32話 包囲/死城の偶像
元、帝国軍第8防衛拠点。
現共和国軍北部拠点。
交戦区域の中央北部に位置するその拠点は、古く――ヒトの戦争相手がオニだったか頃から、その相手が竜に変わるまで、陣地自体の様相は近代化と対面への対策により変化してはいるモノの、立地的な重要性は変わっていない。
帝国から見た、交戦区域全域に対する補給経由拠点、だ。
遮蔽物の少ない平野に位置し、北には巨大な街道――舗装された帝国への道路が用意され、南へも各種、交戦区域がまだヒトとオニで奪い合われていた頃の名残の、幾つもの道がある。
陸路においての交通、運搬上の利便性が高く、帝国により空輸が導入され優先順位としては下がったが、現在――クーデター直前までも、同盟軍の一大補給地点として、備蓄物資の量が多かった。
東乃守殊洛がクーデター軍――革命軍の集結地点の一つとして選んだのも、その交通上の利便性の高さと備蓄物資量の多さが要因だ。
東京に次ぐ物資の備蓄量があり、次期拠点として運用できる。
帝国から交戦区域各所への主要な経路の集積点である以上、そこを帝国に握られれば、交戦区域全域を容易に握られかねない。
判断、軍略を決定するまでの時間稼ぎとして、その要所を握れば選択肢が増える。帝国、大和紫遠にしても、軍略上の懸念事項が増えて状況判断に要する時間が増す。
そう、判断を迷って打った次善策が、帝国でも共和国でもない第3勢力によって裏目に出た。
その第3勢力にどれほどの軍略があったのか、何処まで狙っているのかは、その場にいる誰にもわかりはしない。
ただ、立地が軍事に与える効果は絶大だ。
各所へと交通上の利便性のある、平野。
それは、守るに難く攻めるに易い、そんな状況に他ならない。
そんな、今この大和にある中で一番地獄に近いその場所の最中――。
*
「ええ、兄さん。……こういう時は本当に便利ね」
城壁の上に座り込み、厚い雲の垂れ込む曇天の下、金髪の女は誰にともなく一人、そう呟いていた。
この城壁は、対面が竜に変わった直後、ヒトによって建設されたものだ。
単純な物量戦術に対して酷く守りにくい場所を、少しでも容易に防御できるようにと施設をコンクリートの厚い壁で覆ったのだ。
その内部に未だ生存者がいるのは、紛れもなくその城壁のお陰だろう。
だが、あくまでまだ保っている、と言うだけに過ぎない。
「……完全に包囲されてるわ。ゲートに飛び込んで以来の光景ね」
金髪の女――城壁の上のハーフエルフは、そう呟いて、この拠点の外を眺める。
――地面が、蠢いている。赤茶けた生物の群れが、それこそ災害か濁流か、あるいは地平線まで続く泥沼の様に、この北部拠点を取り囲んでいた。
竜の群れだ。平野を、草原を、あるいは街道を、夥しい数の竜が取り囲んでいた。
逃げ場はない。いや、分布をみれば比較的北部――帝国に向かう方面は手薄に見える。事実、その方向へ逃げようとした兵士達もいた。だが、彼らは結局帝国に辿り着くことなく、灼かれた。
手薄な北部、帝国へ続く街道の傍――傍と言うには随分距離の離れた地点に、何匹か、青白いぶよぶよとした竜が見える。
砲撃種、だ。
西部南部東部、それぞれには竜の群れ。北に逃げようとすると閃光に灼かれる。
完全に包囲されている。その上、この拠点は今、近代設備として完全に死んでいる。
「そうね。ええ……包囲だけよ。攻められてはいない。餌の前でトカゲが数万待て、って指示に従ってるわ。知性体ね。……戦略的運用?かもね。補給とか政治状況まで理解してるとは思いたくないけど……」
呟いて、ハーフエルフの女――アイリスは視線を城壁の内側に向けた。
そこにあるのは、忙しく働く人間の群れだ。
「負傷者は!?他に負傷者はいないか!?」
「早く出してやれ!強制排出を――」
「クソ……クソッ!」
怒声に近い声が上がる人の群れの最中、あるのはいくつもの竜の死骸と、立ち尽くした鎧の群れ、そして運ばれて行く人間の馴れの果て。
城壁を無視して飛べる竜――翼の退化していないトカゲの群れが、襲い掛かって来た。
それだけならば、この基地はこうまで被害を受ける事はなかっただろう。奇襲を受けたとはいえ、集められていたのは同盟軍の兵士――つい先日まで竜を相手に戦うのが日常だった者達だ。敵を見たら即応する。それが出来ない奴はこの局面まで生き延びていられるはずもない。
竜の死骸の中に何体か、青白い、ぶよぶよとした巨体の残骸がある。
翼の退化して居ない竜に空輸――もしくは空爆に近いのか、とにかく運ばれて落とされてきた変異種だ。
落とされてから殺されるまで――ほんの数秒もなかっただろうその間に、文字通り最期の輝きとしてその変異種たちはこの拠点を眩い閃光で包み込み、直後、設備が死んだ。
FPA、あるいは指令所の電算機能、更には通信設備まで――青白い閃光に包まれたヒトの装置、全てが機能を停止した。
それによって、この拠点にいた帝国の兵士は無力化され、最終的にはオニとアイリスの手によって入り込んできた竜は殲滅できたが、それでも、混乱が尾を引き甚大な被害を受けた。
甚大な被害を受け、物理的に孤立させられ、通信手段もない。
何なら、最初の襲撃でこの基地の指揮官もまた、倒れた。老齢だが勇敢な兵士だったのだ。味方の鼓舞の為に自ら中を取ったが、鎧無しで竜の群れに勝てるヒトはそういないだろう。
とにかく今、この場には指揮系統すらも存在していない。それでも暴動が起こっていないのは気風かもしれないが、それもどれほど保つか、だろう。
「年貢の納め時かしらね……」
青い目で遠くを見ながら、アイリスは呟いた。
傍に人間の姿はない。だが、アイリスは会話をしている。
通信設備――ではなく、それこそ特殊な力だ。双子のハーフエルフとして生まれて、その出自故かいつも、双子の兄と繋がっているのだ。
そもそもアイリスは特殊な生まれ、特殊な境遇だ。
ハーフで、祖国を追いやられてこの東の果てまで同胞と逃れて来て、どれほど経ったか……。
ハーフとして国を負われ、安住の地が存在しないと言う境遇から、ハーフの国を求めた。
それが、縁と暗躍で手の届くところまできた。が、その目前でこれ。
「舐めてたかしら。……勝ち慣れてたのかも。フフ……気休めなんて珍しいじゃない。心配してるの、兄さん?」
そう、アイリスは笑みを零す……と、そんなアイリスの傍に、駆け寄ってくる人影があった。
ヒトの女――いや、少女に近いような年齢の兵士だ。看護兵としてこの北部拠点にいたらしいが、竜に攻められ通信設備が死んだ後、率先して様々な雑務を請け負っている少女。
ショートカットの彼女は、アイリスに駆け寄ってくると、言う。
「中佐。生存した士官の確認が済みました。最高階級は貴方です」
「……笑えないジョークね」
アイリスは呟く。
そもそも、アイリスは戦争する為にこの北部拠点に来ていた訳ではない。桜花の代理で、諸々スムーズにするための根回しとして、この拠点の指揮官に用があっただけだ。
が、そこが竜に呑まれた。
それに……
「中佐、じゃなくて中佐相当官よ。生き残ったオニに現職の佐官もいるでしょ」
「はい。ですが……オニの方々は貴方を推しています。武勇を知っているとか……」
その言葉に、アイリスは黙り込んだ。
今でこそ前線には立っていないが、そもそもアイリスは傭兵に近い立場で大和――連合に流れて来た人間だ。直掩の部下は今手元におらず、桜と契約した時を境に一線を退いてはいたが、生き残りに昔を知っている奴がいたのかもしれない。
「ハァ……」
やがて、アイリスは深くため息を吐くと、言う。
「生き残ってる士官を集めて」
「既に集まっています」
「……被害状況の集計は?」
「終了しています」
「……優秀ね」
呟き、アイリスは立ち上がった。
「ええ。仕方ないわね。……耐えてみる。一応、物資はあるし、ある程度なら……そう。頼りにしてるわ、兄さん。……え?わかってるわよ、」
誰にともなくアイリスは呟き、その青い目を傍に控える伝令の少女に、それから、背後、眼下で忙しく、今なすべき事をしている兵士たちに向ける。
「指揮権を預かるわ」
伝令の少女にそう告げると、アイリスは一人、城壁の端――内側へと寄ると、歩むような調子で、そこから飛び降りた。
「あ、」
飛び降り自殺――でもするように見えたのだろう。伝令の少女は戸惑うような声を上げるが、そんな少女の眼前でけれど、アイリスは落ちず、そのまま、宙に浮いた。
より正確に言えば、飛び降りたアイリスのすぐ下に、彼女を受け止めるように、眼下にあった装甲版が浮き上がったのだ。
異能。いわゆる念動力。エルフの中でもとりわけ強力なそれを生まれ持った金髪の美女は、作業にいそしむ兵士たちの頭上を歩んで行き――一歩踏み出すごとに、眼下に置かれたがらくたが彼女の元へと浮き上がり、その足に踏みつけられていく。
そこら中で突然モノが――折れた刀が、動きを止め、調査の為に解体されたFPAのパーツが、あるいは銃が大槍が鉄柱が、見えない手で拾い上げられているかのように幾つも、アイリスの周囲に、足元に集まって行き――作業を続けていた兵士たちは、周囲で突如巻き起こったその超常現象に驚き動きを止め、一様に、視線を空に上げる。
そうやって幾つも、幾つも幾つも、――その場の兵士達の視線がアイリスへと向けられ、それらを前に、アイリスは努めて自信を見せるように、柔らかな微笑みを口元に称えた。
そして、周囲に武器とガラクタを舞わせ、そのうちの一つ――FPA用の大槍の上に立ち、金髪の美女は静寂の中良く通る声を上げる。
「アイリスよ。暫定的に、この共和国軍北部拠点の指揮を執るわ」
そのアイリスの声に、眼下の兵士たちの視線がブレる。不信感を抱く者もいれば、もとよりアイリスを知っているモノだろう、納得した、あるいは安堵した――そんな表情を見せる者もいる。
アイリスはそれらを見回して――次の瞬間、だ。
周囲。眼下。この基地内、青い視界に入っているありとあらゆるものが、全て同時に、見えない手に持ち上げられたかのように、天高く浮き上がった。
空から見えない糸が垂らされ、それらにくくられ万物が宙づりに、――彼女の掌の内にある。
そんな光景を兵士達に、いや、命を預かることになった部下たちに見せ付けた上で、アイリスは続ける。
「……長生きな奴の中には、私を知ってる奴もいるでしょ?国を負われて東の果てまで逃げて来た、勝利の女神様よ。もう、私にはこれより先に逃げる場所はない。だからこの大和で戦ってきた。今、共和国を建国して、敵が人間になって戸惑った奴もいるでしょう。けれど、今、この基地を包囲しているのは竜。竜よ。貴方達の――いえ、私達の同胞を殺してきた竜。政治も主義も忘れなさい。今までと一緒。今日、あのクソトカゲの餌になるか、明日の朝日を見るか、二つに一つしか今この場所にはない」
言いながらアイリスは視線を巡らせる――部下達は口を挟まずに、アイリスを見上げている。それが良い兆候だと、アイリスは思った。
アイリスは前線で生きて来た士官だ。裏に回る期間が長くとも、経験は錆びない。
前線で孤立し、籠城する羽目になった部隊。その生存に必要なのは、まず前提として何よりも、士気と統率が重要だ。
「私の事が気に食わないって奴がいるなら、今撃ちなさい。私は避けないわ」
そのアイリスの言葉に従い、宙に浮いた様々なモノの内、銃器類が全て、兵士達の手の届く高さまでひとりでに下りて行った。
兵士達はそれを前に、けれど差し出された銃に手を伸ばそうとはしなかった。
アイリスの事を知っていて、鼻からその気がない者もいるだろう。
あるいは今眼前で見せ付けている異能の威力に威圧されているのか。
その、どちらであれ。
「生き延びたいなら、私の指示に従いなさい。……保証するわ。私がいる限りこの拠点は落ちない。貴方達は死なない。私が死なせない。増援は必ず来る。耐えれば生き延びられるわ」
自分の力を見せつけ、統率を作る。
増援が来ると言い切って、希望を作り士気を維持する。
そう、口を開きながら――異国で生まれた美女は、眼下の兵士に微笑んだ。
「私を信用しなさい。……私に信用させて見せなさい。私は良く知っているわ。大和の兵士が優秀だって」
青い目は微笑みながら、冷静に部下達を眺める――元々、時期が大崩れしていた訳でもないが、それでも不安はあっただろう。それが多少払拭出来たか。
……少なくとも今すぐ反乱がおこる気配はない。
それを見て取って、アイリスは足蹴にしていた大槍を外に、飛び降り――地面、部下達と同じ高さに着地する。
そして同じ地を踏みしめながら、彼女は言った。
「……生き延びるわよ、」
そのアイリスの言葉に、周囲から、怒号に近いような歓声が上がった――。
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