羅刹蓮華に蒼炎の御旗

蔵沢・リビングデッド・秋

序幕

プロローグ 淀みに溺れるように

 透き通った水面に、丸い葉と小さな白い花が咲いていた。


 覗き込むと、水面に自身の、10にも届かないような幼い少年の顔が映り込む。黒い髪。日に焼ける事自体がないような病弱さと繊細さの見える白い顔。質の良い服。


 そして、覗く自分を覗き返すのは、水面と同じように澄んだ、青い瞳。


「睡蓮、ですよ」


 ふと、声が投げられる。振り向いた先にいたのは、女性、だ。その頃は女性に、大人に見えた、今もしその頃の彼女にまた出会うことが出来たのなら少女、とそう言うだろう女性。


 背筋の伸びた少女。柔らかく微笑む少女。落ち着いた声音で話す少女。傍付きの使用人。世話係。内地の奥、大和の北部。広い箱庭。誰一人寄せ付けない離宮の中で、ずっとそばにいてくれた、血のつながりのない、けれど家族のように思っていた、少女。


 お姉ちゃんと呼ぶと、『違いますよ』と困ったように返す人。


 サユリ。日下部小百合。彼女は、柔らかな笑みで、落ち着いた声音で、囁くように。


「………スイレン。殿下と同じ名前ですね」


 *


『――スイレンッ!』


 絶叫のような声、通信機から響く仲間の声に、俺は瞼を開けた。


 目の前にあるのはHUD――FPAのステータス表示とそのカメラが示す目の前の状況。


 ―――死が、目前にあった。


 牙が見える。てらてらと真新しい血の艶めく牙。巨大な口がある。長い首、前足は退化した翼、その先についた爪もまた血に塗れ、後ろ足、その先には刃のように鋭利な尾。


 ある幻想の生物にとても似た形をしている。けれどたった一点の差異で、それは幻想の欠片もない現実の悪魔に変わる。


 目だ。巨大な頭のど真ん中に、目が一つだけ。単眼の怪物。人類の天敵。


 竜。


 その単眼は俺を感情なく眺め、その大口を俺の頭へ――。


「―――クソッ!」


 吐き捨てると共に、俺はその目の前の大口へ、自分の右腕を突き出した。

 その腕は鋼鉄の鎧に覆われている。腕、だけじゃない。俺の身体全てが、だ。


 脆い歩兵を強化するための兵器。全身を覆う装甲に、全身を覆う人工筋繊維。弱いヒトが敵に抗うための、パワードスーツ。フルプレートパワードアーマー――FPA。


 そんな鎧を纏った所で、竜の牙を、爪を、尾を、防ぎきれる訳ではないが……生身よりはるかに強靭ではいられる。


 竜が大口を閉じる――噛みついたのは俺の右腕ではなく、そこに握られていた機関砲の銃口だ。


 20ミリなんてバカげた――それこそ生身で撃てば撃った腕の方が吹っ飛んでしまいそうな威力のソレを、馬鹿みたいに噛みついてきた竜の口の中で――。


 引き金を引いた瞬間、目の前で真っ赤な球体が膨らんで飛び散った。血、肉、目の欠片牙の欠片……。


 頭を吹き飛ばされた竜、その胴体が力なく、俺の方へと倒れ込んでくる。


「クソが、」


 聞いたらきっと小百合は窘めるだろう、そんな言葉を吐き捨てて、落ちてくるクソの胴体を鎧を纏った腕で雑に払い、俺は立ち上がった。


 ―――周囲に広がっているのは、地獄だ。


 見渡す限り竜が蠢いている。意思もなく理性もなくただただ地面を掘り返し血と肉をまき散らしながらただ暴れている。


 その竜へ向けて銃を撃ち続けているのは、FPAだ。灰色の鎧、大和同盟軍で正式採用されている鎧、“夜汰々神ヤタノカガミ”。それが何人も何人も、手のバカでかい銃で迫る怪物を撃ち続けていた。


 何匹も撃ち殺す。けれど、撃ち殺した以上の物量の竜がただ正面から迫ってくる。そして“なにがしの神”なんて大層な名前がついている割にあっさりと、兵士は竜に食い殺される。


『スイレン!日下部水蓮伍長!何をしている、来い!隊列を――』


 呼んでいる声が直後、――咀嚼音か破裂音のような、酷く気色の悪い声に掻き消えた。


 見ると俺の背後で、“夜汰々神”が竜に食いつくされ粉々になっている。

 この戦場で上官が死に過ぎてあそこで死んでいる奴の名前が何かわからないが……


「クソ、」


 ……もう、どうしようもない口癖だ。

 俺は20ミリを、上官だったものに夢中なトカゲに向け、トリガーを引く。が、弾は吐き出されない。さっき頭を吹っ飛ばしたトカゲに食わせたから、銃身が歪みでもしたのか?


 使えない武器を投げ捨てて、その辺に落ちていた誰かの腕が握っている代わりの銃を手に取って、トリガーを引く。


 向こうでトカゲの頭が飛び散った。……どうも今度は使える武器らしい。その武器を手に、俺はまた、死体とトカゲの群れに視線を向け――。


 ――そこで、空から黒い雨が降ってきた。黒い雨粒は、がらんと音を立てて地面に転がり、直後に巨大な炎の華を咲かせる。炎と衝撃に呑まれ、トカゲが――あるいは“夜汰々神”が吹っ飛んでいく。


 ………思い出した。俺もそれで気を失ったんだ。味方の空爆で、だ。きっと馬鹿で使えない最高にサイコパスな指揮官に当ったんだろう。だからこの一帯は、そこで戦っている兵士ごと、見捨てられた。


『勝ったんじゃなかったのか!?』

『なぜ救援が来ない!なんで俺たちごと』

『捨てられたんだろッ!』


 友軍の悲鳴が通信機越しに、空からは爆発する黒鉄の雨。周囲にはトカゲの群れ。

 地獄だ。どう死んだっておかしくない。だが、


「……死ねるか、」


 *


「生きてください、殿下」


 7年前。燃える離宮を背景に、あの、スイレンの小池の前で、サユリはそう言った。


「世界は広い。この箱庭の外があるんです。自由があります。責任があります。選択肢があります。だから、殿下……水蓮。今は生き延びることを、逃げることを考えて。遊んだでしょう?抜け道はいくらでも知っているはずです。だから、耐えて、逃げて、それから、その後は……貴方の望むように、生きて」


 それだけ言って、サユリは俺を池に突き落とした。


「蓮の影に、」


 小声でそう囁いた直後、サユリは背筋を伸ばし、燃える離宮へと視線を向ける。

 言われた通りに蓮の葉の影に、俺はその背を眺めて、そんなサユリの元に、武装した兵士たちが歩み寄ってきて――。


 ………人の死を見たのは、それが初めてだ。


 *


「――クソ、」


 また呻いて、俺は起き上がる――俺の身体の上から、吹っ飛んできたトカゲの死体がするりと落ちる。


 爆音と銃声が聞こえなくなっていた。空爆は止み、戦線は遠ざかったらしい。

 ―――だから地獄を抜けたという話ではない。


 単眼。―――いくつもの単眼が、周囲にあった。竜、トカゲ、怪物、侵略者。


 怪物の群れのただ中で、俺は一人生き残ったらしい。………良くある事だ。


 俺は望んで前線に出ている。功績を立てる為に、あえて危険度の高い場所に志願し続けている。だから、こんな風に躯の群れの中で、怪物の群れの中で、俺は良く、取り残される。


 手近な竜が動いた――ヒトのモノも竜のモノも、両方の躯を踏みつけ血しぶきに変え、牙を剥き出し迫ってくる。


 手元に、武器はない。爆発の時に吹き飛ばされたのだろう。周囲にあるのは死骸だけ。けれど、死骸でも十分使える、使わざるを得ない。


 近くに転がっている竜の死骸を掴み上げる。その尾は、鋭利で、刃のようで、ただそれつき出せば、クソの方から、


 ぐしゃり、と、死にに来る。


『生きてください、殿下』


 そんな声が聞こえた気がする。幻聴だ。呪いのようだ。生きる、生きる、生きる……。


 だが、目的無くただ生きている訳ではない。

 あの日、箱庭を燃やされた日から延々と死を見続けるこの人生、俺の目的も、死だ。


 ……復讐、だ。

 仇を討つまで死ねない。死なない………。


「クソが、」


 吐き捨て、慣れた地獄の中で、死体を漁り、武器を拾い――


 *


 今から7年前。大和帝国に軍事クーデターが巻き起こった。それが全ての始まりだろう。いや、結局、無限に戦争が続いていたこの世界で、回る歯車が一つ変わっただけかもしれない。


 クーデターを起こしたのは、革命軍。国を憂う青年将校達。皇位継承者のほとんどを同時に、異常なほど計画的に殺害したその青年将校たちは、しかし天下を取ることなく散った。


 クーデターを鎮圧したのが、その時第3皇子で、今皇帝の、大和紫遠。権力を手にした大和紫遠は、その妹でもう一人の生き残りの皇族、桜花を表に、この大和にあるもう一つの国家と、連合国と停戦協定、同盟を結び、大和は一丸となって共通の敵、竜へと反撃を開始した。


 大和奪還作戦。帝国と連合国、その間を隔てていた竜の支配地域を力を合わせて奪還し、竜の発生源であるゲートを破壊し続け、――そして、残るゲートはもう、2つだけ。いや、残り一つか?もうここのゲートは壊したって話だから。そうなればあと一つ、最終敵拠点、“富士ゲート”――想像したとおりに立地だろう――の攻略で、この戦争は終わる。


 それが、いわゆる社会の話だ。戦争が終わるって言うんで、内地は今頃お祭り騒ぎなんだろう。

 だが、俺としてはお祭り騒ぎなんて気分じゃない。


 戦争が終わる?………冗談じゃない。終わって貰っちゃ困る。戦争がなくなったら功績の立てようがなくなる。功績が立てられなくなったらどうなる?……勲章を貰う手段がなくなる。勲章が貰えなければどうなる?……一番楽に皇帝陛下のに寄る手段がなくなる。


 大和紫遠は人気者だ。クーデターを納めた。大和の統一の一歩手前まで歩を進めた。竜との戦争にも勝っている。革新的でカリスマ的な指導者だ。……つまりその手も足跡も頭の中も真っ黒で血みどろって話だ。


 社会的には必要な人間ではあるんだろう。まして戦時下だ。だが、世の中には人気者が大嫌いな性根の曲がった奴もいる。


 7年前に起こったクーデター。大和紫遠が治め、その功績で皇帝になったその事件。


 起こしたのは他でもない大和紫遠本人だ。出来レースマッチポンプだったって話だ。


 だから俺は大和紫遠を殺す。


 父親――第Ⅰ皇子だった父親の仇討ちか?……違う。アレとはほとんど面識がない。面白がって買った、もしくは飼った異国の女が孕んで俺が生まれた。母親の事も俺は知らない。興味がない。内地の奥、人里離れた離宮で俺が飼われていたのは、父親が俺を何かの駒に使えるかもしれないと思っていたからか。どうあれ、父親にも興味はない。


結局あの頃から今に至るまで、俺が家族のように思えた相手は一人だけだ。俺の目の前で頭を吹っ飛ばされた、少女。


 ……クーデターの実行犯は大和紫遠がきっちり口封じ処理してるし、そんな末端をいちいち潰していたらきりがない。


 正義とか、社会とか、大義とか、………興味ない。


 目的はずっと一つだ。その一念だけで7年、泥も血も吸って過ごしてきた。その目的を果たせれば、俺は、


 ―――生きてください、殿下。


 ……俺は、今度こそ、多分姉さんサユリが望んでくれたように、真っ当に、生きられる気がする。

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