第12話 渚が野球部を辞めた日3

 バンッッ!!


 渚が佐倉前家の玄関をくぐった直後、とてつもない力で平手打ちされて吹っ飛んだ。反射的に歯を食いしばらなければ、歯の3、4本は折れていたに違いない。

 それくらい強烈なビンタをかました張本人である佐倉前璃沙は、冷たい瞳で渚を見下ろしていた。


「お姉さん、真希お姉ちゃんが学校に行った後でラッキーだったね? もし真希お姉ちゃんがいたら本気のボディブローぶち込まれて、お腹に大穴開いてたよ?」

「……ど、どうして……」

「お姉さんが野球部だから。お兄ちゃんを傷つけたから。それだけで十分でしょ?」

「どういう……こと……?」


 ビンタされた衝撃による脳震盪のうしんとうで意識朦朧としながらも、渚が必死で聞き返す。

 璃沙がじっ……と渚を睨むことしばし。

 

「突っ立ってないで上がれば? 話しながら手当くらいしてあげるから」


 そう言われて、渚は自分が口を切った血が飛び散って、玄関が血塗れになっていることにようやく気付いた。


 ****


 手当を受けながら璃沙の話を聞く渚の顔色は、最初真っ赤に、やがて真っ青に、最後は真っ白になっていた。


「……なにそれ……ボク、そんなの……なんにも聞いてない……!」

「お姉さんも騙されたクチみたいだね。でも殴ったことは謝らないよ?」

「……そんなの当然……ボクはマネージャーを……守れなかった……クズ女だから……」

「しかもお姉さん、野球部の大看板だしね」


 璃沙がそう言うと、渚が静かに首を横に振った。


「……野球部は……辞める……」

「辞めてどうするの?」

「仏門に入って……一生懺悔ざんげする……」

「お姉さんはバカなのかな? あのお兄ちゃんが、そんなことされて喜ぶわけがないでしょ?」

「でも今の野球部にいるなんて……あり得ない……」

「当然だよね。じゃあ転校でもする?」

「……転校……そう、転校する……」

「ふうん? でも転校したら高校野球の場合、一年間の試合出場停止じゃなかったっけ?」

「……そんなのどうでもいい……今の野球部に居続けるくらいなら……ボクは仏門に入る、そして一生懺悔を……」

「はいはい。──まあ、そこまで言うなら仕方ないかな」

「……なにが?」

「今日これから学校サボって、二人でお兄ちゃんに会いに行く?」

「……っっ!!??」


 ****


「……これは、ケジメだから」


 西神田の元に向かう前、そう言った渚が学校に寄って退部届を出した。

 渡された野球部顧問は血相を変えて引き留めようとしたが、渚は底冷えするような目で顧問を睨むと、そのまま学校の外で待つ璃沙の元へと戻ってきた。


「……引き留め……ウザい……死ねばいいのに……」

「ちゃんと理由は言ってきたの?」

「言ってない……もし目の前で口を開いたら……殺したい気持ちが、抑えきれなくなりそう……」

「まあ野球部のクソ顧問なんて死ねばいいけど、お兄ちゃんが気に病んだら大変だもんね。ああそうだ」

「……なに?」

「あとで退部届、内容証明かなんかで再送した方がいいかもね? そいつら、お姉さんの退部届なんて絶対もみ消すに決まってるんだから。それでも揉めるようなら、くずはお姉ちゃんに頼んで優秀な弁護士紹介してもらうからね?」

「……ありがとう……」

「いーのいーの。お兄ちゃんを追放した学校なんて、とことんぶっ潰してやりたいもん」

「……マネージャーは、学校まで追放されたわけじゃないけど……」


 そんな話を二人でしつつ、私鉄と地下鉄を乗り継いで、西神田のいるトレーニングセンターに到着する。


「あっ……ここ……」

「そっか。お姉さんくらい有名人なら、当然召集されたことあるかな?」

「……うん」

「ところでお姉さん。ずっと気になってたんだけど、さっきから何やってるの?」

「土下座の練習……」

「そんなの聞いたことないよ! だいいち、どこで土下座なんてするつもり!?」

「……本当にすまないという気持ちで、胸がいっぱいなら……どこであれ土下座ができる……たとえそれが……肉焦がし、骨焼く……玄関の前でもっ……!」

「お姉さんは何を言ってるのかな!? 念のため忠告するけど、お兄ちゃんが引くような土下座なら、なんの謝罪にもならないからね!?」


 璃沙が頭を抱えながら、西神田の携帯をコールする。

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