31話 混迷/軍衆、踊らざるを得ず
「合流地点変更?行くんじゃなかったのかよ、何だっけ?……東京?」
交戦区域西部南方。
明朝の朝日が差し込む、冬枯れの樹林の最中、歩く鎧はそう呟く。
その声に答えたのは、隣を歩く、オニだ。
「昨日の遅くに通達があったらじいぞ。東京ではなく北部拠点に集結地点を変更しろって。もう結構な数集まってるとかだ」
「
「ぶっ壊れたんだからしょうがねえだろ、」
そう、言いながら、その集団は歩いていく。
オニとヒトとの混成部隊。旧同盟軍、現共和国軍の一部隊。
オニとヒトとが手と手を取り合って、戦い抜き、生き抜いてきた部隊。
主義主張、あるいは種族も関係なく、隣にいる戦友の敵にならない選択肢を取った人間達。
彼らは――今、孤立している事に気付いていなかった。
竜との戦争は終わった。そう、心のどこかに緩みがあった。
その緩みまで、竜が計算に入れていた訳ではない。だが、結果論だ。
背後で、ふと、銃声が響く。
その音に、ヒトは、オニは、ゆるみから覚め即座に振り向き、けれど、その視界を次の瞬間。
青白い光が包み込み、飲み込んでいった――。
*
「北部拠点なんてあったっけ?」
交戦区域西部北東。空爆の跡地、周囲が焦げ薙ぎ倒れた樹林となっているその場所で、小休止を入れているオニは言う。
それに応えるのは、ヒト、共和国軍兵士。
「ほら、同盟組む前にあったじゃん。帝国連合それぞれの防衛陣地。そのうちの一つがこっちに付いたんだって」
「……じゃあ、何?その防衛陣地が、今度は帝国相手の陣地になるって事」
「じゃない?正直、やりたくないけど……」
そう、歯切れ悪く、――あるいは決断し切った訳でもなく、兵士として現行の指揮系統にそのまま従っている共和国軍兵士は、そこで、視界の一角に、見つけた。
竜。見慣れない竜。
黒い、液体のように体の波打つ見慣れたそれより巨大な怪物が、単眼が、こちらを見ている事に――。
*
交戦区域中央北部。
旧、帝国軍交戦区域北部防衛陣地の、一つ。
高い城壁の内部に、近代的な施設群――居住区画、整備区画、その他各種施設が詰め込まれたその要塞は、今、酷くせわしなく、騒がしかった。
「急ピッチで整備だ!すぐに戦えるようにしてやる!ハンガーに行け!」
「再編を行う!到着した人員から官姓名を――」
共和国士官が、整備班が声を上げ、それに、今着いたばかりの兵士たちを取りまとめている。
喧騒、騒乱……そこにいる前線からこの拠点に入った兵士たちの顔にあったのは、やはり緩みだ。
竜との戦争がひと段落付いた、という安堵に近い感情。
クーデターを起こしたは起こした。だが、それが即座に戦争につながるとはあまり思っていないのだ。
ほとんどの兵士は、任官してから竜と戦ってばかりいる。
人間との戦争は、あまり想像していない。
…………少なくとも、次の敵は言葉が通じる相手だ。それだけで、竜を相手どるより気楽だったのだろう。
だが――。
――その拠点の中で、突如、悲鳴に近い声が届いた。
「
瞬間、全員がそちらに視線を向ける。
空。まだ遠く、けれど矢のように鋭く、何匹もの竜――翼が退化していない、飛行能力を有した竜の大群が、この拠点へと迫り――。
頭上から、何かを落としてきた。
巨大な何かだ。巨大な、肉の塊。青白い、ぶよぶよとして、膨れ上がった竜のような物。
それが、この北部拠点に投下され、次の瞬間――。
――見上げる全員の視界が、青白い閃光に包み込まれた。
*
「集結地点を変えた?」
「ハ。……第8基地――クーデター直後共和国軍北部拠点を名乗ると通達してきたそこに、共和国軍は集結を始めているようです」
「……わざわざ宣言した首都を捨てるのか?」
大和紫遠は、そう、思案を始めた。
周囲には、理路整然とした指揮系統、指令所がある。
帝国領地東部南端。旧同盟軍東部拠点――東京を名乗り、妹、桜花が居を構えているクーデターの首都、その北部だ。
紫遠はあの演説の直後、即座に命令を出し、この場所に帝国軍を集結させたのだ。
無論、全軍とも行かず、中には共和国軍――クーデター側に付いた部隊もある。ここにやって来た軍勢であれ、その内部に何人もスパイが付いていてもおかしくないだろう。
ここは前線程近く、暗殺の危険は否応なく高い。
――それを気にして自分の城にこもるほど、大和紫遠はスリルを嫌ってはいなかった。
妹が立ったなら、――たとえそれがただの象徴のようなモノであったとしても――皇帝である自分自身もまた、表舞台で戯れよう。
そう考え、自軍の編成を進めつつ、敵――共和国軍の情勢を調べさせていたのだが……。
「何を考えている……」
大和紫遠は呟く。
つい先日まで、あるいはあの演説以後も、共和国軍の向かう先は東京、だったはずだ。
そこに兵を集め、来る帝国軍との決戦に備える。そういう行動をしていたはずだと言うのに、昨日の今日でもう、行動が変わっている。
(東京をおとりに帝都でも攻めるつもりか?それとも、私の元に来た軍があちらの予定より多かった?守り切れないと判断した?……そんな甘い考えでクーデターを起こすのか?東乃守殊洛が?)
軍事の指揮を執っているのは間違いなくあのオニ、妹の婚約者だろう。桜花に軍事の指揮能力はないはずだ。
けれど、殊洛ならこんな、首都を無防備に敵に晒してまで、わざわざ兵力を割るような愚は犯さないはずだ。
痴話喧嘩でも始めたか?それとも何か狙いのある行動なのか?
思考を進める紫遠に、更に報告が入る。
「陛下。クーデター軍東部拠点の戦力は動いていないようです。今のところは、ですが」
「…………」
紫遠は顔を顰める。対面する相手の行動の意味が分からない。
クーデター軍が結集しているのは、帝国軍と戦うためのはずだ。その為の東部拠点の防備は今も残っている。だが、それ以外の兵力は、東部拠点ではなく別に集めている……。
鼻から寡兵のはずのクーデター軍が、わざわざ戦力を裂いているのだ。
紫遠が、東京を攻めないと思っている?ポーズだけだと?……そんな甘い人間ではないと、桜花は良く知っているはずだが……。
軍事的セオリーはおろか、戦術的、戦略的な勝利すら捨てるような発想を持っている実の妹に、紫遠は自分で気づかずに、踊らされ始めていた。
傍から見れば、クーデター軍、桜花の行動は、まるで意味が分からない。
が、そこで、更なる報告で――それが本当の桜花の思惑とは違うにせよ――目の前の不可解な行動に一つ、紫遠の中で論理性が生まれた。
「陛下!……件の北部拠点に、今、」
*
共和国軍東部、本拠点。東京。
その司令部の一室――雑多にモノが積まれ古い軍議盤の横に情報端末とモニターが置かれているその場所で、東乃守殊洛は、報告に耳を疑った。
「…………陥落だと?」
愕然と呟き、思わず立ち上がった殊洛の前で、部下は続ける。
「は。東部拠点との通信が途絶しました。索敵の結果、帝国ではなく竜の群れに包囲されているらしく……」
報告を耳にしながら、歯噛みし、東乃守殊洛は軍議盤を睨み付ける。そこには、今立案していた今後の作戦計画――その原案、いや、原案にすらならないような思索の欠片があった。
全てに踊らされている――それが、東乃守殊洛の実感だった。
敵にも味方にも、だ。
桜花から自身が聖女になる大層ご立派な魔女の挺身を聞かされた直後から、殊洛はどう動くべきか思慮していた。
竜の巣。最後のゲートが、大和西部にある。それは、どうあっても排除しなければならない。
同時に、その大和最後の竜を殺す上で、帝国の助力を得ることは出来ない。施設を全て帝国が握っている以上――その中に共和国軍の工作員がいるにせよ――空爆は使えない。
殊洛の手元にある兵力だけでゲートを始末することは不可能で、そう、判断している時にリチャードから報告があった。連合から兵力を借りる伝を見つけた、と。共和国の理念に賛同しているから、もう招いていると。
どう考えてもあらかじめ決められていた動きだ。リチャードも桜花の側――いや、その裏のハーフのネットワークの中心近くの人間。だから、そういう裏側で、殊洛は表として祭り上げられているだけ。
既に選択肢はなくなっている。
殊洛は東部拠点の軍は残し、それ以外の交戦区域各地に散っていた共和国軍の兵士には、別の地点へと集結させることにした。
桜花に挺身させるか、魔女が望むように破滅させるか――その判断は保留にしてある。
何もかも魔女の掌の上は、癪だ。こうまでひっかきまわしておいて楽に席を離れられると思うな……そんな意地のような思考を頭の片隅に、一旦この東部拠点と北部拠点に共和国軍を集結させ、南部に連合、東京の北部に帝国軍が集結している状況を膠着させた上で、全ての情報を再精査し戦略を練る。
戦略を練ろうとして、練っていたまさに今この時。
「トカゲが…………ッ。全軍にその情報を、イヤ……クソ。……集結地点の変更だ。移動中の全部隊に、南部拠点への集結を命じろ」
苛立たしく、殊洛は唸る。
それに頭を下げ、部下は去って行く。そうやって一人残された殊洛は、苛立たしく軍議盤を睨む。
失態だ。命令変更が多すぎる。これが指揮に関わる――司令部、殊洛への信頼が揺らぐ行動だとわかっているが、竜の手に落ちた拠点へのこのこ集まれと、そんな命令を続けるわけには行かない。
どうする?どう動くべきだ?
竜のゲートは、落とさなければならない。
同時に、今竜の手に落ちた――あるいは包囲されているらしい北部拠点は奪還しなければならない。
だが、その為の戦力をどう捻出する?
この状況を帝国に伝え、再度竜を相手に手を組もうと唄うか?
不可能だ。もうクーデターは起こしたし、仮にそれがうまく行ったとして、帝国が主眼になって竜を殲滅すればこのクーデターは、共和国は瓦解する。
南部拠点の兵――連合の兵を動かすか?それもまた完全な連合の属国になるという事だ。しかも、露骨に帝国相手のクーデターを起こしている状況で露骨に連合の後ろ盾を使えば、それは竜の後も戦争が続くと言う意味だ。結局、せっかく作った共和国は帝国と連合の代替戦争地に変わるだけだろう。
竜の排除は共和国軍が主導しなければならない。
そして、今即時にそれなりの規模で動かせる共和国軍は、この東京の軍だけ。
殊洛子飼いの部隊。殊洛のなじみの部隊。共和国として信用できる部隊。それが、この東部拠点に集まっている。そう、殊洛が優先して集めたのだ。
帝国と戦うために。
大和紫遠との戦争に勝利するための、主力だ。
それしか、切れるカードがない。
そのカードがあるから、大和紫遠は動いていない。逆に言えば、動かせばすぐさま、大和紫遠は東京を陥落させるだろう。
…………それこそ、桜花がそう言っていたように。
「魔女め……」
あの女は竜まで操っているんじゃないのか?そんなはずはないと言うのに、そんな思考まで殊洛の脳裏を奔った。
「クソ……」
今最も避けるべきは?……兵力のこれ以上の損耗だ。
動かすなら一点に集結させなければならない。
北部拠点――西部の果て、最後のゲートを壊すための足掛かりにしようと考えていた拠点だ。そこを奪還しなければ、最悪この東京は北から帝国に、西から竜に攻められる事になる。そうなれば何もかも終わりだ。
逆に、今、こちらから東部拠点を捨てれば――。
決断、…………せざるを得ない。
今、この状況で殊洛が長期的な視野を確保するのは不可能だ。
優先順位を確定させて、捨て、決めなければ。
殊洛は通信に手を伸ばした。そして、言う。
「私だ。東京全域――、民間人、非戦闘員に東京からの退避を命じろ。南部拠点だ。可能な限り物資も南部拠点に移せ。戦闘員は全員叩き起こせ。人間じゃない。竜と、戦争だ」
歯を食いしばり、絞り出すように……東乃守殊洛は言った。
「……東京を、捨てる」
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