第4話 校長室にて

 私立聖鷺沼学園高校校長、伊集院かおりは校長室で書類を睨みながら眉をしかめていた。


「うーん……どういうことなの、これは?」


 陸上部顧問から大慌てで回ってきたのは、とある生徒の全日本女子陸上強化合宿の参加要請書類。

 中身を読んで死ぬほど驚いた。

 なんと当該生徒は、陸上界の生ける伝説レジェンドとまで呼ばれる佐倉前くずはの要請で招集されたのだという。

 くずはの機嫌を損なわないためにも絶対に参加および公休を許可せよと、陸連から遠回しながら極めて強い調子の要請がなされていた。

 しかしながらその生徒は、の生徒でもあった。


「この生徒って、野球部が追放したマネージャーよねえ……」


 校長業務の最優先事項として、野球部の動向はどんな細かいことも最優先で報告を受けている。……もっとも報告を上げるのは監督たちであり、その内容は色眼鏡を通したものだったけれど。

 このまま野球部が活躍し続ける限りバラ色の未来が待っているのだから、注力するのは当然だと校長は考えていた。

 現に今年は去年の倍以上の受験者数があった。

 受験料だけで一億円を大きく超える増収増益だ。

 野球部への多額の寄付金も合わせれば、室内練習場を新たに作ってもお釣りが出るほどだった。


 それゆえに、これからも利益を生み続ける金の卵である野球部の障壁は、なんとしても取り除かなくてはいけない。

 それは監督やキャプテンのみならず、校長も同じ思いだ。

 だから、事前に男子マネージャーを追放したいという相談を受けても、一銭にもならない教育的配慮を脇へ置いて黙認したのだ。


「なんで彼なのかしら……でも要請を断れるはずもないし……」


 校長が唸っていると、コンコンとノックの音がした。


「……校長。野球部活動報告書、お持ちしました」

「ご苦労様! 待ってたのよ、さあ入ってちょうだい!」


 入ってきたのはユニフォーム姿の篠宮渚。

 この前代未聞の天才スラッガーの最も近しいファンを自任する校長は、どうでもいい理屈を付けて週一回、渚自身に校長室へ野球部の報告書を持ってこさせている。

 ニコニコ顔で迎えた校長の表情は、しかしすぐに曇った。

 渚の大大大ファンである校長は、一目で渚の体調の悪さに気付いたのだ。


「どうしたのかしら? 調子が悪そうね」

「はい……でも来週になればすぐに治ります」

「風邪でも引いたのかしら?」

「いえ……ただ少し筋肉が張ったので」


 校長は知らなかった。

 渚は激しい練習で自分の筋肉がよく張ってしまい、そのたび追放されたマネージャーのマッサージを受けていたことを。


 渚は知らなかった。

 何日か部活を休んでいるだけと思っているマネージャーが、もう永久に部活に来ないことを。


 二人はクラスが違ううえ校舎も別々だったので、渚はきっと風邪かなにかで休んでいるのだと思っていた。

 本当ならお見舞いに行きたいが、女子が男子のお見舞いに行っても一般的に迷惑だろう。

 だから今はその分練習して、来週にでも部活に出てきたら、マネージャーがいなかった分までたくさん揉んでもらおうと渚は思っていた。


「それは大変ね。部室に帰ったら、しっかり男子マネージャーに癒してもらいなさい」

「はい……」


 素直に頷いた渚だが、追放されたマネージャー以外の男子にマッサージさせる気などさらさら無かった。

 渚は知っている。

 マネージャーの癒しマッサージは他の男子とはレベルが全く違う、まさに神業であることを。


「……では失礼します」

「頑張ってね。応援してるわよ」

「……ありがとうございます」


 渚が一礼して校長室を去る。

 校長はニヤニヤとして渚との会話の余韻を味わった後、問題の書類に立ち戻った。

 とはいえ結論は一つしかない。

 校長は渋い顔で、西神田の強化合宿への参加と公休取得を承認したのだった。

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