第36話 夏実の入部と、くずはの温泉旅行計画2

「お、温泉旅行……?」

「そう。お姉ちゃん、良さそうだなって思う旅館のパンフレット持ってきたんだ。二人で旅館選んで、一緒に行こう?」

「で、でもぼく、お金がちょっと……」

「──弟くんはまさかお姉ちゃんとの旅行で、お姉ちゃんに全額払わせないつもりなのかな? 弟くんはそんなの気にしちゃだめだよ。お姉ちゃんは新しいスポンサーが決まって、いっぱい臨時収入あったんだから」

「そうなんだ……くずはさんって世界一足の速い、超一流アスリートだもんね……」

「だから弟くんと温泉に行くくらいは全然平気なんだよ。言っておくけど弟くんには絶対に、一円も払わせないんだからね?」

「わ、分かったよ。あと聞きたいんだけど、真希と璃沙ちゃんと涼葉は……?」

「聞いたんだけど、いろいろ用事が詰まってるみたい。だから今回は二人きりになっちゃうから、みんなでの旅行はまた今度ね?」


 大嘘である。

 くずはが心置きなく、二人っきりの旅行を誘える理由。

 それは単純に根回しだ。


 涼葉のお風呂膝のせ抱っこマッサージシチュ疑惑が爆誕した翌日、佐倉前家の三姉妹は涼葉を取り囲んで激詰めした。

 涼葉はすぐに犯行を認めた。

 そして涼葉容疑者あらため西神田涼葉終身名誉死刑囚は自白を開始、カツ丼を食いながら戦慄のうらやまけしからん兄妹お風呂膝上抱っこマッサージの実態を、事細かに語ったのだった。


 なお最後の最後に「ですが兄妹なので問題ありません」と開き直った涼葉に、三姉妹が無言でグーパンをぶっ放したのは言うまでもない。

 しかも三人とも一切手加減抜きの殺人パンチで、涼葉以外だったら確実に無事では済まなかっただろうけど、涼葉は当然のように無傷だった。


 その後も四人による話し合いが何度か重ねられた結果、下記の新協定が結ばれることとなった。

 1.四人がそれぞれ、一回ずつのお泊まり旅行の権利を得ること。

 2.旅行先ではお風呂癒しマッサージ許可。

 3.旅行を他の人間は邪魔しないこと。

 なお、これらは当然ながら秘密協定であり、もちろん西神田本人にも内緒である。


「ねえ、弟くんはどこがいい? お風呂がよさそうで、お料理も美味しそうなところを選んできたんだけど。このパンフの旅館とかどうかな?」

「わわっ、この旅館の露天風呂って、学校のプールくらいあるよね?」

「しかもそれ、客室についてる個室露天風呂だよ?」

「なにそれ嘘でしょ!?」


 西神田が驚くけれど、くずはが本気で全国の宿から選び抜いたラインナップに抜かりなどない。

 ていうかお風呂で癒しマッサージが目的なんだから、他人の目のある大浴場なぞ全くもってどうでもいいわけで。

 選抜基準は料理の美味しさはもちろんのこと、個室露天風呂の大きさと泉質、そしてなにより、いかにロマンチックなお風呂癒しマッサージを演出できるか──それが最重要項目なのだ。


「こっちの旅館はどう? お料理は最高だし、部屋から見える日本庭園も素敵だけど、温泉が源泉掛け流しじゃないのが弱いかなって」

「くずはさん……? ぼく思ったんだけど、ここにパンフがある旅館ってもしかして、みんなものすごく高い旅館なんじゃ?」

「そりゃお姉ちゃんも夏の大会で頑張るために、いいお宿で英気養いたいもん。だから値段は度外視してるよ?」

「えっ」

「それとも弟くんは、お姉ちゃんなんか……こんないいお宿に泊まる資格なんてないって思うかな……?」


 そう言われて肯定できる人間がどれだけいるのか。

 身近すぎて忘れがちだが、佐倉前くずはは陸上界のスーパースターなのだ。


「それに宿代は弟くんの分も経費から出るから、心配しなくていいんだよ?」

「でも高すぎる宿だと、くずはさんに申し訳ないし……」

「だから全然平気だって、ばっちり経費枠を取ってあるから大丈夫」


 常識的に考えればそんな経費枠など無い。

 けれど普通の高校生である西神田に経費のことなど分かるはずもなく、なんとなく納得してしまう。

 それこそがくずはの狙いだった。


「わわっ。くずはさん、このお宿は星空の見えるベランダが売りなんだって」

「いいじゃない。二人で星を見ながら、しっぽり癒しマッサージっていうのも素敵だよね……」


 西神田がパンフを眺めている隙を狙って、くずはがすすっと身体を寄せる。

 偶然を装いおっぱいを当てるけど、まったく気付かれる様子はなかった。

 その後もくずはは、話を聞くふりをしながら胸を押しつけたり、事故を装って胸の谷間に弟くんの頭を埋めたり、弟くんの肩の上におっぱいを置くなどのセクハラをかまし続けて、新鮮なオトウトニウムを目一杯補充したのだった。


「……ねえくずはさん、オトウトニウムってなに? 今もそうだけど、くずはさんたまに呟いてるよね?」

「弟くんの放つ、女をダメにするフェロモンのことを……はっ、な、なんでもないよ!?」



 そして最後の最後、当然のように「でも夏大会が終わるまでは無理だからね?」と言われて、内心で盛大に舌打ちしたくずはだった。

 このまま勢いで流せば、ワンチャン今週末くらいに温泉行けると思ったのに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る