2章 戦禍の紫煙

5話 居場所/無自覚に囁きを

 幼い頃、ルールがあった。離宮の中で、だ。いわゆるしつけだ。破るとサユリが怒る……と言うより困った顔をする。二人きりの家族を困らせないように、可能な限りルールを守る習慣がついた。


 ルールは貴方を守る為にあるんですよ、殿下。


 箱庭だ、まさしく。その習慣は箱庭の外でも続いた。もっとも、社会のルール、ではなく帰属する集団のルールに従う、と言う習慣だ。


 そして軍のルールに照らし合わせれば、上官の命令は絶対。死ねと言われれば死ぬしかない。まあ、実際言われたら俺が自分の手でその上官を殺してルールをなかった事にするだろうが。ルールより優先されるべきモノも、世の中にはある。俺の生存と、復讐。呪い。

 とにかく、だ。


 扇奈の隊に配属され、大和紫遠に対して何もできず、あの日から数日たって、俺の、その全てから優先されるルールが一つ、増えた。


 *


 ……二度と酒は呑まない。絶対に。


「オレは………サユリ、……あいつとそう言う仲だったのか、でも……僕、クソォ!」


 と熱演しやがるオニが視界の隅にいる。


「また馬鹿か……」

「しかも今度は殿下本人だってよ。帝国のガキってそんなんばっかかよ、どうなってんだ?」

「サクラァ!」

「スズネさぁん!」


 別の場所では別のオニ達が何か噂している。今度は殿下って、このオニの部隊どうなってるんだ?そう簡単に冗談に出来る情報じゃないだろ、普通。


 とにかくどうも、俺は酔って(と言うより酔わされて)全部吐いたらしい。全部吐いた結果ただの良くいる度を越した馬鹿として受け入れられている。………この部隊は本当にどうなってるんだ?


 と、そう眺めている俺の肩を、また通りがかりの――同じ部隊のオニが叩いて。


「何ぼうっとしてんだ、シスコン殿下」

「復讐頑張るのも良いけど、まず竜な?」


 ………何もかもネタにしやがる。クソが。クソ共が。オニはクソしかいないのか……。


 と、顔を顰めている俺の元に、ふと、扇奈が歩み寄ってきた。そして扇奈は俺を見上げ、ポン、と俺の肩を叩き、優しい表情で……。


「お姉ちゃんに甘えるかい?」

「……ざけんな、若作りのババ――」


 ――言い切る前に俺は宙を舞った。見上げる空が、冬の手前の澄んだ青さだ。


 投げたらしい。どう投げられたのか、速過ぎてわからなかった。とにかく、地に伏せた俺の横を通り過ぎて、パンパン手を叩きながら、扇奈は「はい、集合~」と声を上げている。


 ブリーフィングだろうか?


 ………あの後、俺は扇奈の部隊に配属されたままだった。大和紫遠を殺そうとしたのに、だ。本当に俺は敵として認識されていないらしい。


 だが、それならそれで、寝首を掻いてやる――言うほど容易い訳もない。勲章を手に入れるのは、もう厳しいだろうか?いや、泳がすくらいだ。勲章候補に俺の名前があれば、あのクソ皇帝が面白がって、俺を手元に呼びつけるかもしれない。もう、かなり薄い望みだが……軍を脱走して殺しに行くってのは、夢も希望も実現性もない話だろう。


 起き上がり、俺は他のオニ達と共に、扇奈の元へと歩んでいった。


「サユリィ!」「サユリィ!」


 ……オニにからかわれながら。

 俺は、サユリの名前を叫んだ事はない。


 ………幼い頃、木登りして下りられなくなった時を除いて。クソ、


 *


 オニはひたすら俺をからかってくる。だが、からかうだけの下地がある部隊であることは、何度か戦場に出てわかった。


 FPAとの連携を熟知している。と言うより、ワンマンの扱い方に長けている、と言った方が良いかもしれない。


 俺はワンマンとしては相当使える部類の兵士だ。勲章欲しさに一番危険な場所に志願し続けて、そこで仲間は大抵死んで、俺だけ生き残る。俺だけになっても生き残れる。


 そういう戦い方をしていたから、敵の、竜の群れの中心で生き残る術を心得ている。


 シンプルだ。殺される前に殺せば良い。―――どんな手を使っても。


 竜の死体は壁になるし、武器になる。そうしなければ弾が足りなくなる。レーダーと目視の両方で分布を無意識に把握も出来る。意識せず殺す順番と利用する順番を決められる。


 そんな動き方についてこれる奴にはこれまでお目にかかったことはなかったが――このオニの部隊はわかっている。ついていけない事を、だ。


 前線にいる俺をおとりに、支援に徹するのだ。前に、まったく同じでなくても、似たようなことをする奴がこの部隊に居たのだろうか?あるいは、……このオニのボスがそう言う事をする化け物だから、か。


 かなり好き放題やって、それでも扇奈がこの集団のボスで居られることには裏付けがあった。


 強いのだ。単体として。

 オニの群れに突っ込んで平然と片っ端から叩き切っている。この間、スコアを聞いてみたことがあった。答えは「そんなもんいちいち数えねえよ」だ。誇れる数じゃなくてそう言う奴もいるが……扇奈は別だろう。本当に数えきれないほど殺している。しかも刀で、銃器を使わず、だ。


 オニの社会がどうなってるのか知らないが、どう考えても勲章級の活躍はしてるはずだ。


 化け物が率いる老獪な部隊。残存する竜の殲滅、なんていう端も端の任務で、俺が配属されたのはそういう部隊だったらしい。そうと、何度か戦闘を行って、わかって――。


 *


「腕の確かなクソだ。アイツら……特に扇奈がおかしい。アイツは化け物だろ」

「ふむ、なるほど……」

「俺が突っ込んでも誰も止めないんだ。普通に見送って、普通に支援してくる。邪魔だと思ってた集団がいつの間にか消えてる。やばいと思ったら扇奈が突っ込んで消してる。陣形を維持しろって俺に言う奴が誰もいない。俺も好きに動ける。好きに動いても、その間に部隊が居なくなってるなんて、そんなことがない」

「……なるほど、」


 煙草の匂いのする、テントの一つ。俺の話に耳を傾け、報告に必要だろうにノートを脇に置いたまま、円里はそう相槌を打っていた。


 定例のカウンセリングだ。報告しろ、と言われたから初陣の後に始まった、ただ会話するだけの場。同じ戦場に円里がいる時はいつも、行っている。……来ないと円里に名指しで呼ばれて、部隊の仲間にオニの女に呼ばれてる、と、陰口を叩かれるから。そいつらは皆戦場で死んだが。


「今回は死んでない。陰口じゃなくて、直接言ってくる。クソは変わりないけど、まだマシだ。こそこそ人指さして挙句死ぬ奴よりは、ずいぶんマシだ」

「………そう、」


 話を続ける俺を、円里は気だるげに眺め続けていた。

 そうやって、俺は話し続けて、ひとしきり話終えた後、一つ、新しい煙草を咥えて、円里は箱を俺に差し出してくる。


「……嫌いだって言ってるだろ?」

「それを聞き出すのに私が何か月かけたと思ってるのかな?」

「……ハァ?」


 円里が何を言いたいのかわからず、首を傾げた俺を前に、円里は続ける。


「半年はかかったよ。間違いない。なるほど……私も女性的だったんだね。固執してる気はなかったんだが……そう、そうか。……そうだね。やっぱり、どこかで特別扱いはしていたのか」

「何言ってんだ?」

「ペットを盗られた気分で、嫉妬してるんだ私はきっと」

「…………ペットかよ、」


 それしか言えない俺の前で、円里は続ける。


「心理をどうにか解剖したい時、最良のサンプルは自分自身だ。よほどでなければ嘘を吐けないからね。そして次に良いサンプルは素直で直情的な子だ。私はこれからその素直で直情的な人格をペットと呼ぶことにする」

「………俺が分かりやすいって?」

「私が診た限りで、今が一番饒舌だった。居場所になりえる場所を見つけて嬉しいんだよ、君は」

「……………」


 居場所。俺の、居場所は………。


「大和紫遠に焼かれた」

「そう。もう存在しない。君はその灰を後生大事に抱えて生き抜いてきた」


 そう言って、円里は加えていた煙草から灰を落とした。そして続ける。


「まだ芯は燃えているのかもしれない。けれど、大和紫遠と邂逅したことで、その欲求の一端が解消され、灰が落とされ、灰が落ちた分新しい場所が目に入るようになった」


 欲求の一部が解消された?復讐心が薄れたって言いたいのか?

 眉を顰めた俺を前に、円里は続ける。


「君は潔癖だと思う。過度な執着はその精神パターンの一つだろう。今まで同じ部隊相手にも気を許さなかったのは、彼らが全力を尽くしていないと君が感じていたからだ。彼らなりに必死だったことを、ある程度恵まれた能力を持つ君は若く、認識できなかった。ただ今、君はその欲求に答え得る部隊に居場所を見つけ始めている。君のように潔癖ではないのかもしれない。けれど能力はある。……生まれて初めて対象を大人と認識しつつあるという事かな。すべきことはすべてこなしている、敬愛に値する存在として」


 ……円里が何を言っているのか、俺自身にも完全に理解は出来ない。俺の話であるはずなのに、だ。

 ただ、俺にもわかることも、ある。


「……あんたもなんか、いつもより饒舌だな」


 そう、俺が指摘すると、円里は驚いたように目を見開いた。

 それから、笑みを零して、言う。


「ふむ。なるほど……」


 それだけだ。何に納得したのかは、円里以外にはわからない。


「もう、良いのかな……?良いのかもしれない、こんなものなのかな。……うん、……いや、もう少し経過を見よう。これは私の欲求かな?」


 そう言って、円里は頬杖を付いて、暫く俺を眺め、考え………。


「一週間後。いつものように、話そう。君は今、とても良い状態にあるんだと思う。私が診てきた中で、一番。願わくばそのまま進んでくれると……お姉さんは嬉しい気がするよ」


 どことなく寂しそうに、円里は微笑んでいた。

 お姉さん、ね……。


「オニの女は皆そう言うのか?自分の事お姉さんって」

「つりあいそうな容姿になる頃には、色々と経験してるからね。オニ、と言う種族は、ヒトに対して。いや……案外それはもっと普遍的かもしれないね」


 それに、俺は眉を顰め、それから、立ち上がる。


「……よくわからないな。とにかくまた一週間後だな?」


 そして、俺は円里に背を向けて、そのカウンセリングを終わらせた。


「………巣立ちを見送る心境なのかな、これは」


 吐息のような円里が呟きが聞こえた。

 それを背に、俺はテントを後にした――。

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