29話 混沌/交差する思惑
「見事な演説でした、殿下」
窓の外に夜空がある、同盟軍東部拠点――共和国首都、”東京”の中心。
洋風の一室――その部屋の最中で、演説の日の夜、黄金色の羽織のオニ、東乃守殊洛は、そうねぎらいを投げた。
その言葉に、目の前の女――桜花は、柔らかな微笑みを、何を考えているのかわからない笑みを浮かべる。
「ありがとうございます、殊洛様。ですが……言ったはずです。私は継承権を捨てました。もはや殿下ではありません」
確かにその通りだ。継承権を捨てると、演説の中にはあった。
そして、そんな発言をすると、殊洛が事前に聞いていた訳でもない。
なるほど、覚悟を示すためには有効な文言だろうし、そう言わなければこのクーデターは理想ではなく帝位を目指したものとみなされるだろう。
が、そんな事を桜花が言うと、殊洛が事前に聞いていた訳でもない。
(……何を考えている?)
殊洛の脳裏にそんな疑問が掠め続けていた。
何所か……そう。桜花が殊洛の意図と外れた行動をとっているように思えるのだ。クーデター自身に興味を持っていなさそうな事と言い……目の前にいる女の思惑が、殊洛には読み切れなかった。
けれど、どちらにせよ、賽はもう投げられた。
後は、軍事的な問題になるだろう。早くも、大和紫遠がこの東京へ向けた攻撃部隊を組織し始めていると言う情報も、殊洛の耳に入っている。
そして、それに対応する東京の防備も、淀みなく進んでいる。
あくまで、桜花はアイコンだ。何を考えていようと、……決定的に殊洛の意に反しさえしなければそれで良い。
主導しているのは、自分――そう、殊洛は考え、ただ機嫌を取るように、言う。
「では、大和の、……平和の母ですか、桜花様」
「そして貴方が父となる」
微笑みと共に、桜花、婚約者、完全に政治的な関係に過ぎない女は微笑んで……そのどこか薄ら寒い、それこそ人形が浮かべるような完成した微笑みのままに、続けた。
「が、……その前に、貴方には別の役柄を演じて頂きます」
「別?……一体、何のお話を?皇帝を、帝国軍を打ち破れと言うお話ですか?それならば、問題はありません。既に同盟――否、共和国軍は東京にある程度集結させてあります。仮に今夜大和紫遠に攻められても、この首都は落ちません」
そう言った殊洛を前に、桜花は微笑み続けている。どこか、そう……子供でも見るような、そんな気のない、呆れた風ですらある目だ。
と、そこで、だ。それまで傍に控えていた女中が、ふと、桜花の元へと歩み寄り、何やら耳打ちをする。その耳打ちに桜花は頷き、言った。
「入って頂いて構いません」
来客?殊洛との会談の場に?何所かしら――それこそ桜花のバックボーンにあるだろう組織の重役か何かか?
そんな風に扉へと視線を向けた殊洛の前に、息せき切って現れたのは、けれど、そんな重役でもなんでもない、殊洛の知る人物。
殊洛の部下の一人だ。自身の部隊である、鎧を纏うオニの一人。
そのオニは、慌てた様子で、殊洛の横に傅き、言う。
「殊洛様。交戦区域西端に、竜の拠点を発見したと、報告が」
「何……?」
竜の、拠点?
「ゲートか?」
「そこまでは、まだ。けれど、それに類する規模だと……」
部下の言葉に、殊洛は絶句する。
よりにもよって、という想いが強い。
富士ゲートは発見できなかった。移設された可能性があると、殊洛は認識していた。
だが、……これまで探してきて見つからなかったのだ。見つかるとして、それは暫く期間を置いた後、大和紫遠との問題、このクーデターがなった後、共和国の存亡をかけて最後の竜を殺すことになるだろう。殊洛はそう、考えていた。
だが、わざわざ、このタイミング?これからクーデターが始まると、そんなタイミングで?
発見できなかったゲートが見つかった?
と、そこで、だ。
冷静過ぎる……いや、やはり興味のなさそうな声が、殊洛の耳に届いた。
「竜がいるのであれば、戦わねばなりません。ねぇ、殊洛様。この東京にいる軍を動かし、最後の竜を廃し、貴方は英雄になりなさい。私の死後。理想の為に、皇帝に背を向け竜と戦った者として。理想を撃った独裁者に敵対し、ここに理想郷を作る偉人として」
「何を……」
理解が追い付かない――そんな面持ちで、殊洛は桜花へと視線を移す。
桜花は、やはり微笑んでいた。今、ゲートが見つかったと報告を受けたにも関わらず、それに何ら驚いた様子を見せる事もなく。
(……あらかじめ知っていたというのか?)
そうとしか思えないリアクションだ。
そして、それが可能なだけのバックボーンが、桜花にはある。
今、見つけたと言うより……見つけた事を秘していたのか?クーデターの共犯者である殊洛に対しても?秘密にしたままクーデターを起こし、そして起こしてから知らせる?
桜花は言っている。この東京にいる軍を動かせと。
桜花は言っている。私の死後、と。
そして、桜花は言う。微笑みを浮かべたままに。
「私は権力の座にいたくありません。私は貴方の妻にもなりたくない。これで一途なんです」
「何を、言っているんですか?……何を考えている?」
問いを投げた殊洛を前に、桜花は、仄暗い目で微笑み続ける。
「個人として。知性として。能力として。私がクーデターに際して具体的に何か、策を上げる事は出来ません。主導も出来はしないし、する気もない。ただの象徴でしょう?……ならば命の有無は関係ありません。いや、死んだ方が合理的ですらある。理想を説いた聖女を信仰し、婚約を交わした女の仇と、妹を殺した悪逆非道の暴君に反旗を翻すのです」
「…………」
殊洛は絶句した。
この皇女は、理想の為に――否、大衆煽動の為にわざと負け、挙句死ぬと言っているのだ。
今、共和国軍には確かに理想がある。だが、大義はない。自らの理想の為に帝国と、あるいは連合と戦うと――人間同士の戦争をすると言っている状態だ。
それでは、今は良くても、実際に戦争が始まった後、共和国軍の士気が下がる可能性がある。彼らが銃を向ける相手は、同じ種族、同じ国の出身者になるのだから。
けれど、桜花が死ねば?
それも、竜と戦っている背後で、大和紫遠に背中を襲われた結果、理想を唄った皇女が死んだとすれば?
大義が生まれる。
妹であろうと容赦をしない独裁者を相手に、死んだ皇女の理想を遂げると言う、大義。
……そういう画策を、殊洛がするならまだわかる。そう、殊洛は思う。
だが、桜花は、それを自分で画策しているらしい。
自分が死ぬことを前提に置いた、策略を。
桜花は微笑みのまま、続ける。
「殊洛様。貴方が今何を想おうと、現実は何一つ変わりません。兄はもう、私を殺しに動き始めている。そして、大規模な竜がまだ西部に残存していることも事実。兄との戦争を始めて、兵力を損耗する前に、全軍を上げて竜を殲滅なさい。そうなれば、貴方は正義になる。帝国は悪になる。…………連合は貴方に大義があると、共和国に支援をする事でしょう」
「……オニと、連合と、……話がついていると?私の知らぬ所で?」
「貴方は軍人でしょう?戦争に勝てば良いんです。竜に勝てば良いんです。それが仕事。でしょう?それ以外のこまごました政略は、ハーフの皆様に聞いて頂ければそれで済みます」
「……それで連合の助力を得れば、せっかく声を上げた共和国は連合の属国に、」
「強国です。帝国も連合も。共和国が完全な中立を得る事は現実的ではないでしょう?……殊洛様。土地があり、政権があり、民がある。だから国家は成り立ちます。この共和国の民とは?今は、軍人だけ。それが国として機能するのは戦時下のみ。中立を得た直後に共和国は成り立たなくなる」
「ですが、」
「二つに一つなのです。反逆者として独裁者に平定されるか、鼻から連合制の国家の一部になるか。どちらが合理的か、少し考えればわかるでしょう?私は、話は済んでいると言っているんです」
何でもない事のように、どうでも良い事のように、桜花は言う。
選べと言いながら選択肢は既に削がれている。これまで見なかった――いや、桜花が見せようとしなかった、裏側の画策。
魔女は微笑む。
「なりたいのでしょう、英雄に。ぜひ、なって頂いて構いません。どうぞ、殊洛様」
「……貴方は確かに、あの皇帝の妹だ」
かろうじて、絞り出すように呟いた殊洛に、桜花は尚も、氷のように微笑み……
「誉め言葉として、受け取っておきましょう。さあ、殊洛様……こんな所で話している場合ではないのでは?……貴方のなすべき事をなさい」
*
なすべき事は、何か。
駿河鋼也は一人、夜の共和国軍南部拠点、そのハンガーの中で思い悩んでいた。
隻眼。眼帯に覆われた片目で、あるいは未だ健常な逆の眼で、眺めるのは黒い、鋼鉄の鎧。
FPA“夜汰鴉”。それを改修した、データ取りも兼用の、英雄の鎧。
頭部の片側に、センサー類を集積した、オニの面のような意匠な付いたそれ。ある意味自分自身の現身であるそれを、鋼也は眺め続ける。
ハーフ。鋼也はその生まれを特に気にしたことはなかった。後から可能性として知っただけで、その生まれを気にするような生を生きて来た訳でもない。
オニもヒトも、あるいはハーフも、鋼也にとっては大した問題とは思えない。気が付けば、物心つけば、人生全てを通して結局の所、英雄の生は竜を殺すことに執着していた。
まだ、竜は大和にいる。“富士ゲート攻略作戦”。反抗らしい反抗を受けず、退却という選択肢を竜がとったことで終わった、大和最後の決戦。その結末が妙だと、英雄は思う。
これで終わりとは到底思えないと。
その終わりを確信するまで、戦場を降りる訳にはいかないと。
だが、
『お前の女はアレで一貫して、お前の居場所を作ろうとしてる。違うか?』
リチャードはそう言っていた。エルフにせよ、オニにせよ、ヒトでない種族――見た目より長命な彼らの言葉はいつも、スルガコウヤにとっては示唆的だ。
桜花が――桜が何を望み、何を意図しているか。
起こしたクーデターの大義は、オニとヒトとの融和。ハーフ。
生まれからして、当人の思想からして、鋼也はその大義に対立していない。むしろ賞賛してもおかしくない位だ。
だが、表立ってクーデターに組する気にはなれない。
桜花の婚約云々の話は聞いている。今となっては、このクーデターありきの話だったのだろうとも、思う。それが気に食わないから、即座に賛同していないのか?
……それも0ではないだろう。
だが、それだけではない。
竜はまだいる。まだ、竜との戦争は終わっていない。その状態でクーデターを起こすという事は、鋼也からすれば裏切られたに等しい。
政治戦争云々、諸々知識を得ても取り合う気にはなれない。スルガコウヤは生粋の兵士だ。前線で竜と戦う人間だ。その地獄の最中でどれだけの人間が死んでいくか、鋼也は良く知っている。
そして、桜も、それを知らない訳がない。
(お前は何がしたいんだ?何を考えている……?)
“夜汰鴉”を見ながら問う。自身に、あるいはここに居ない
桜は、桜花では居たくないはずだ。権力者になりたいと願っていない。そう生まれつき、そう生きる他に道がなかっただけだ。このクーデター……本当に成功させたいと思っているのか?国家元首になりたいと、桜が望むとは、鋼也には思えない。
そして、その思考はそのまま英雄にも帰ってくる。
食うに困った孤児。軍に身売りした少年。何故か他の誰よりも長生きで、誰より仲間の死を見送り、気付けば英雄とまで祭り上げられていた青年。幾ら英雄と呼ばれようと、幾ら勲章を貰おうと、もはや皮肉にしか思えなくなっている男。
結局、思考は一つの疑問に戻って来る。
なすべき事は何か。
……俺は何を望むか。
そこにすぐ答えは出せない。出せない程にしがらみが増え、大人になったのか。はたまた、将来結局臆病な気質が顔を覗かせているだけなのか。
誰かに聞いて答えを得るのは楽だろう。問えば答えが来る相手に、心辺りはある。
だが、それでは意味がないとも、どこか意固地に、鋼也は思う。
だから、誰に問うでもなく、自身に問い続ける。
何を望むか。何を成すか。何に手を伸ばし……何を捨てるべきか。
*
同じ、夜の最中。
人間の思惑とは別に、ソレもまた蠢いていた。
ソレは敏感で、臆病で、用意周到で――柔軟に、ずる賢い。
自身で作った、自身に残った、最後の拠点の奥深く。ほかの知性体が全て消え去ったことにより、大和という地にいる同種族すべてを自身の思考一つで制御することが可能になった一匹の異形。
ソレは、見ていた。交戦区域のそこら中に散らばった竜の単眼を通して。殺され往く知性のない怪物たちの目を通して、交戦区域という範囲の全体の情勢を、認識していた。
乱れた。
ソレは、思う。
人間の動きが露骨におかしくなった、と。
遂この間まで一糸乱れぬ――とはいかずとも、確かに一丸になって竜を殺そうとしていた人間達が、割れた、乱れた、……軍略上の行動が妙になった、と。
鎧の部隊が幾つか、北に、帝国に逃れていく。
そうでない部隊は東に移動し始めている。
この瞬間、この機。これまで躍起に竜を追い立てていた人間共の殺意が減った。この交戦区域のどの場所でも、暫く竜が死んでいない。それがわかり、わかった途端、ソレは嗤う。
ゲートの放つ光の最中、脳が、血管が浮いている。そんな、透明な体色の知性体。
ソレは臆病で、柔軟で、――何より自身の生存を主眼に置いた行動を示す。
ソレは、考えた。この機を利用しようと。それによって、自身の――拠点の、竜の生存する時間を長く長く長く長く伸ばそうと。
そう、決めた瞬間、だ。
交戦区域のそこら中。
バラバラに散らせ、散らせたが故に尚多く生き残っている竜の集団。
それらの単眼が全て、同時に、……東を睨み付けた。
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