第21話 校長室にて2 とある校長のちんけなプライドが粉砕された日

 くずはの行動は素早かった。

 週末に私立風の杜学園理事会の承認をもぎ取ると、土曜日に臨時の転入試験を実施させ、翌週には必要書類を整えて聖鷺沼高校の校長室に乗り込んでいた。


「──というわけで西神田敬士と篠宮渚の両名は、七月頭から我が校に転校しますのでご確認ください」

「み、みみみみっ、認められるわけないじゃないっ──!!」


 私立聖鷺沼学園高校校長、伊集院かおりが校長室に響き渡る声で絶叫した。

 渚がとっくに退部届を提出していることは、校長に伝わる前に握りつぶされていた。

 ヒステリー気味の校長がそんなことを聞けば、なにを言い出すか分かったものではないからだ。

 渚が先週火曜日以来、野球部に顔を出していないことは、体調不良のため大事を取っていると誤魔化されていた。


「──渚はねっ! 野球部の看板選手なのよっ! ウチの特待生なの!」

「その野球部は先週退部したはずです。退部届も提出したと本人から聞いていますが不思議ですね、今度は内容証明で送付するよう伝えておきましょう──ねえ弁護士さん?」

「はい、そのようにいたします」


 渚の後ろに控えている男は、いかにも仕事のできそうなエリートサラリーマン。

 校長に渡された名刺には、弁護士の肩書きと有名法律事務所の名前が刷ってあった。


「あああ、あんた知らないの!? 勝手に野球部を辞めて転校したらね、一年間は公式試合に出られないの! 今年の夏も、それに来年の春も、渚は試合に出られないのよっ!」

「本人はそれでもいいと言っています」


 校長の口からヒュッと息が漏れる。

 とことん調べて乗り込んできているのは明白だった。


「とはいえ、本人に非もないのに試合に出場できないとなれば、わたくしどもとしても可哀想だと思いまして」

「そ、そうよ可哀想よ! 渚はね! この夏、日本中のみんなが夢中になるヒロインなのよ!!」

「なのでツテのある高野連の会長に、ちょっと相談してみました」


 高野連。高校野球の主催元。そのトップ。

 普通なら会おうとして会える存在ではない。

 けれどくずはなら、確かに可能だろう。

 なぜならくずはは、容易にそんなことができるランクの人間なのだから。


「会長は大変困ってらっしゃいましたよ。なにしろ渚は、夏の高校野球の目玉ですもの」

「そ、そうよ! みんな困るのよ! だから!」

「なので事情を詳しく説明したら、会長が教えてくれたんです。真にやむを得ないと認められる事情──例えば親の転勤や、他にも使などの信頼関係破壊行為が認められる場合などは、例外的に転校後、すぐ試合に出てもいいのだとか」

「な……! な……!」


 くずはは内心で冷笑する。

 普通ならマネージャーの追放と、それに勝手に名前が使われたところで、単純に内輪もめとして認識されるのがせいぜいだろう。事なかれ主義の組織は面倒が大嫌いである。

 しかしそのせいで、篠宮渚が甲子園に出ないとなれば話は別だ。

 甲子園に渚が出なければ、それだけで大打撃。

 しかもその理由を学校と高野連ぐるみで隠蔽しようとしても、マスコミは絶対に嗅ぎつけて暴露する。

 そうなれば隠蔽がバレてダブルパンチである。


 更に言うならば、当事者の西神田と渚の両名には、事実を隠蔽する必然性がどこにもない。なにしろ何も悪くないのだから当然だ。

 この大炎上確実の案件を、高野連がやり過ごす方法はただ一つ。

 なんなら事実を捏造でない程度に盛ってでも、渚の転校の正当性をさっさと認めてしまうことだ。


「ああ、あとこれは独り言ですが……今回の件に関しては、高野連が動く前に『転校にやむを得ない事情があったと転校元の学校が認める』旨の書面を提出すれば、調査はしなくていいのにと言ってましたね──動くのなら早い方が良さそうですよ?」


 もちろんこれは慈悲ではない。

 高野連の調査が入れば、マスコミに騒がれる可能性も高まる。

 この学校がどうなってもいいが、被害者であるマネージャーの名前まで出る面倒はできれば避けたい。ただそれだけのこと。


「話は以上です。ああ念のため、もしこの転校を邪魔するようなことがあれば──分かってますよね?」


 ではごきげんよう、と言い残してくずはが立ち去る。

 校長室のドアが閉まった途端、校長は膝から崩れ落ちた。


「……なんでようっ! ……なんで……なんで、こんなことに……っ!」


 来客用のソファに顔をうずめた校長の眼から、大粒の涙がボロボロと溢れた。

 嗚咽と身体の震えが止まらなかった。

 世界が真っ暗になった気がした。



 私立聖鷺沼学園高校校長、伊集院かおりはその日、深夜まで一歩も動けないまま号泣した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る