42話 分岐/各々が結末へ


『私は我が身可愛さに声を上げた訳ではありません』

『私は理想の為と、平和の為と立ったのです』


『たとえこの身がどうなろうと、私の願いはただ一つ、平和であり、理想郷です』


 *


 再び雪が降り始めた、曇天のすぐ傍。

 交戦区域西部――最後に残った竜の拠点のすぐ真上を、偵察機は背面に、キャノピー越しに見下ろした。


「観測は?見えるか?見え次第――」

「――わかってる、送ってる!」


 パイロットの声に、その後部に座る通信士は、眼下を見下ろしながら通信士は叫び返す。


「映像を送る!――クソ、昨日より規模が、……ここも射程に、」


 言いかけた通信士の視界の隅で、ふと、ピカリと、青白い閃光が瞬く。

 それが瞳を焼いた直後――。


 絶叫を上げる間もなく、閃光が空を、その偵察機を飲み込んだ。

 小型の偵察機は一瞬で光に呑まれ、直撃を免れたの残骸が、雪と共に大地へ落ちていく――。


 ――落ちていく先の大地は、蠢いていた。

 何匹もの、何匹も何匹も何匹も、夥しく地面を埋め尽くす単眼の怪物。


 そんな群れの随所に、何本も、背の高い塔のようなものが立っている。酷く気色の悪い造形の塔だ。何匹もの竜が組合いお互いをよじ登り合った末融解して一つに固まったかのような――事実その通りの作られ方で出来上がった、構造物。


 そして、それらの塔の最上部では、青白く巨大な射手――砲撃種が、眼下を、あるいは頭上をも、その閃光の射程に捉え――。


 その防衛陣地は、日に日に強固に、拡大していく――。


 *


『ヒトとオニとが、手と手を取り合い平和な社会を気付く。その為に私は声を上げ、その為に私は行動を起こしました』

『矛盾は承知しております。平和を唄いながら私が起こしたのは、クーデターです。平和の為と唄いながら、多くの血が流れかねない行動を起こした』


『だからこれは、私への罰なのでしょう。行動を誤ったのかもしれません。けれど……この理想までも誤りであったとは、私は思っておりません』


 *


 共和国軍南部拠点――東京を逃れて来た共和国軍兵士や、交戦区域の各所に散っていた兵士達。そこに更に、連合――オニの国から送られてきた増援が結集し、陣地を設営し、あるいは再編成され、日に日に軍備が増強されている。


 今この瞬間。

 彼らはけれど作業の手を止めて、彼らの担ぎ上げた象徴の言葉に耳を傾け……。


 その最中、演説の内容を既に知っているハーフエルフの男は、情報の整理と思索を続けていた。


(……竜の規模が想定より大きい。最終ゲートの生産性が高いのか?それとも、これだけの兵力をこちらに隠して保持し続けていたのか?共和国軍だけでは……)


 南部拠点中央指令所。そこで一人思考を重ねるリチャード――と、だ。そこで、不意に、その部屋に足を踏み入れる男の姿があった。


 老齢の、大柄なオニだ。身に纏う和装の上から、青い洋風のローブを羽織った男。

 その姿を見た途端、リチャードは立ち上がり、すぐさま頭を下げる。


「将羅様。久しく……お呼びだてして」

「構わん。……わしとて、貴様らを拾った縁がある。懐かしい客人も、いつの間にやら悲壮なことを大声で言っているしな。余生を過ごしたいとは、ああ、言わないでおこう。で?何をさせたい?」

「此度は私も前線へ赴きます。将羅様には、この拠点の指揮を。あるいは、私と殊洛どちらも逝った場合には、後の事も」

「……これ以上また、わしに若者を見送れと?」

「そうならぬよう奮起は致します。が、」

「それはそれ。可能性があるなら負ける準備はした方が賢い、か」


 老齢のオニは呟いて、手近な椅子に腰を下ろす。流石に置いたか、その動きは随分と重そうで、けれど眼光は鋭いままに……。


「引き受けよう。だが、留守を預かるだけだ」

「必ずや、勝利と共に」


 大陸に居場所なく、流れに流れて東の果てに。

 そこでオニの拾われたハーフエルフは、そう、深々と頭を下げる……。


 *


『私は近く、この東京で倒れるでしょう。帝国とは、帝位とは、そうして継がれてきた宿命です。けれどどうか、その愚かしさは、当代で、私の血で終わりにして欲しい』


『私の理想は平和です。敵と呼ぶべき存在がこの世にいるのであれば、それは間違いなく竜です。敵は、竜だけです』


『もしも私が倒れたとして、けれどその報復に銃口を人間に向けてはなりません』


 *


「……果ては宗教家にでもなる気か?」


 東京、北部。結集した帝国軍陣地。

 その指令所で、妹の演説を耳にしながら、大和紫遠はそんな事を呟いた。


 妹の思考が理解できない。

 長々と続いているこの演説、共和国軍兵士に向けられているこの言葉の意味するところは、端的に言ってしまえば、『私を助けるな』、だ。

 そして、『私を殺す兄を許せ』。『人間ではなく竜を殺せ』。


「……西部のゲートは?」


 紫遠の問いに、指令所の人間は応える。


「はい。変わらず、防備が増強されております。地表に布陣されておりますので、空爆も不可能ではありませんが、対空砲撃が確認されております。使うとして機は見るべきかと」

「共和国全体としての動きは?」

「南部北部両拠点、攻勢の準備に。ただ、こちらを狙っているのか、それとも竜を狙っているのかまでは掴み切れません」

「この演説の内容からすれば、竜を攻めようとしているように聞こえるが」

「それがダミーの可能性も」

「…………」


 大和紫遠は黙り、思案する。


 竜を攻めると演説をぶっておいて、その裏をかいて帝国軍を全軍で攻めてくる。

 その可能性も、確かにある。だが、それで今、帝国の兵力と共和国の兵力、その両方を削げば、その後に残った竜に対処できず、全て水の泡にもなりかねない……。


 確かに東京を包囲はした。が、動くに動けない。それが紫遠の状況だった。

 東京を攻め始めた場合、共和国軍がどう動くかわからない。


 紫遠からして最も都合の良い状況は、共和国がこのまま東京を無視して竜を、ゲートを攻め始める事だ。


 そうなれば、竜が勝つにせよ共和国が勝つにせよ、残った方を相手どって漁夫の利を狙える。少なくとも軍事的にはそれが最良だ。


 そして、このまま放っておけば、勝手にそんな状況になりそうだ。

 ……その、勝手にそうなる、と言うのが、紫遠からすれば不気味でならない。


「使者は?……来ていないのか?」

「ハ。東京からは一切、コンタクトはございません」


 紫遠はその返答に、また黙り込む。


 共和国軍も、――桜花も、西部のゲート、その規模の大きさは知っているはずだ。

 桜花としてこの場合の最適解は、主義主張を一旦捨てて、帝国と同盟を結びに来ることのはずだ。


 そして、その提案が桜花からくれば、紫遠は呑む用意がある。


 提案を受け、呑んだ時点で優位性は紫遠にある。それで協力して竜を討った後も、全ての主導権は紫遠が握っていられる。


 桜花からしても、もうその選択肢しかないはずだ。……桜花自身が生存しようと考えているのであれば。


「自信は聖女になり、私を悪にしたい?…………フフ、」


 ふと、紫遠は笑みを零す。その笑みに、報告をしていた兵士は不審げな表情を浮かべ、それに紫遠は言った。


「私も兄だと思っただけだ。……困った。妹が何を考えているのか、まるでわからない」

「ハ……」


 返答に迷うように、呟いた兵士に、紫遠は言う。


「……月宮を呼べ。寡兵で東京を攻めさせる。それで共和国の動きを確認するぞ」

「月宮ですか?しかし、あの部隊は……」

「能力に疑問はない。そして、このクーデター下で帝国に忠義を示す必要性が奴にはある。……妻子が帝国にいるんだ。また内通を疑われる訳にはいかないだろう。扱いの難しい兵だ。最悪今捨てても良い」


 言った紫遠を前に、兵士はすぐさま頷き、行動を始めた。

 それを横目に、紫遠は胸中呟いた。


(言われずとも、帝位についたその瞬間から、私は悪だ。自覚はあるさ。悪として、絶対的に……私が平和をくれてやる)


 紫遠の耳に、妹の声は入り込み続ける……。


 *


『私は信じております。人間の善意を。皆平和を、平穏を望んでいると』


『私がもしこの世界から消え去ろうとも、私の理想は、私の望みは、皆様の胸中にある限り消えはしない』



 *


 北部拠点、その外れ。

 空から雪が降りしきる中、トレーラを中心にした一団が、城壁の一角、開いたその場所に集っていた。


 運転席の青年、隻眼の男に、オニ達が声を投げ……からかいに近いようなその言葉に、英雄は小さく笑い、言葉を返している。


 その光景を遠巻きに、地面に直接座り込み、煙草を咥え、水連は眺めていた。

 水蓮の横には、腕を組んでつったつ扇奈の姿もある。どこか煮え切らない表情で、鋼也を眺めている……。


 水蓮はその横顔を眺めて、問いを投げた。


「良いのか?」

「戦力としてかい?……しょうがないよ、アイツが決めたんだ。抜けた穴はあんたとあたしで、」

「そうじゃねえだろ?」

「じゃあ何だってんだい?」


 若干苛立たしそうに視線を向けて来た扇奈を横に、水連は言う。


「……あんたはすげぇ大人なんだと思ってた。けど、そうでもねぇんだな、」


 そう言った水蓮を、やはり扇奈はどこか苛立たしく睨み……それから、ふと息を吐いた。


「……誰だってそんなもんさ。見え張ってるだけなんだよ、」


 白い息と共に、吹けば消え去りそうな声で扇奈は呟き、それから、鋼也の元へと歩み寄っていく。


 遠慮したのか、イヤそれとも姐さんの部下としての習性か、オニ達は後ろに下がり、そんな視線の中扇奈はトレーラの運転席、その窓へと歩み寄り、少し身を乗り出し、鋼也に何か、声を投げた。


 距離があるから、何を言って、それに鋼也がどう返事をしたのか、水連にはわからないが……。


 やがて、話を終えたのだろう。

 扇奈は身を引き、何かを言って、それに鋼也が頷いている。

 そして最後に、隻眼の男は水蓮へと視線を向けた。


 軽く手を振ると笑みだけ浮かべ、そして、トレーラは雪の最中進んでいく。


 英雄は戦場に背を向け、一人別の戦場へ――自分の女を攫いに行った。


 それを見送ったオニの女は、――妙に励まされるような言葉を部下に投げられていて、それに今度は大声で応えていた。


「うるさいんだよ!ほっときな!」


 妙に晴れ晴れした表情で、うんと背伸びをする。

 ……積年のうだつきが解消されたのだろうか。


 オニの女から、英雄と皇女の昔話、想い人とそれが選んだ女の話を聞かされていた水蓮は、紫煙越しにそんなを眺め……。


 やがて、扇奈はこちらに歩み寄ってくると、水連の口を指さした。いや、正確に言えば、水連が咥えているモノ、か。


 水蓮は煙草を取り出し、それを一本、扇奈に差し出す。

 紅羽織のオニの女は、それを咥え、水連の横に座り込み、呟いた。


「晴れて、だ。……別の男探すかね」

「あんた美人だし、すぐ見つかるだろ」

「ほう?……いきなり口説かれるとは思わなかった」

「口説いてはいねえよ、」


 そう言いながら、水連はライターを取り出し、扇奈の煙草に火を点ける。


「……口説いてはねえけど、愚痴位なら聞いてやる」

「ほう?愚痴を肴に呑むか?」

「あんた呑みたいだけだろ……。わかった、酌してやるよ姐さん。けど、……そういうあれこれの前にまず竜だろ?見送ったのに負けました、なんて、洒落になんねえだろ。気張ってこうぜ、姐さん」

「わかってるよ。今更花道汚す気はないさ」


 言って、英雄の去って行った方向を眺めて、扇奈は紫煙を吸い込んだ。


「…………グ、ごほっ、ごほっ……」

「だから、咽るなら吸いたがるなよな……。まったく」


 *


『平和な世界を作ってください。竜を打倒し、大和に平穏を。恒久的な平和を。この時代に流れた全ての血が、大和に没する最後の犠牲とならん事を、私は願い、祈り続けましょう。未来永劫に渡り、私の祈りが、先に逝った英霊の祈りが、あなた方をお守りします』


 *


 雪の中、一人。

 荷台にFPAを載せて、交戦区域を、桜の元へ……。

 駿河鋼也は、進んで行った。


 前にも、似たことがあった。その時、雪は降っていなかったし、その時は些細でも余り見送りはなく、その時は結局、最後には英雄は戦場を取った。


 ある意味、何もかも、その時のやり直しなのかもしれない。


『ここまでだ。この先、あたしはあんたの世話は焼かないよ』

『……ああ。わかってる』


 外から、身を乗り出し、運転席の窓枠に片手を載せ、扇奈は声をかけて来た。

 頷いた鋼也を前に、ほんの一瞬、迷うように視線をさ迷わせた後――やがて、扇奈は鋼也をまっすぐ見て、言う。


『……鋼也。あたし、あんたに惚れてたよ』

『……悪いな』


 答えたのはそれだけだ。それ以外に、答えようがない。

 そんな鋼也を前に、扇奈はふと、寂し気な、それでいて同時に満足げな笑みを浮かべ、そして窓枠から一歩離れ、腕を組み、言う。


『ああ。それで良い。……行っちまいな、クソガキ』

『……世話になった』


 そう言った鋼也に頷いて、頷いたことを確認してから、鋼也はアクセルを踏んだ。

 向こうでは、鋼也が後を託したガキが、煙草を咥えて軽く手を振ってきている。


 それを眺めて――。

 ――駿河鋼也は、雪の中一人、最後の戦場へ、進み出した。

 

 自身で決めた、最後の戦場。

 自身の旅の終わりへと、……自身の望む、未来を得る為に。


 *


 演説もまた、終わる。

 皇女は、魔女は、…………女は万感と覚悟を込めて、囁くように、言い放った。


『終わりに致しましょう。この長い苦しみと悲しみの全てを』



 → 外伝 桜吹雪に鋼鉄の楔―終演―

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