第9話 全日本女子陸上強化合宿5 暁烏千佳の覚醒

 全日本女子陸上監督、赤井は思った。

 今日、この合宿には絶好調すぎる選手が二人いる。


 一人は言うまでもなく佐倉前くずは。こちらはまあいい、いつものことだ。

 今日は昨日にも増して肌がツヤツヤしている気もするが、いずれにせよあのバケモノは毎日こっちがドン引きするくらい絶好調なのだ。その絶好調を基準にして、常人では絶対なし得ない練習を積み重ねた結果現在に至るという、まさにバケモノの中のバケモノ。


 疑問なのはもう一人の方、暁烏千佳についてだ。

 中学時代はそれなりに輝いていたけれど、胸が大きくなり始めてから成績をどんどん落としていった典型的な負け組ルーザー

 本来ならば全日本合宿どころか、U18選抜ですら呼ぶのは難しいレベルの選手。

 なのに暁烏千佳を呼んだのは、いつぞやの大会で暁烏千佳を見ていたくずはが発した、ある一言が気になったからだ。


「……ボクがあり得ないほど奇跡的な幸運に恵まれてなかったら、きっとあんな感じになったんだろうな……」


 赤井監督の知るくずはは、才能や努力の足りない人間にはとことん容赦がない。けれどその時、くずははむしろ悲しいものを見るような、そんな目で暁烏千佳を眺めていた。

 赤井が見るに、あれは偶然とかもしくは、どうしようもない運不運なんかを嘆いているようだった。


 ──ならば暁烏千佳は、ひょっとしたら『何か』があれば、『第二の佐倉前くずは』になれるんじゃないのか?


 赤井監督は、くずはがどんなに恵まれたかを知らない。

 けれど世界一の脚力を持つ陸上界のスーパースターの一言は、暁烏千佳を試しに呼んでみようと思う程度には重みがあった。

 そして今日。


「暁烏千佳、ちょっとこっちに来て」

「はい、監督!」


 ダッシュでやって来た暁烏千佳に、赤井監督は率直に聞いた。


「暁烏、今日はもの凄く絶好調だな」

「監督も分かります!? もう何というか、今日が人生で一番絶好調です! ていうか、今までのわたしってずーっとどん底絶不調にいたのが、今日になって急に絶好調になったっていうか!」

「そうだろうな。今日の100メートル、あと0.2秒で高校新だったぞ? もちろんくずはを抜いてだけど」

「えっ、本当ですか!? やったぁ!」

「昨日より0.5秒も早いとか、一体どうなってるんだ。なにがあった?」


 100メートル走でコンマ5秒を縮めるのが、トップ層にとってどれだけ厳しいものかを赤井監督は知っている。陸上始めたてのビギナーとはわけが違うのだ。


「なにがあったかと言いますと……えへへ」

「思い当たることがあるか?」

「はい。委員長に、滅茶苦茶癒してもらいました」

「は? ああ、癒しマッサージのこと? それに委員長ってのは誰だ?」

「あ、すいません。くずは様の連れてたマッサージマネージャーのことです」

「ああ彼か」

「そうなんです。それでもう、すごく荒々しくて、でも優しくて絶対痛くなんかしないで、至福の四時間フルコース……うへへへへぇ♡」

「あーはいはい、よく分かった」


 昨夜の痴態を思い出したのか、幸せいっぱいな感じで跳ねている暁烏千佳はさておき。

 コイツが今日、絶好調な理由は理解した。

 あのくずはがわざわざ連れてきた専属マッサージマネージャーなのだ、間違いなく一流テクニックの持ち主であるに違いない。そんなテクニシャンに四時間もねっちょりしっぽり癒しまくられたら、翌日は身体が羽のように軽いのは頷ける。身体測定結果では暁烏千佳はバスト97、普段から乳房が重くて仕方ないだろうから。


 だがそれは、絶好調理由の説明にはならない。

 どんなに絶好調だからって、100メートルのタイムが0.5秒も早くなるとか常識の埒外だ。

 ならばそれは、眠っていた才能が開花したということなのだろう。

 改めて、暁烏千佳の才能を見抜いたくずはの眼力には恐れ入る。


 ──そんな風に、赤井監督は判断した。

 その判断をもしもくずはや暁烏千佳が聞けば、監督はまるで分かってないと鼻で笑われるただろうことは間違いない。

 幸か不幸か、そんな日が来ることは無かったけれど。


「暁烏千佳、このままいけば将来オリンピックも夢じゃない。期待してるぞ」

「!? はいっ、監督!」


 この後、暁烏千佳はぐんぐんと成長を続け。

 最終的にオリンピック決勝の常連選手となるのだが、それはまた別の話。

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