第5話 全日本女子陸上強化合宿1 合宿初日
週が明けて月曜日、西神田とくずはが電車と地下鉄を乗り継いでやって来たのは六階建ての巨大なビルだった。
「着いたよ弟くん、これから水曜日までよろしくね」
「それはもちろんだけど。くずはさん、ここはどこ?」
「んー、具体的に言うと『日本のトップレベル競技者専用トレーニング施設』かな。陸上以外にも体操とかバレーボールとかレスリングとか、いろんな競技用の施設があるよ」
「……ぼく、くずはさんの高校の合宿にお邪魔するんだと思ってたんだけど?」
「ほとんど同じだよ、全日本女子陸上の強化合宿だから」
「ほとんど違うよ!?」
西神田は慌てているが、そもそも部活の合宿が学期中にあるはずもない。
「あのね弟くん? お姉ちゃんこれでもかなり速いんだゾ? そのボクを、部活の合宿ごときで強化できると思うのかな?」
「それはぼくには分からないけど……あ、くずはさんの言ってた『首を簡単にすげ替えられるお偉いさん』って、まさか学校のコーチとかじゃなくて……」
「うん、そう。陸上連盟とか文部科学省とか、あとはスポーツ庁長官とか?」
「……くずはさん。その権力、むやみに振るっちゃダメだよ……?」
「もちろんだよ」
くずははそれから心の中で『弟くんのこと以外で振るう気はないよ』と心の中で付け足した。
****
西神田はついこの前まで、野球部でたった一人の二年目男子マネージャーとして、練習全体をフォローしていた。
備品や部のスケジュール管理はもちろんのこと、選手たちを逐一観察し、練習内容を確認し、厳しすぎる練習をしている選手にはそれとなくフォローして、それでも止めない選手には怪我をしないよう多めにマッサージをして、選手の体調が崩れないようケアをする。
今年になって大量に新入部員が入り、総勢50名を超えた野球部での仕事量は、毎日目が回るほどだった。
それにくらべて今回は、くずはの専属マネージャーも同じだ。
くずは以外にケアすべき人間は誰もいない。
ふと見回しても、危なっかしい練習をしているレベルの低い選手など一人もいない。
さすが全日本クラスはレベルが高いと感動した。
だから西神田の仕事といえば、400mトラックの外で体育座りしながら練習を眺め、ときおり休憩しに戻るくずはを迎えることだけだった。
「ただいま弟くん、これから20分の休憩だよ」
「くずはさんお帰りなさい。……薄々そうかもって思ってたけど、やっぱりくずはさんって特別メニューなんだね?」
「まあね。こんな練習ほかの子にやったら、すぐぶっ壊れちゃうよ」
くずはの練習は両脚に重りをつけて、体力の限界まで全力ダッシュを続けるというもの。
さすがのくずはも苦しそうで、爆乳を包む特注タンクトップから汗が滝のように流れていた。
少しでも冷却効率を増すためだろうか、トップレベルの選手のウエアは基本的に布面積が少ない。
片方が頭よりでかいバストの下には、くずはの恐ろしく引きしまった腹筋が剥き出しで、くびれの大きさを強調している。
アンダーもまず他の競技では見られないローライズブルマ。
そのどれもが、世界的スポーツ用品メーカーが威信をかけて開発した、くずは専用モデルだった。
くずははまだ高校生ながら、絶大な人気のCMキャラクターとして、莫大な収入を稼いでいる。
「くずはさん、やっぱり脚パンパンだね。20分かけてマッサージしてもギリギリだけど、それでいい?」
「えー……お姉ちゃん、弟くん全身癒しマッサージは絶対外したくないんだけどなあ」
「全身やるなら40分は必要」
「ん、じゃあそれで。監督にはお姉ちゃんが後で言うから大丈夫だよ」
西神田は頷いて、仰向けに寝転がったくずはのパンパンに膨れた脚をほぐしていく。
「んっ……」
くずはがどれほど気持ちいいか、幸せそうに蕩けきった顔が雄弁に物語っていた。
「弟くんの癒しマッサージ、ほんっと極楽だぉ……♡」
「くずはさんが頑張ってるから、ぼくも頑張ってマッサージするね」
「あうっ……ふとももやわやわ揉みほぐされるの、幸せすぎだよぅ」
その時、マッサージに夢中の西神田とくずはは気付かなかった。
くずはは陸上界のスーパースターで、どんな時でもこっそり注目されていることを。
だからこの瞬間、トラックの端で行われる癒しマッサージの一部始終も、その場にいた監督やコーチ、選手に至る全員が他のことを全部投げ出して、食い入るように眺めていたことを。
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