第10話 渚が野球部を辞めた日1
月曜日、放課後の野球部全体ミーティングにも西神田の姿はなかった。
なのに誰もそのことについて触れない。
去年からいる唯一の古参男子マネージャーなのに。
ミーティングの最中、我慢の限界を突破した渚が突然立ち上がった。
「ど、どうしたのよ渚?」
「……マネージャー、今日も来てない……どうしたの?」
渚が唯一マネージャーと呼ぶのは西神田だけ。
それは、野球部の誰もが知っていることだった。
キャプテンが答えられないでいると、渚と同じ二年生の小石川みのりが代わりに答えた。
「わたしも気になったからクラス覗いたんだけど、今日は休んでるって言ってた」
「……風邪?」
「分かんない。そこまでは知らないって」
「……放課後、お見舞いに行く」
「じゃあ付き合うよ」
小石川みのりに続いて何人が賛同の声が上がる。
事情を知っている部員はみな居心地悪そうな顔をしていた。
キャプテンが絶望的な目で監督を見ると、どうしようもないという顔で監督が首を横に振った。
「あー、ちょっと待った。──西神田については事情があるんだ。あとで一人ずつ話すから」
「……監督?」
「というわけで渚、それに他の連中も見舞いと称して押しかけないように。分かったな?」
『はいっ』
とりあえず、西神田の話は終わった。その場では。
****
その日の練習後、渚は監督に呼ばれて部室に残った。
「西神田はな、野球部を辞めたんだ」
「……は?」
「信じられないかもしれないが事実だ。だから見舞いに行く必要もない。これは監督命令だ」
「……ど、どうして……どうして……!?」
渚の表情から、あらゆる感情がごっそり抜け落ちていた。
まるで壊れた人形が『どうして』と繰り返しているような有様に、監督がいらだたしげに語気を荒げる。
「どうしてもこうしてもあるか。西神田にだって事情がある。家庭がある。それを詮索するのはマナー違反だ。なにも言わないで去った西神田の気持ちも、尊重してやるのが仲間ってものだろう?」
西神田本人が聞けば憤怒の河を
そもそも西神田が辞めた事情は監督たちが勝手に拵えたのだが、それを口にしないだけの悪知恵は回った。
「……それに、ボクの癒しマッサージ……これからどうすれば……!」
「マネージャーに揉んでもらえばいいだろう。マネージャーが一人辞めたって、幸い野球部にはまだ10人も男マネがいるんだから」
「でも……」
「それにみんな、渚なら喜んでマッサージしたいと言ってくれている。彼らにチャンスもやらずに拒絶するのは、先輩女子部員として間違ってるんじゃないのか?」
「…………」
「みんな、入ってこい」
監督の号令で、部室の外に控えていた10人の男子マネージャーが入ってくる。
「今から一人ずつ、渚に癒しマッサージしてもらう。いいな?」
「…………」
渚は人生に絶望したような泣き顔で、もたもたとユニフォームを脱ぎ、アンダーシャツ一枚になった。
男子マネージャーたちは皆、渚の神々しいまでの爆乳に釘付けになる。
「すげえ……! あれだけデカかったのに、まだ着痩せしてたのか!?」
「それでいて全く垂れてない……オトコの理想のロケットバストだよ……!」
「肌だって滅茶苦茶綺麗だし……くそっ、こんなおっぱいを先輩独占してたのかよ!?」
男子マネージャーが口々に騒ぐが、渚の耳には届いていないようだった。
「始めるぞ。渚、マッサージに希望はあるか?」
「……荒々しく、力強く揉んで……」
「みんな、渚の希望を聞いたな。前のマネージャーを忘れさせるくらい癒しまくれ! さあ、一人ずつ始めろ!」
男子マネージャー10人による渚の癒しマッサージが始まった。
男子マネージャーたちは揉み初めてすぐ、渚の全身を揉みしだくことの困難に気付く。
鍛え上げられ、無茶な練習が蓄積した渚の筋肉は、とても硬い。
それをできるだけ揉みほぐしてリラックスさせるのが癒しマッサージの神髄なのだが、男子マネージャーたちの腕ではそのレベルはおろか、筋肉をきちんと揉むことさえできない始末。
マネージャーたち苦戦し、最後には、こんなになるまで硬くしたら揉めるはずがないと渚を非難した。
けれど渚は忘れていなかった。
初めてマネージャーと出会った日のこと。
これよりもっと硬くしこった筋肉を触って「こんなになるまで練習頑張って、偉いんだね」と頭をナデナデしてくれた後、筋肉どころか全身をわたあめよりもフワフワに揉みほぐしまくってくれたこと。
それは渚がきっと一生忘れない、魂に刻まれた記憶。
男子マネージャー全員による癒しマッサージが終わった後、監督が「明日から誰でも好きなのを指名して揉ませていい。渚なら何人でも使っていいんだぞ」と投げる言葉を背中に、渚は無言で部室から去った。
渚は翌日、学校を休んだ。
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