45話 紅染/強くて脆い女
「ふ~ん、なるほど。つまり、アレだね。……君は衆目を気にし過ぎているんだ。いや、気にせざるを得ないのかな」
それはいつの事だっただろうか。
今でないことは確かだ。もういないはずの白衣のオニが、すぐ傍の椅子に座り込み、紫煙を燻らせているから。
ずっと昔、って程昔でもないだろう。扇奈はその白衣のオニと、そう長い付き合いって訳でもない。
戦場の後ろの方で、出会ってみたら妙に居心地が良かった。なんだか話が早かった。意気投合、と言う程ではないだろう。だが、何かが似ている気がした。
「繊細さが極まった結果、豪胆に見えている。傍目には芯がある様に見えて、けれど結局、本人からすれば周囲の望むように振舞っているばかり。そうじゃないのかい?」
そう言った白衣のオニに、扇奈は頬杖を突き、詰まらなそうに言う。
「カウンセリングしてくれって頼んだ覚えはないよ?」
「そう言われても、もう癖のようなモノでね。君が“姐さん”でいるのと同じだ」
言ったエンリを横目に眺め……やがて扇奈は言う。
「処世術だよ。立場上の、すべき振舞い、周囲への見せ方。ああ、なんて言うんだっけ?」
「ペルソナ」
「そう、そのペルなんとかだ。癖って訳でもない。あたしはわかってやってる」
「わかって一々貧乏くじを引いてるのかい?」
「回ってくることが多いってだけさ。自分で引いてる訳じゃない」
「どうかな。回ってくるくじは、本当に貧乏くじだけかい?自分で貧乏くじに変えているだけじゃないかな。君が自己の幸福を探求しようとせず、周囲に無償で奉仕しようとするから」
「聞いてる限り、良い女じゃないか」
「芯が本当にあるならね。無いなら結局、自分を滅ぼすだけだ。無辜の奉仕の根源は何かな?何かしらの贖罪?」
「…………」
「聞き出そうって気はないよ。君は賢い。だから、」
「ああ。自分でわかってるよ。……もう、言うな」
そう、その時、そうやって、扇奈は言葉を遮った。
わかっている。ずっとわかって振舞っている。
妹がいた。弟がいた。二人共姉を慕って、姉の後を追って従軍した。
庇ってやれると思っていた。
庇ってやれなかった。その場に居合わせる事すら、出来なかった。
戦争だ。
戦争の中、“姉さん”だけは生き延びて……。
*
ぐるぐるぐるぐると、耳の中で何かが喚き続けているような遠鳴りがずっと、頭の奥から響いてくる……。
「―さ―!姐―ん!」
横で喚いているのは誰だ?部下だ、部下のオニ。さっき庇った奴。その周囲にも部下の姿がある。
太刀を手に、銃を手に、竜へと立ち向かっている。
その表情は、いつになく深刻で、それを、自分は今、這いつくばって朦朧と、見上げている。
冷たい、冷たい……この冷たさは、地面、雪、冬に凍らんばかりの血と地と、そこに這いつくばっているからこそ背筋を凍らせる冷気。
記憶と意識が混濁する――朦朧と朦朧と耳の中で爆発の余韻がぐるぐると喚き、その音に潰されるように片側の耳から音が入ってこない。
鼓膜が破れた。片方だけなら問題ない。他は?
朦朧とした身体は、意識した直後にその異変を痛みとして認知させる。
指、腕、肩、足、身体……体中が痛い。至近距離でもろに自爆を食らったせいだろう。四肢がちぎれ飛んでは、いないらしいが……。
冷たい冷たい冷たい地面に、温みが混じる。血、……ほかでもないこの身体から流れ落ちていく血。それが温い……。
「姐さん!」
眠いったりゃありゃしない。朦朧とした意識は痛みすら呑みこんでまたすぐ眠りに落ちそうだ。横で必死に叫ぶ部下が、その声がかんかんと頭の中に響く。
周囲には銃声と悲鳴が溢れている。その音が、現実がやけに遠く、くたびれ切ったように瞼が重い。
眠ってしまおう。そう、……想った訳ではない。身体が勝手にそう判断した。
意識が持たず、瞼はゆっくりと落ちていき――。
閉じかける刹那。
見えた。
まき散らされる血が、見えた。
えぐり取られる部下の姿が、見えた。
尾が、オニの――部下の、あたしが庇ってやらなきゃいけない奴を貫き、血をまき散らしながら持ち上げ、投げ飛ばす。
地面に落ちた部下は、もう、動かない。
もう動かない部下を、仲間を、――怪物が眺める。
単眼の怪物。人類の敵。竜。爪があり牙があり尾があり身体中血塗れで、――えらく気色の悪いクソ野郎。
ふと、その竜が、寒さに震えたように身動ぎして、こちらに視線を向ける。
単眼、巨大な目がこちらを眺める――そこに映っていたのは、立ち上がったオニ。
紅羽織――その地の色を自身の血で尚紅く染めた凄惨にして麗美な女。
鬼は、嗤う。
愉しくもないのに。
ずっと苦しいばかりだと言うのに。
昔から張り付けっぱなしの貌が愛想よく嗤う。
――――壊れたように。
「ハハ、」
*
情を捨てて生きようと思った。嗤った貌を張り付けて、姐さんは今日も明日も明後日も、ずっと元気にトカゲ狩り。
けれど情が戻っちまった。
帝国のガキを拾った。帝国の皇女を拾った。立場の割に若いガキ。
弟を思い出す。妹を思い出す。嗤った貌に亀裂が入る。
気付くと情を入れ過ぎて、気付けば、親愛だか恋心だか良くわからないモノが胸中に。
それを抱えて生き抜いて、姐さんとして振舞って、また別のガキを拾い、それと別れてまた会って、また道分かれてまた出会い。
ふと気付けば、ガキ共は大人になっていた。
扇奈はオニだ。ガキはヒト。見た目はほとんど同じだけれど、時の流れは違ってる。
置いてけぼりに遭ってるような、そんな寂しさを裏側に、姐さんは豪胆に嗤い……。
*
その戦場は完全なる乱戦になっていた。
連携がちぎれて、人間が竜に各個撃破されて行くような、状態。
要因は幾つかある。
飛行種――飛んでくるそれに足止めを食らった。ただのそれなら問題ないが、性質のっ悪いことにそれは自爆と言う選択肢を持っている。
一気に襲い掛かり降り注いできたその奇襲染みた特攻の波に、扇奈の部隊は大きな被害を出し、何より――一瞬でも部隊長が倒れてしまったことが仇になった。
絶対的な指揮官のカリスマが士気に大きく関わっている部隊だ。その象徴が倒れた際の混乱、たとえ一瞬だけだったとはいえその瞬間部隊員全員が陥った思考停止のつけが大きかった。
同時に、それを見計らったかの様に、前後左右から竜の群れが、この部隊へと突撃を仕掛けて来た。
竜が戦術的に足止めと包囲殲滅を実行した。ある意味で、人間が空爆と歩兵によって竜相手にやり続けた戦術を真似られた形だ。
計画的な反攻は絶大な効果を示し、扇奈の部隊は大打撃を被った。
その援護にと、殊洛の部隊――金色の鎧も動いてはいるが、そちらはそちらで竜に遮られて助けに行くことも出来ず。
――鬼が嗤ったのは、その最中。
其処は果て無き地獄の舞台。
血風紅雪吹雪いて舞って、硝煙揺蕩うその間すらなく、音響く度命潰える。
方々には屍の群れ。剣折れ落ち倒れる和装。胸甲穿たれ風穴が空き、だらりとただ永劫に佇む鎧。あるいは千切れた竜の躯。爪、尾、牙、羽、砕かれた眼球。
その須らくを踏み抜いて、異形の濁流が抗う者を呑み込んで往く――。
見慣れた地獄、無情にして永劫の
囚われたように魅入られたように、その場に立った鬼は嗤い踊る。
「ハハハ、」
紅装束の裾が踊る。眼前、真横を流れたその朱色、眺めている間に竜の首は、視野は、斜めに転がりぽとりと落ちて、落ちたそれが鬼に踏み潰される。
「ハッ、」
嗤う――朦朧と。もはや潰えかけた意識の最中、身体ばかり鬼は暴れる。
眼前に次の獲物が見える――竜が2匹涎をまき散らして駆け寄ってくる。
何をさせることもない。そのうちの一匹へと右手の太刀を差し出す。突き出された白刃が、勢いのまま飛び込んできた竜の眼球を、脳髄を貫き串刺し宙に浮かべ、その真横でもう一匹が足を止める。
尾。刃のついたそれが目の前を踊り、その死を前に、
「ハッ、」
嗤う他にない。
小首を傾げて愛らしく嗤う。嗤うその真横を尾は通過して、髪が数房散り、頬がわずかに裂け、けれどそれをまるで意に介すこともなく、無手の左が一歩と共に、竜の懐へ差し出され、細指が撫でるように竜の首を掴む。
パキリ、あるいはぐしゃりと、竜の首が真横に傾き、その怪物はぐったりと、一人の鬼に投げ捨てられる。
そしてオニはまた歩む――。
死屍累々を踏み越えて。
――死屍累々を生み出して。
*
あたしは変わりたかったんだろう。ガキどもが、気付けば見上げるように変わっているように、変わりたかったからフラれに行った。
なるほど、確かに、自分で貧乏くじに変えてんのかもしれない。
フラれて安心するってのは、ずいぶん変な話だろう?
まったく。あたしはなんなんだい。
まあ、何だ。気分良く先に進みたかったのさ。
戦争を終えて、その先に。未来に、明日に、全部が全部に蹴りつけて、気前も気風も良く今度こそ、……贖罪終わったあたしの人生を、ってね。
…………結局あたしも、最後の最後に竜を舐めたって話か。
終わってないのに終わった気で居た。そのつけが、この有様。
*
意識なくだが意思だけは固く、オニの女は戦場を歩む。
竜の亡骸を生み続け、切って切って切って捨て、地獄で紅く舞い踊り続ける。
彼女は自分で気づいていない。
細腕に握る白刃が既に半ばで折れていることに。
あるいは、それを振るう躰の方も、もはや限界を超えて折れているに等しい事に。
それこそ手榴弾を間近で食らったようなモノだ。
片足はもう折れている。片腕にはヒビ、ろっ骨もまた折れ曲がり、呼吸の度にひりつくような痛みが背筋を凍らせる。
身体中には、裂傷。
――紅い紅い傷口は、隠すための色合いの紅羽織に命が対価の彩を添え続ける。
朦朧と、瀕死で、戦い続ける。
本能か、習性か、あるいは習慣か。
自身が折れなければ部下もまた折れない。そうなる様に女は努めて来た。
方々で咆哮が上がる。竜に蹂躙されながら、竜を蹂躙する兵士達。各個撃破に晒されていた部下達が、遮二無二にでも旗頭の元へ集おうと奮起し、
――やがてそれが、朦朧とした扇奈の視野にも入り込む。
「……捨てたもんじゃないね」
何に対して、どうして、何を考えてそれを言ったのか、扇奈自身でもまるで分らず、ただ、そう呟いた所でそう、何か気が抜けたのか。
あるいは瀕死の体が、遂にその限界に達したのか。
ふと、膝が折れる――体が崩れ手が地面に付き、そこで初めて、扇奈は自分の握っている刀が折れている事に気付いた。
「まったく、」
呟いた扇奈の身体に、影が落ちる。
ふと視線を向ければ、いつもいつもいつも見慣れていた怪物の姿がすぐ真横にある。
その単眼に自分の顔が映り込む。
――疲れ切った女が、扇奈を見ていた。
*
これがあたしの最期か。
そう思う事は何度かあった。
その都度、それで良いような気がどっかでしてた。
終われば楽になるんだ。何もかもすべて、戦争も、生き方も、目の前にあってずっと自嘲し続けるすべてのしがらみも、なくなる。
それは楽な話だろう。
――そう思った直後に、けれど身体は生きたいと吠える。
死にたくないと。
…………死んでやるべきじゃないと、吠える。
寂しいだろう、居なくなったら。あたしはその寂しさを良く知ってる。
だから、
*
「……いなくなってやんないよ、」
――眼前で鮮血が舞い散った。
すぐ横で尾を振りかぶっていた竜、疲れた女をその眼球に映していた竜、そこに映った誰よりも気に食わない自分自身ごと、折れた刃が抉って穿つ。
それが本当に最後だ。もはや太刀を握る力すらなく、今殺した竜と一緒に、扇奈の身体は崩れ落ち――。
そんな倒れた女の元へ、トカゲの群れは地を雪を死骸を惨状を踏み散らし殺到する。
地に伏せ、しゃがみ込み、ただそう自身を呑み込もうとする竜の濁流を眺める事しか出来ず――。
その視野を、銃弾が奔った。
銃弾を受けた竜が転がり倒れ、それと入れ替わるように、部下が眼前に入り込む。
その光景は一つではなかった。
一人、一人と、濁流を潜り抜けてここまで辿り着いてきたのだろう。銃を刀を手に、口々に姐さん姐さんと声を投げながら、部下が周囲に集ってくる。
元々、歴戦の集団だ。もはや指示せずとも勝手に陣形を組むほどに、地獄を潜り抜けた仲間達だ。
その状態はもはや関係ない。指揮官が中心に居さえすれば、それは軍隊として、一個の部隊として機能する。
周囲で統率の取れた銃声が響き始める。周囲に部下の背中が見えて、それが竜の濁流をせき止め穿ち続け――。
そうやって部下に庇われて、途切れかけの意識の中眺めるばかりの扇奈の視野に、やがてソレが映り込んだ。
その姿に、扇奈はふと、呆れたように笑みを零す。
吹雪の最中、何かが空から落ちてくる。それは、――杭だろう。扇奈の友人が、クソガキが使っていた武器。それを、いつの間にか受け継いでいたらしい、クソガキ。
何本もの杭が宙を舞い、周囲を埋め尽くす怪物の濁流に突き刺さり、鮮血と雪と地面と死骸と、それらが掘り返されるようにえぐり取られ、――その直後に、青い影が、扇奈の目の前に振って来た。
若干、その装甲に傷が見える。無茶でもしたのか、あるいは自爆を食らいでもしたのか。
だが、それでもまだまだ元気そうに、青い“夜汰々神”は大斧を肩に担ぎ、扇奈に視線を向ける。
それを前に、呆れたように、扇奈は呟いた。
「……あんた、自分の役目はどうしたんだい」
「うるせぇ、寝てろ。無理に喋んな」
ぶっきらぼうに言い捨て、“夜汰々神”は扇奈に背を向け、竜を狩りに動き始める。
それを、遠目に、部下の背中越しに眺めるうちに……やがて、扇奈は眠るように、その瞼を閉じた。
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