1章 クサカベスイレン

1話 配属/予定外の接近

 ―――生きてください、殿下。


 違う。俺は殿下じゃない。公的にその立場に居たことは一度もない。


 ―――スイレン。殿下と同じ名前ですね。


 青を名乗った男の血が混じっているだけ。蓮のように浮いた存在。あの離宮でも、その後のこの戦争の中でも。


 ―――違いますよ。私は貴方の姉ではありません。


 知っていたでしょう?僕より賢かったはずだ。だのになぜ、貴方は僕を殿下と呼び続けたんですか?

 そう問いかけたいと願った瞬間、

 

 ―――燃える離宮を背景に、目の前で柔らかな微笑みが、真っ赤に膨れ上がって、弾け飛んだ。



 ………まったく、また、良い夢を見たものだ。


「クソが、」


 目覚めた瞬間に吐き捨て、俺は身を起こした。周囲にはベットの群れ。真っ白いテントの中。外から、夏と冬の間を示す、蟲の鳴き声が響いてくる。夕暮れ辺りなのだろうか……?


 この場所の正確な立地は、わからない。わかるのは交戦地域の内部である事。その一角の同盟軍野営地である事。そしてその中の医療テントの中である事。


 ……俺は、あの竜の群れから逃げ延びて、友軍に回収されたのか?と、そう考える俺の横で、ふと、声が響いた。


「クソが。ふ~ん、なるほど。ずいぶん前衛的な目覚めの挨拶だね」


 女の声だ。知り合いの声。視線を横に向けると、初めて出会った日からほとんど容姿の変わっていない、背の低い女性が横にいた。白衣を纏い、黒い髪は短く、鋭い目はけだるげで、口には火のついた煙草を咥えている。そして、その額にはがあった。


 オニ、だ。………この世界には、ヒト以外にも別の種族がいる。エルフ、ドワーフ……大和にはオニ。


 竜が現れる前、ヒトとオニは戦争を繰り広げていた。竜が現れてからも、それこそ親愛なるクソ皇帝陛下が同盟軍を組織するまで、そこは公的に敵対していた、らしい。


 俺が軍に入った頃にはもうこの組織は同盟軍だった。復讐を胸に15で入隊、訓練を経て前線へ赴き、そこで出会ったのがこの気だるげなオニだ。


 医療を志し、同盟軍に志願し、前線近くで治療に励んでいるオニ。直接的な外傷の治療と、カウンセリングを主にしてるらしい奴。


 その気だるげなオニ――円里エンリは、懐から煙草の箱を取り出すと、軽く振って一本、俺へと差し出してくる。受け取らなかった俺を前に、円里は煙草をしまい込んで、言う。


「潔癖だね。根本的に規則は守りたい。……まだ二十歳じゃないんだっけ?19、だったかな?」

「ルールを守ろうってんじゃない。嫌いなんだよ、匂いが」


 吐き捨てた俺を、円里は観察するように眺めてくる――。


 その目が、嫌いだ。人の心の中を見透かそうとする目が。


 最初からこいつはその目で俺を見てきた。初陣の直後だっただろう、治療とカウンセリングを受けた。受けざるを得ない荒れ方を俺がしていたのだ。荒れているのは今も大して変わっちゃいないかもしれないが、とにかくそれ以来、俺が前線の兵士にしては長生きだから、こうして知り合いになっている。


「ふ~ん、」


 何を見て取って何を考えているのか、本人にしかわからないだろう呟きを漏らして、それから円里はまた、懐から何かを取り出す。


 紙、封筒。……辞令、だろうか。受け取った俺を前に、円里は言う。


「死地に居ながら辛くも生き延びた。見事な執念だね。しかも五体満足、目立った外傷もないと来た。つまりまたすぐ、君は戦場に立てる。君の望む通りにね」

「富士ゲートの破壊作戦か?」

「その前の館荒らしの後始末だ。残敵の掃討の為に、今ここにいる部隊に編入だよ」


 ……目覚めて早々すぐ次の戦場か。それは、構わない。むしろ望むところだ。それは良いとして……俺としては一つ、気になることがある。


「……俺のスコアは?相当な数殺ったはずだ」

「勲章かい?」


 円里は言った。……知っているのだ。カウンセリングの過程で、吐かされた。俺の身の上と、目的。聞いた上で円里は傍観している。直接的に手を貸す気はないが、止めたり訴えたりもしないらしい。カウンセリングの内容には守秘義務があるそうだ。


 とにかく、円里は紫煙をくゆらせながら、続ける。


「……残念ながらもらえないんじゃないかな?帝国、同盟軍の傾向として、利他的な行為に対する評価の結果が勲章になる、パターンが多いし。スコアだけで言えば、君はもう貰っていてもおかしくないはずだが……化け物のせいで上の感覚がマヒしてるんだろう。このゲート攻略戦にもきっちり参加してたようだしね、例の化け物は」

「………スルガコウヤか」


 帝国軍の英雄、生きる伝説だ。激戦地に自ら身を投じ続け、多くの竜とゲートを屠ってきた男。死神、とも呼ばれている。竜を殺すから、だけではなく、……彼の部隊の生存率が極めて低いからだ。ゲートの攻略に行くということは、敵の只中に自分から突っ込むという事。生存率はそもそも低い。それを何回もやって生きている奴の方が異常、って話だ。


 とにかく、……そいつがスコアを伸ばし続けている結果、普通の竜を何匹殺っても大した評価は得られない。ゲートを壊すか、知性体――竜の親玉を殺すかでもしなければ、勲章には値しない。そう、上の感覚が狂ってるのだろう。


 後、残っているゲートは一つ。知性体も、通例からすれば多くいたとして3体。そのどれかを殺す、……殺せる位置に居なければ、勲章は程遠く、俺の復讐も遠くなる。


 俺は、辞令を手に、立ち上がった。身体は問題ない。FPAも――おそらく無事だろう。


 残敵の掃討。長引いてしまえば、目当ての富士ゲート攻略戦に召集されなくなるかもしれない。さっさと雑魚を片づけるべきだ。……士官でもなんでもない俺に、行動の選択肢なんてほとんどないが。


 と、だ。そこで、立ち上がった俺を見上げて、円里がふと、微笑んだ。


「ふむ。……背が伸びたね、水蓮」


 ……それこそ姉のような、呟きだ。その目が、オニはヒトより長寿だから、会ったその時から何も変わっていないその顔が、俺は、……嫌いだ。


 生きてくださいと、……呪われてるような気分になる。



 医療テントを後にし、俺は野営地を歩んでいた。森の一角を伐採して作られた前線拠点の一つだ。テントが幾つもあり、倉庫や整備場代わりのトレーラが何台かある。兵士はオニとヒトまちまち、友好的に種族混じって話している場所もあれば、それぞれの種族で固まっている場所もある。


 帝国はヒトの国。連合はオニの国。同盟軍はその共同所帯。だが、同じ部隊にオニとヒトが配属されることはあまりない。つい数年前まで敵対していたし、そもそも戦術も違う。


 ヒトはFPAを駆って機動力のある制圧火力でどうにかしようとする。オニは、FPAを使わず――そもそもオニはヒトより強靭で、武器の性質を強化する異能力を持っている――生身で、連携を取って竜を討つ。


 もちろん、両方の種族が同じ部隊に配属されることもある。その場合はオニの戦術にFPAが組み込まれる形になる。が、それに適応できるキャリアと腕があって、かつまだ前線に出続けている化け物ベテランは少ないし、FPAを効果的に運用できるオニの士官――どうもあちらは階級がないようで、便宜的に戦績から一応の階級を振られているが、それを気にするオニはほとんど見たことがない――も、そういる訳じゃない。


 だから、俺はまた、ヒトの部隊に配属されるんだろうと、そう思っていた。次の上官は話が分かってかつ長生き――もしくはクソで早死にのどちらかが良いと。


 だが――辞令に書かれた場所に赴いて、どうも事情が違うことに気付いた。

 ……俺も使える化け物扱いされ始めたって事かもしれない。



「日下部水蓮伍長、です」


 そう、俺は名乗り、敬礼をした。辞令に書かれていた場所、編入する部隊の陣地だ。


 周囲には何人ものオニがいる、テントの群れの中心。そこでは、地べたに直接、一人の女が座り込んでいた。オニの女だ。手近――手を伸ばせばすぐ取れる位置に太刀が置かれている。20代中盤とか、そのくらいの年齢に見えるが――オニの容姿は宛にならない。ヒトより長寿なのだ。


 少なくとも、周囲のオニたちはその女をボスとして認識しているらしい。そういう雰囲気があった。


 その女――紅地に金刺繍の、やたら派手な羽織を纏ったその女は、俺を眺め、言う。


「扇奈だ。階級は………あ~。あたしこないだ上がったっけ?」

「いえ、姐さん。こないだ命令無視して下がったんで、今多分、中尉、とかじゃないすか?」


 ……規律が緩いのか?扇奈は副官らしきオニとそう言葉を交わし、それから、また俺を眺め、片眉を吊り上げる。


「そうか。じゃあ、中尉だ。……で、あんたが、水蓮。……スイレン?珍しい名前だね、男でスイレンかい」


 ………センナも相当珍しい部類じゃないのか?オニでは珍しくないのか?

 まあ、俺としては慣れきった指摘だ。


「名前の事で戦場で不利が生じたことはありません」

「そりゃそうだ」


 そう肩を竦め、扇奈は俺の目を眺める。そして、また問い。


「………ハーフかい?」


 俺の目の色は大和では相当珍しい。が、ここで問われているのは、大和のヒトと別の国のヒトとのハーフか、ではないだろう。


 ヒトと別の種族のハーフではないか。そう、聞かれているのだ。

 そして、俺は、それを知らない。少なくとも超能力なんて使ったことはない。身体能力は高いのかもしれないが、生身で竜を相手どれるほどでもない以上、……本当にわからない。それに……身の上話はしたくない。


「……俺の出生はどうだって良いでしょう。働きはします」

「あ、そう。あ~、また可愛くないのが来たねェ、」


 言葉の割に妙に楽し気に、扇奈は言っていた。世間話だ……が、付き合ってやろうって気はない。


「戦域に残存する竜を掃討すると聞きました。戦術の共有を行いたいのですが」

「戦術、ねぇ。………あんたは相当使える奴だって聞いてるよ」

「キャリアはあります」

「そうかい。じゃあ、好きにやりゃ良い」

「………ハァ?」


 好きにやれ?……独断で勝手に動けって言ってるのか?

 露骨に顔を顰めてしまったのだろう。そんな俺を扇奈は笑い、続けた。


「困ったらあたしが助けてやる。あんたに伝えるこの部隊の戦術は、それだけ」

「…………」


 本気で言ってるのか?好きにやれ?困ったら助けてやる?……遊びのつもりなのか?


「あたしはあんたを知らない。あんたも、あたしらを知らない。ルールで足を引っ張り合うのは賢くないだろ?………急かされてるしね。作戦はもう後数時間で始まる。もうちょっと目覚めるのが遅かったらあんたは無事お留守番出来たんだが……来ちまったもんはしょうがない。慣れたように好きに動いて良いって言ってんのさ」


 戦術の共有の時間がないから、素の能力だけで全部処理する、つもりらしい。

 ……あるいは、単純に戦力として見られていないだけかもしれない。


「……わかりました。作戦の具体的な内容は?」

「竜の残党の討伐。……の、支援だ」

「支援?」

「あたしも急に言われたからね、何もかも知ってるわけじゃない。けど、なんでも新兵器の試験って奴をするらしいよ」

「新兵器………?」


 富士ゲート攻略に使う兵器を、このタイミングで試すって事か。それの、支援……。


 新兵器が何かは知らないが、それが使えるなら楽な任務になるだろう。使えないなら、いつも通り竜を殺すだけだ。周りが死にまくってるから、単独行動には慣れている。


 このオニの部隊が壊滅しようが、どうせ俺は死なない。

 いつもと結局、大して変わらないだろう……そう、思っていた。


 冗談のように――


「どんな武器か知らないけど、どうも皇帝肝入りらしくてねェ。……視察に来てるらしい。陛下御自ら、ね」


 ――オニの女が嗤うまでは。

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