25話 胎動/終局へのプレリュード  *この先3人称になります。

「……ええ。いささか拍子抜けではありますが……富士ゲートは制圧しました。軍備の再編には時間を要し、即応できる予備兵力はこちらの支持者を内側に孕んだままに、残党狩りに動こうとしている」


 金羽織の、オニ。

 同盟軍中将にして、”富士ゲート”攻略作戦の総責任者。


 東乃守殊洛は、本陣中央の指令所――人払いをしたその通信設備の前で、意図して柔らかい声音を出した。


「この不安定さは今だけです。今なら、こちらが場を整える時間が得られる。竜の指揮系統が崩壊した以上、混乱が起ころうと、大和の存亡までが秤の上に載る危険はない。……事を起こせば大和紫遠はすぐに牙を剥くでしょう。けれど、今なら間がある。東部拠点の防備を先んじて強固にする機です。今を逃せばもう、機はないかと。早急に事を進めるべきです」

『…………』


 東乃守殊洛の声に、通信の向こうに下りたのは、沈黙だ。何か考えを巡らすかのような、あるいは迷うような沈黙。

 やがて、その沈黙を裂くように、通信の向こうの相手は、冷たく言い捨てた。


『お好きに。……従いましょう』


 そして、通信は切れる。そんな、相手の既に去った通信機を、殊洛は腕を組み眺め、眉を顰めた。


 今していたのはの話だ。より正確に言えば、竜がいなくなった後起こりうる土地を巡る抗争に際し、それを未然に防ぐ為の緩衝的な国家を創設し、それを帝国連合双方に認めさせるための軍事的姿勢表明。


 その実務を行うのが東乃守殊洛。

 表に立ちアイコンとなるのが、……大和紫遠の実妹、桜花。


 通信の相手は桜花だ。桜花にクーデター決行の提案をして、それが、一切の反論なく……どこか投げやりにも聞こえる返事で、決定された。


「…………」


 その事が、殊洛は腑に落ちない。いやそもそも、殊洛は桜花に対して、表向き取り入ろうとはしているが……常に腑に落ちないと言う感覚が付き纏っている。


 何の欲望も見えないのだ。


 桜花は、望めばどんなモノでも手に入るだろう立場にいて、どう考えてもそれを現実に出来るだけの力を持ち合わせている。


 ただ皇帝の実妹だから、というだけの話ではない。表の顔としていくつかの財閥、後ろ盾を握った上で、……あの魔女はこの国の影、ハーフのネットワークを手中に収めてもいる。


 社会の裏側、それこそ末端に至るまで隅々に点在するハーフ達から、好きなだけ情報を得て、あるいは工作を行えるのだ。


 一声かければ英雄が動く、なんて規模ではない。そもそも、これから行うクーデターに同意し、動員した帝国連合含めた兵士達は、殊洛にではなく桜花に同意している。ハーフから、だけではない。この戦争を通じてオニとヒト、相互に理解しあった前線の兵士達からも、だ。


 ハーフに理解のある皇位継承者、国無き人々に土地を与えると契って、強大な影に支えられている皇女。


 帝国連合問わず、一声で大和に存在する全軍の内少なく見て4分の1を手中に握ることが出来る魔女。国中に同志としての工作員を握っている皇女。それを権力と呼ばずして何と呼ぶのか。


 だと言うのに、あの女からは何の欲望も感じなかった。

 保身も立身も、望んでいないかのように、桜花は振舞っている。

 自分が中心に立ち、旗印となるクーデターにすらも、興味を持っていないかのようだ。


 ……アレはただ他人との契約に即して動いているだけだ。

 殊洛はそう断じていて、けれど同時にそれが腑に落ちず……何なら薄気味が悪い。


 本当に何も望んでいないのか?それとも、腹に一物抱えて、それを隠し通すのが上手いだけなのか。

 理解できないから、怖い。


「殊洛様、」

 と、だ。不意にそう呼び掛けられ……殊洛は背後を見た。


 そこにいたのは、ハーフエルフの男、リチャード。……この男も、桜花の伝からやって来た男だ。


 優秀だから重用している、副官。同時に、殊洛に付いた首輪でもある。

 殊洛が完全に自分の利益だけを考えて、桜花との契約、ハーフとの契約を破れば……殊洛もまた消されかねない。この男に、あるいは他の……殊洛が把握していない工作員に。


 重用しているのは、殊洛にもハーフを裏切るつもりが微塵もないからだ。


 緩衝地域は必要だ。大和の戦争を終わりにする為。あるいは、ヒトと争うことによって、オニが淘汰される未来を防ぐ為。

 謀略について、その他について、諸々考えを巡らせる殊洛に、リチャードは言う。


「ゲート内部の制圧と確認、終了いたしました」

「知性体は?」

「……発見できませんでした。いえ、知性体だけでなく、そもそも生きている竜が一匹も、ゲートの内部では確認されておりません」

「やはり、退いたのか……」


 殊洛は呟く……それもまた、腑に落ちないことの一つ。


 殊洛は一軍人より広い思想を持っている。同時に、戦場に居続けた武人でもある。竜の事はよく知っているのだ。当然、知性体の事も。


 確かに、富士ゲートは竜の最期の拠点のはずだ。だが、それを捨てて最後の知性体が配下を連れて逃げた。


 敗軍の将が自身と部下の存命を望む、というのは別段不思議な話ではない。が、……その判断があまりに早過ぎる。何ら計略を差しはさんで来ず、この戦場で唯一あった計略が、逃走補助の為の陽動のみ。それで、諦めて逃げた。


 逃げた竜の大群は、大和、交戦地域の各地に散って行っている。ゲリラ戦に切り替えるつもりだろうが、……人間は本気だ。森林ごと焼き払ってでも大和の竜を淘汰するだろう。最後に、戦線が少し広がるだけ……。


 そう、考えを巡らせる殊洛に、リチャードは言った。


「もう一つ。……富士ゲート、その構造物の内部は、確かに完全に制圧しました。しかし、肝心のゲート自体が、発見できていません」

「何……?」


 ゲート。巣を総称して、そう呼んでいるが……真に潰すべきはその内部の、竜の生まれる源泉だ。それを潰さなければ竜は無限に生まれ続ける。


「ゲートがあったのだろう場所は発見できました。ですが、ゲート自体は存在しません」

「移設したとでも言うのか?竜が?巣を?……どこに?」


 その殊洛の問いに、リチャードは答えなかった。

 確認できていない、という事だろう。


「…………」

 黙り込み、殊洛は考えを巡らせる。


 富士ゲート。その構造物自体は制圧した。地表にいる竜も、そのほとんどが駆逐されるだろう。


 だが、肝心のゲート自体。そして、それに由来していただろう知性体は、取り逃がしている。その所在を掴めてもいない。


 殊洛の脳裏に同時に幾つかの思考が奔った。


 ゲートと知性体を逃がした。なら、まだ、竜との戦争は終わっていない。

 表向き、竜との戦争は終わることになる。クーデターを最低限の被害で納めるためには、そのゆるみを付くしかない。


 交戦区域の各地に、現存帝国、連合、双方の戦力が点在している。この状況は、殊洛が、あるいは桜花がクーデターを起こすのに最適の状況だ。


 あるいは、それは竜も同じか?各個撃破を行える?殊洛と同じように、戦争が終わったと言う間隙を突こうとしている?


 ゲートがなくなった……いつからない?富士ゲートを攻め始めたその時には、もうなかったと考えるべきだ。その前から、ここにはゲートがなかった?何所か別の場所で軍備を拡充している?



 武人、東乃守殊洛は思考する。侮るべきではない。何かがある、と。


 けれど、それより広い視野の、志の結果政治家に片足を突っ込んだ軍人崩れは、こうも思考する。


 この機はクーデターにとって千載一遇だ。今しかない。仮に拡充していたとしてゲートは一つだけ。大した規模ではない。最悪、クーデターを起こした後、自力ででも排除できるだろう……。


「如何いたしましょうか。この事、大和紫遠には?」


 問いかけて来たリチャードを横に、……殊洛は言った。


「祝杯に泥を混ぜる必要はないだろう。……ゲートの捜索はしろ。ただし、クーデターが優先だ」


 そう、決断した殊洛を前に――リチャードは頭を下げた。



 *



「……そう。ええ、兄さん。わかったわ。……サクラ?」


 同盟軍東部戦略拠点。あと数日後にクーデターが始まるその場所の、一角。司令本部の一室、洋風なその部屋で……ハーフエルフの女、アイリスはそう、声を投げた。


 部屋の中にいるのは二人だけだ。アイリスと、もう一人。


 帝国の第2権力者。あがいてあがいてあがいた末に、影に愛されるようになった女。


 いつからか常にこびりつくようになった仄暗さをその目に、桜花は、アイリスに視線を向ける。


「……、ゲートはなかったそうよ。知性体も。そして、それを知っても殊洛はクーデター続行だって」

「そうですか、」


 何でもない事のように呟いて、桜花は微笑んだ。


「……勝つ事に慣れ過ぎてますね、殊洛さんは。強いし、優秀だから。自分が負ける事を想定しない。自分の理想を正義と疑わない。正義自分は勝つと信じている」

「そういう人間を選んだのは貴方じゃない」


 そう言ったアイリスをよそに、桜花は笑みを零し……話題を変えた。


「それで……ゲートと知性体の位置は?わかってますか?」

「ええ」

「そうですか……」


 どこか気のない風に呟き、思案を始めた桜花を前に、アイリスは肩を竦め、言う。


「……サクラ?一応言っておくけど、貴方今どうとでも舵を切れるのよ?殊洛を切ってお兄様に完全に媚びを売ることも出来るわ」

「東乃守殊洛に知らせることも出来ますね。すると、殊洛はそれをオープンに、再度最後のゲートの攻略戦を兄と始めて……完全な平和の中、クーデターが始まる。抗うふりだけして兄は認めるでしょう。抑止力なんて玩具を真剣に作ろうとするくらいですし、兄さんも困ってるはずです。そうなれば、私はここに、この城の中にいるまま……」


 遠く仄暗く、ぶつぶつと、桜花は呟く。

 アイリスはそれをしばらく眺め……それから、言った。


「……それで?」

「契約は守ります。国も土地も居場所も全て、あげましょう。そこに私が居続けるかどうかは、また別の話です」


 言って、桜花は仄暗い目で、天井を、遠くを眺める。


「……なんだか。始める前から疲れちゃいましたね」


 ふと、そんな事を呟いて、それから桜花はまたアイリスに視線を向けて、どこか仄暗い表情のまま、先ほどと同じ問いを投げた。


「それで、……ゲートの位置は?」



 *



 交戦区域西部。西の果て。

 同盟軍の拠点は東の果てに作られ、結果として東部に比べて同盟軍の軍備と警戒が甘い、地点。


 その地下に……発見されても同盟軍からされていた、地下構造があった。


 正真正銘、この大和に残った最後のゲート。

 最初にこの大和に現れた知性体が根城とする、……この大和で一番最後に作られた場所。


 入り組んだ地下道を、白い繊維――胎動するように輝く繊維が奔り、そうやって輝くその先に、地下の奥の奥にあったのは、巨大な球体だ。


 真っ白い、球体。竜の生まれ出る源泉。ゲート……。


 その傍には、たった今そこから生まれ出たのだろう、単眼の怪物、竜が一匹、いた。


 その竜は自身が生まれ落ちたその場所を確認するように、単眼を周囲に巡らせ――。

 その視線が、止まる。


 ……その先にいたのは、竜だ。いや、もはや竜のような生命体、としか言えないような、異様な存在。


 透明なのだ。皮膚が、外角が透明で、内部を奔る血管が見えている。頭が異常に大きく、形を持った水の中に脳が浮いているかのように、単眼、眼球の奥に脳が見える。


 尾は、細く小さい。牙も爪もない。翼は切り落とされたように、存在しなくなっていて――それこそただの腕のように、その前足の先には、6本、爪のない細い指が付いている。


 異様なのはその竜だけではない。その周囲に――明らかに器具のような、けれど人間にはそれが何かを理解できない物体――それこそ、竜をして作ったかのような、ぶよぶよに膨れ上がった、生きた道具の群れがある。


 今、生まれたばかりの竜。なんの思考もない竜は、ふと、呼ばれたように、その透明な竜へと近づいて行く。


 近づいて来た新たな被検体――いや、材料に、透明な竜は前足を、指を這わせ――直後、その外殻を、指で剥ぎだした。


 目の前の竜。生まれたばかりのただの竜。その血を透明な体に浴びながら、知性体――大和で一番長く生きた、知性のある人類の敵は、嗤う。


 一番多くの知識を蓄えた竜。

 軍略と戦略、帝国、同盟軍の指揮系統を理解している竜。


 そして……という概念を理解している竜。


 その知性体には、取り立てて特別な能力がある訳ではない。単体として、個体として、……あるいは幾らでもいるただの竜に食われて死にかねない程に、その王は弱い。


 弱いからこそ、鎧を纏う。

 弱いからこそ、研究を重ねる。

 弱いからこそ、臆病に、長生きで……。


 弱いからこそ、他のどんな竜よりも恐ろしい。


 這いで、削いで、横にある生きた器具からパーツを取って、繋ぎ合わせてまた削いで……。


 人間には理解できない、そんな作業を終えた後、血だまりの中に立っていたのは、小柄な、半透明の竜。


 知性体と、――そう、スイレンが殺したのとまったく同じ形の、半透明な竜。

 そうやって作り上げられた知性体もどき。


 その、を前に……透明な竜。最後に残った知性体は、満足げに、嗤った。

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