い捨てて整備兵は下がって行った。


 と、だ。そのタイミングで、ずっと見続けている医療テントから、人影が水蓮の元へと歩み寄ってくる。


 ミカミサユリだ。こんなところまで来る当たり、わかってはいるがこいつはよほど働き者なんだろう。

 そんな思考を片隅に、すぐさま、水連は問いを投げる。


「アイツは?扇奈は、どうだ?」


 問いを投げた水蓮を前に、ミカミサユリは僅かに、視線を逸らし、……それから、意を決したように言う。


「……ここの設備では、結局応急処置しか。直ちに命に係わる、と言う状態ではありません。けど……」

「そうか、」


 また、それだけ。妙に静かに、水連は相槌を打った。

 ミカミサユリが言いづらそうにしてるのは、結局、待ってみても朗報話だったって話だろう。


 少なくともまだ死んではいない……そう言う他にない、状態。


 煙草を咥えたまま、水連は空――弱まり始めた雪空を見上げ、紫煙を吐き、それを眺め……やがてきっちり、育ちの良さに背を押されたように、火の消えた煙草を携帯灰皿に仕舞い込む。


 それから、水連はミカミサユリに言った。


「ああ、そうだ。頼んどいたよ、お前の兄貴の事。アイリスってハーフエルフだ、まあ知ってるよな?そいつに聞いたら、調べが済んでりゃ教えて貰える」

「は、はい。…………あの、」


 言いかけたミカミサユリを遮るように、水連は“夜汰々神”の装甲を締め、一瞬の間をおいて、視界が肉眼からHUDに切り替わる。


 その一瞬の間の内に、ミカミサユリは、投げかけた言葉を呑み込む事にしたらしい。

 彼女は敬礼し、


「ご武運を」


 それだけを、口にした。

 それに、水連はただ頷くだけで、背を向ける。


 見上げる先に、止みかけの吹雪の向こうに、戦場が見える。

 その終の舞台へと、日下部水蓮は歩み出した。


 一人、雪に足跡を残して……。


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