夜の華
派手なピンクのドレスというものはそれを着る者を選ぶ。着こなし一つで美と醜の表裏を別ける大胆なドレス。
その悩ましいドレスをこの上なく妖艶に魅惑的に着こなす女性がいた。田沼美沙である。彼女は不夜城大東京に咲いた鮮やかな蘭の花だ。東京シティに夜の帳が降りてしまうと街は暗黒街の横顔を覗かせる。人々の夢と欲望とが交錯して、混じり合いキナ臭い異臭を発散するのだ。
田沼美沙はさっきから身の内に湧き上がる歓喜を押し殺していた。腰までスリットの入った悩ましいピンクのドレスを着、長い脚を高々と組んで彼女はトランプカードを指先に挟むようにして密かな笑みを浮かべていた。
ここは乃木坂のシティホテルに隣接して建つ超高級マンションの最上階、ダイヤをちりばめたような夜景の見える場所に闇の裏カジノが存在した。彼女は平和とか平凡とか言う退屈が嫌いで、男勝りに単身こんな場所に出入りしているのだ。
常に刺激を求める風変わりな彼女の性格が垣間見られるようだ。常連客はIT事業家や医師、政治家、一流企業の幹部連達、もちろんそれを仕切るのは堅気のものではない。昔は花札に興じた彼らも今はポーカーの方を好んでゲームする。おかげで裏のカード製作専門に莫大な利益を上げている企業もあるらしい。
「もうだめかと思っていたけど、どういう風の吹き回しかしら…」
他の客はやたら溜息ばかり吐く新顔の美沙の演技を真に受けてかなりの額をベッドしてしまっていた。ノーリミットルールだから都心の新築マンション一部屋を買えるほどの額がはられていたのだ。
彼女の手札はストレートフラッシュ。七万分の一の確率。周りの客たちの表情が一瞬に変わった。赤い上気した顔をしてカードをじっと見つめる男、或いは蒼白な顔をして額に手を当てたまま考え込んでしまったような紳士。人さまざまだった。
「あら、ごめんなさい。気持ちよく勝てたところでわたしは帰る。ツキが落ちないうちにさよならってわけ、悪く思わないでくださいね」
田沼美沙のよく通る声。
「ちょっと待ちなよねえさん。もう一勝負しようじゃねえか!」
斜向かいに座っていた黒沼が太い声を出した。インテリやくざの幹部でこの所場の開催人である。他の客はみな無言であった。
「ねえさん今夜はついてるぞ。勝負は勝てるときにとことん勝つものだぜ! もう一丁勝ったらあんた凄い大金を持って帰れる」
「あら、勝負は見切りが肝心なのよ、勝ったらやめるのがわたしの主義なの」
黒沼が苦々しい顔をした。
「まあそう言わずによお、まだ宵の口じゃねえか」
「あら、わたしを帰さない気じゃないでしょうね。ここには堅気の常連客が沢山来ているじゃないの。怖がって来なくなるわよ」
美沙の声がしんと静まりかえった所場に甲高く響いた。
「わかったよ。ねえさん」
◇
アスファルトの路面にハイヒールの靴音が響いていた。黒々と聳える摩天楼の谷にピンクのドレスがよく映えていた。田沼美沙は上機嫌で札束で膨らんだハンドバッグを肩からさげていた。一人である。
酒が幾分残っているのか頬に少し赤みがさしていた。その彼女に気づかれないように追ってくる十人ほどの集団があった。身のこなしも様になっているから堅気の物ではあるまい。彼らの懐にはナイフと外国製の銃が潜んでいた。彼女が今夜カジノで大勝をしたのを知っている連中だろうか、それとも目的は別にあるのか、いずれにせよ達の良くない連中だろう。
昼間はあれだけ人のごった返した街角も、深夜ともなれば昨今の事情でゴーストタウンと変わりがない。路線のガードの曲がり角を曲がったところで彼らは美沙の前に突然躍り出た。八人のやくざ者の集団だ。おどろいて美沙が身構えた。
「ねえさん、あんたずいぶん舐めた真似してくれたねえ」
リーダー格の男が野太い声を出した。
「あんた達、何者よ!」
「何者でもいいじゃねえか、ねえさんさっきのカードの勝負はとんだイカサマみてえだな」
「へえ、この辺の裏カジノじゃ一々勝った客にいいがかりをつけるのかい!」
「いいがかりじゃねえ、あんたディーラーとグルになっていたらしいなあ、ディーラーの青木をとっちめたらすぐに吐いたぜ」
「あらそうなの、あんた達だってイカサマはお手の物じゃないか、いつもは
気丈な美沙は恐怖などまるで感じない様子だ。
「なにをーっ! まあその金を置いていけば今度だけは堪忍してやるよ。でないと二目と見られない面になるぜ」
「誰が置いていくものか! わたしをなめんじゃないよ!」
「痛い目見るぜ、その綺麗な顔を傷つけたくはねえんだ」
「このくず野郎! 目障りだから消えちまいな」
「けっ! ねえさん、たいした玉だな。あんた一人で俺らを相手にするつもりかい?」
その男が懐のナイフをひけらかした。大抵の女であったらこの時点で腰を抜かすが普通であろうが、田沼美沙の反応はまるで違っていた。なにを考えたのか彼女は胸の開いたドレスの間から小さな笛を取り出してしてそれを吹きだしたのだ。
しかも音のない笛であった。男が面食らったように妙な顔をしたが、まるで気違いを見るような嘲りの笑いが顔に浮かんできた。
「ねえさん、なんの真似だいそりゃ!?」
そのセリフが終わるか終らないうちに、信じられないような事態が起こった。男の手にしたナイフが宙に舞ったのだ。ナイフだけではない。ナイフを握り締めた手首ごと千切れて空中に吹っ飛んだ。一瞬の身も凍りつくような惨事だった。
「おあーーーっ!!!」
血煙があがり、凄まじい悲鳴と共に男が踊るように弧を描いてその場に倒れ込んだ。周りの男達も度肝を抜かれて男を見やった。
「て、てめえ! 何をしやがった」
「わたしに刃物なんぞ向けるなんて、百年早いんだよ!!」
凄みのある啖呵だった。凶悪なやくざさえ尻込みしかねない覇気がみなぎっていた。
「野郎!!」
しかし、やくざ達は惨事には慣れていた。彼らも切った張ったの世界で生き抜く手練れたちである。ここで逃げ腰になったのでは闇の世界は生きてはいけない。
「かまう事はねえからやっちまえ!!」
その言葉を合図に男たちは得物を閃かせて一斉に田沼美沙に飛びかかった。しかし惨事は終わらなかった。最初に飛びかかった男は肩口から血を噴き出した。頸動脈がざっくりと裂かれている。まるで日本刀で袈裟切りに切られようであった。
「おうぐっ!」という喘ぎ声を残して地面に蹲った。
そこはもう驚くに足る修羅場だった。まるで透明人間が日本刀をもって暴れまわっているようであった。男らはほとんど何の抵抗も出来ぬままに血だるまになっていくのだ。
その中で田沼美沙はただ笑い狂っていた。まるで鬼神か魔物でも憑依したようだった。ものの五分もしないうちに男たちは誰も動かなくなった。目にもとまらぬ高速で黒い影が何回もその場を走ったように見えた。
不気味な黒い影はいったい何なのだろう……。
まさか望月が魔獣になって彼女を助けたのではないか? そんなはずはない。彼は今囚われているはず。それに田沼美沙に望月が加勢するなんて、そんなことがあっていいはずはない……。
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