12話 郷愁/孤独に取り残されて

 鏡に、青い目の少年が映っている。


「なんで、僕。目が青いの?」


 大きな犬――“殿下”が、僕のお尻の下で蹲っていて、何となくそれを撫でながら、青い目は鏡に映るもう一人――ずっとそばに控えている、そう、言っていたはずの少女を追う。


「……特別、珍しいというわけではありませんよ。少し、個性的かもしれませんが」

「嘘だ。知ってるよ。ほかの人は皆目が黒いんだ。サユリだってそうだし、食べ物とか運んでくる人とか……紫遠おじさんだって、目が黒いよ」


 そう、拗ねたように振り返ると――背後には、白衣で、くたびれた目をした、煙草を咥えた、背の低い――思い出の中になって、一生年を取らなくなったオニがいた。


「ふむ。………全世界トータル。総人口の比率で言えば、目が青い、と言うのは特段珍しい特徴ではないんじゃないかな?その統計をこのご時世に取ろうとした人間がいるかどうかは知らないけどね」


 ……大変ありがたい意見だ。まったくその通り、まったくおっしゃる通りですよ。


「けど、大和じゃ珍しいだろ」


 俺はそう吐き捨てて、視線を逸らすように、鏡を見る。そこには、汚れた軍服を着た、眉間にしわの寄った、けれど変わらず青い目の青年が写っていた。

 そして、その鏡に映る、俺の世話係。俺を殿下と呼んだ少女が、応える。


「気にする人は、いるかもしれませんね。ですが、私は特段……見慣れましたし。それは個性です。殿下のお母さまが残してくれた財産、ですよ」

「……お母さんなんて、知らないよ。知らない…………」


 俯いた僕の鼻を、煙草の匂いが擽った。


「なら、煙草に過剰に反応するのはなぜかな?覚えているからだよ。言っただろう?」

「思い出は消えない。上書きされるだけ、だろ?」


 そう俺は言って視線を上げる――鏡に映るサユリは言う。


「お母様は貴方を疎んでいた。そうかもしれません。それでも、貴方を路傍に捨てようとはされませんでした」

「殿下、だから。そういう血縁の子供だから。良い生活になれる切符として握ってただけだよ」


 そう言った僕に、白衣のオニは言う。


「ならば君が箱庭に招かれた時、付いてこなかったのは不思議だね。……こういう考え方も出来る。確かに、君の言う切符の側面もあっただろう。疎んだこともあったかもしれない。けれど、まったく情がない訳でもなかった。いざ手放すとなって……彼女は一番君の為になる選択肢を取った。あるいは、手放さざるを得なかった」

「いない方が為になる?娼婦だからか?ああ、教育上良くない育ち方をしたよ。男に買われるたびに俺は箪笥に仕舞われた。手放さざるを得なかった?金で売ったってだけだろ?……もう過去だ、忘れた」

「………それしか、思い出せないのですか?本当に?」

「思い出せない。思い出さない」

「……無理に記憶を引きずり出せ、とは言わないよ。閉じ込めて自我が保てるのなら、ある意味それは正常なんだ」

「なんだよ、……何が言いたいんだよ、」


 そう呟いて、視線を上げた先――鏡に映っていたのは、けれど僕でも俺でも、その背後でもない。

 ―――ノイズでも混じったような、そんな、セピア色の景色だ。


『――イレン?ほら、手品だよ~?』


 あやすような声で言う、女。青い目をした、女。髪は、黒い。やつれている。栄養状態が良くなさそうだ。部屋の様子を見ても、経済的に困窮しているだろう。


 その女は、俺へと笑い掛けて、手に持った何かを見せた。煙草の箱だ。数本、中に入っている、箱。と、だ。そのうちの数本が、それこそ本当に手品のように、ひとりでに浮き上がって―――。


「煙草。酒。……薬物。困窮とは、真綿で首を絞められるようなものです。愛する息子を抱えているとなれば、尚の事」

「どうしても戦時下だからね。前皇帝は軍事にだけ熱心だった。福祉の中には医療も入る。そういう仕事には、どうしても、流行病は付き物だ」

「……出過ぎたことを言ってしまったかもしれません。ただ、殿下」

「まあ、現実的な話として。事実おなかを痛めて生んだ訳でもあるし。そこに何も思わない女はいないんじゃないかな?どういった形であれ、ね。経験がないからそればっかりは、だけど」


 サユリは、エンリは、口々に言う……説教臭く。


「……なんなんだよ。何が言いたいんだよッ!」


 そう、声を上げ、振り向いた先には―――――何もなかった。本当に何も。深淵がそこに広がっているだけ。


 振り向いた先の鏡すらも、存在しない。真っ暗闇、真っ暗闇の中に、僕は、俺は、一人取り残されて………。


 *


「どうして、何にも言ってくれないんだ……なんで、いなくなる………」

 ―――そう、目覚めた俺は呟いていた。


 嗚呼、まったく。クソみたいな夢だ。本当に、俺は、狂ってるな……。

 真っ暗闇の中で、そう思って、俺は目を開けた。


 けれど、だ。瞼を開いたはずなのに、視界は真っ暗なままだ。身体を動かそうとするが、何かに拘束されてでもいるかのように、身体が動かない。

 なんだ……鎧?FPA?の中に、閉じ込められているような――。


 くぐもった音が聞こえる。銃声、砲声―――戦場の音が、近い。その最中に、機能を失った鎧の中で、俺は、閉じ込められてる。

「…………ッ、」

 動こうとする。身じろぎする。けれど、動けない。


 なんで、知性体は?殺したのか?いや、殺す前に、目の前が光って………気を失った?知性体の能力って奴か?FPAの動きを封じる能力か何か?


「クソッ、」


 呻いて、動こうとして………けれど、駄目だ。完全に、鎧が死んでるらしい。銃声や砲声は聞こえ続けている。周囲で戦闘は続いている?その状況で、俺は……俺は、動けない。


「………クソッ、」


 再起動は?……FPAのシステムが生きてるならオートで行われるはずだ。それが出来ない場合は、一度鎧を脱いで、それから…………両手も、両足も、動かせない。どうにか、


 カン、と。

 ガリ、と。


 音が、響いた。鎧を、誰かが、何かが、ひっかいている?


 竜の爪を思い出す。尾を、思い出す。牙を思い出す。それによってもたらされた結果の数々を、思い出す。


「イヤだ…………」


 死は見慣れている。サユリが死んだ後、良く、人間が死ぬのを見た。テロリストに飼われてた頃も、軍に入ってからも、この青い目には無残な死骸ばかり映ってきた。


 それで……遂に俺の番が来たって事か?狂人にはお似合いの末路なのか?殺されるのか?何もできず?身動き取れないまま、竜に食われて?死ぬのか………?復讐も遂げられないまま?


「クソッ!」


 喚いて、呻いても、……身動きは一切取れない。カン、カンと、外で鎧をいじくる音が聞こえる。聞こえ続ける。その音に俺は必死に身動ぎして、呻いて……だがどうする事も出来ず、


「クソッ!……クソッ!」


 喚き、喚き、喚いて、喚く他に何もできず……結局、俺は蓮の下で息をひそめていた頃から、何も………。


 ――ふと、だ。視界に光が差し込んだ。鎧が、開かれた――強制開放か?その操作を誰かが外からした?誰が、知性体………?


「クソ、」


 眩む目で、俺は、外を睨みつけた。その他に出来ることが何もない。ただ、睨みつけ…………それこそぐちゃぐちゃの、鬼の形相で、


「……………」


 目が光に慣れ、そうやって俺が睨みつけていた相手が誰か、見えた。


 オニの女だ。紅い羽織のオニの女が、腕を組み、睨みつける俺を眺め………。

 やがて、そいつは俺の頭を軽く叩いた。


「はいはい、よしよし。……鋼也。手間取るからガキが泣いてるよ?」

「“夜汰々神”にはそこまで詳しくないんだ。完全に制御系が死んでたから、無理やり………」


 扇奈?味方?に、助けられた?

 すぐさま、“夜汰々神”から身を乗り出す。「うおっ、」とか扇奈が声を上げるが、気に留める余裕はない。


 周囲には、死骸の山があった。竜の死骸の山、だ。俺――“夜汰々神”の周囲には、とりわけ多く、死骸がある。刀で切られたり、杭で打ち抜かれてたり。


 助けられた?


「………俺を助けたのか?わざわざ、クソガキを?」


 そう、苛立ったような声が俺の口から洩れ、俺は扇奈を睨み、スルガコウヤ――“夜汰鴉”を睨み………。


 “夜汰鴉”は、特に何も言わず、どこか――俺のすぐ手前を指さした。


「だから助けたって訳じゃない。かばってやるって言ったろ?けど、何より。お手柄だ。それこそ、勲章モノのね?」


 そう言って、扇奈が俺の肩を叩いてくる。

 俺の、目の前―――そこには、知性体がいた。知性体、だったモノ、が。


 大斧がその眼球に食い込んでいる。思い切り振り下ろしたからだろう、眼球が潰れ、頭もつぶれ、知性体が、俺の目の前で、俺の――”夜汰々神”の握る大斧にえぐられ、死んでいた。


 俺が、俺が、殺したのか?殺せたのか?復讐を?

「…………………」

 何も言えなかった。何も言えず、ただ脱力して、結局死んだ“夜汰々神”の上に落ちて……。


 懐を探る。煙草を探る。俺もすっかりヘビースモーカーかもしれない。笑えよ、エンリ。ほかに、わからないんだ。そう、胸中がぐちゃぐちゃで、煙草を咥えて、取り出したライタ―を、けれど俺は取り落とし。


「おっと、」


 そんな言葉を上げて、扇奈がライターを掴んだ。そして、灯した火を、俺の咥えた煙草に近づける。


 火が付く。嫌いな――けれどもう、ずいぶん前から慣れている、匂いがして………。


「フ、ハハ……俺、…………俺は、」


 ぐちゃぐちゃだった。死んだと思った。復讐も出来なかったと。けれど、出来て、生きてて、それで…………呻くように、

「………クソ、」


 視界が歪んでいる。滲んでいる。煙草の煙で、………あるいは、もっと別で。


 クソ……クソ…………。

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