第16話 弟くん不可侵条約1
合宿最終日となる水曜日。
朝食を済ませたくずはは、極秘のミーティングがあると言って西神田を一人で部屋に返した。
嘘は言っていないものの勘違いさせるような言い方をしたことに、くずはの良心が痛んだけれど仕方ない。
くずはが渚と暁烏千佳をつかまえて、人目を避けた食堂の隅っこに陣取る。
「これから大事な話をするから。もちろん弟くんのことね」
くずはの鋭い眼光に、渚と暁烏千佳が真剣な顔で頷いた。
「暁烏、陸上連盟のお偉いさん方があんたのことで大騒ぎになってる。──そりゃそうだよね。トップアスリートが五年掛けて縮めるタイムを、たった一日で縮めたんだから」
「は、はいっ!」
「それで現在、あんたは覚醒した天才ってことになってるわけだけど。そこんとこ本人としてはどう思ってる?」
「えっとその。委員長に全身癒しマッサージしてもらってから、身体が滅茶苦茶軽くなって、体調がもの凄くよくなって──だから覚醒っていう感じじゃ全然なくて、むしろ委員長の魔法のマッサージで、強制的に能力倍増させられちゃったっていう感じですかね?」
「……ちょっと待って。委員長って誰?」
「ああ、わたしと委員長……渚ちゃんの言う野球部マネージャーのことね、アイツとは中学の頃からの腐れ縁なんだ。そんで中学の時、アイツが学級委員長やってたの。その頃から委員長って呼んでるわけ」
すると、目が覚めたら西神田が部屋にいなかったせいで朝から機嫌の悪かった渚が、沈痛な面持ちで首を横に振った。
「……いまの話、訂正箇所しなくちゃいけない箇所がある」
「渚ちゃん?」
「……マネージャーは、誠に遺憾ながら……もう野球部のマネージャーじゃ、ないッ……!」
「え、なにそれ聞いてない!」
「──あーあ、言っちゃったかぁ」
西神田が野球部を追放されたことは、くずはには口止めを頼んだけれど、渚には口止めしていなかったようだ。
もちろん渚が言ってしまった以上はどうすることもできない。
事情を知らなかった暁烏千佳が、渚と情報交換する。
そこで暁烏千佳は初めて、野球部で陰惨な追放劇があったことを知った。
「でもあり得ないよそんな……だってわたしの妹って一年ショートの暁烏夏実なんだけど、夏実も委員長のこと滅茶苦茶褒めてるんだよ? 西神田センパイがいるウチの野球部に入って本当に大ラッキーだったとか、渚センパイがいなくても西神田センパイさえいればウチら絶対に負けないもんねーとか……あ、ごめん渚ちゃんのことを馬鹿にしてるわけじゃなくて」
「……問題ない……それはただの事実だから」
「え?」
「……もしマネージャーが、同じ県のライバル校に進学してたら……ボクは甲子園に絶対出られない自信がある……」
素直に頷く渚に、暁烏千佳が改めて事態の大きさを認識する。
篠宮渚といえば今年春の選抜甲子園で、全試合のほぼ全打席でホームランを打った、まさにバケモノ中のバケモノ。
全世界を巻き込んだ、スポーツマンシップにもとるとして禁止されていた敬遠制度を復活させるかどうかの論争を生んだ元凶。
もし篠宮渚が一人だけで野球しても、メジャー相手に勝てるんじゃないかすらと言われる超人。むしろ神。
その渚が、自分の力よりもマネージャーの力のほうが遙かに上だと断言したも同然なのだ。
驚きを隠せない暁烏千佳に、さらにくずはが衝撃的な発言をする。
「あのね暁烏。あんたがこの前受けたマッサージの効果は、弟くんの癒しマッサージの中ではいわば最低ランクだから」
「は? え?」
「弟くんの癒しマッサージの真に凄まじいところは、それを継続して受けたときに発揮されるってこと。そうよね渚?」
「……間違いない」
「つまりこういうこと。──弟くんの癒しマッサージで、体調が生まれて初めて経験するくらい絶好調になれば、今まで絶対に出来なかったような激しい練習にだって耐えられる。今まではそんな無茶したら絶対怪我する、っていう無茶な特訓だってへっちゃらになる……でもその上がった限界まで鍛えまくればやっぱり疲弊する。そこを弟くんのマッサージで癒やしてもらう」
「そ、それって──!」
「まさに弟くんの癒しマッサージと特訓の、永久機関ってわけ。ねえ渚?」
「……わかりみが深すぎる……」
「一日の増加分はほんの少しでも、何年も積み重ねればとてつもない成果になる。しかも基礎能力が上がればその分練習の限界も上がる、その練習した分が次の基礎能力に──って、まさに指数関数的な話になる」
「そ、それをずっと続けたら……!」
震える暁烏千佳に、くずはが静かに頷いた。
「それがこのボク、佐倉前くずはってわけ」
「……ッ……!!」
「小学二年生の夏からずっと弟くんに癒しマッサージされた結果、世界の陸上界を総なめにするフィジカルモンスターに成長して、まだまだ絶賛発育中のボクの正体は──弟くんに全身を癒して揉んで欲しいがために無茶な練習をし続けただけの、弟くんの癒しマッサージが大大大好きな、ただの小娘だったってわけよ」
くずはの告白に、暁烏千佳は絶句するしかなかった。
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