捜索
望月が拘束されてから二日後の事だ。何でも屋と書かれた安っぽい看板の前に三人の男女の姿があった。
場所は麻布。ビル街から奥まった細い道路沿いに望月の何でも屋はあった。築三十年位経っていそうな六階建ての雑居ビル、その二階のフロアに何でも屋はあった。
彼らは何回も時計を眺め、不安そうに顔を見合わせ、一階から二階に続く狭い階段を行ったり来たりしていた。
一人は理工系のK大三年の須藤研一。大学名は有名すぎるから伏せるとして彼の能力は極めて高い。IT関係が専門だがパソコンを使わせたら国防省の機密データベースにだって侵入できる。
もう一人年金受給者の椎名和夫、すっかり頭部は禿げ上がっている。そして短大生の伊藤理香、可愛くて好奇心旺盛そうな今時の女子だ。
彼らは何でも屋のバイトで、今日は清掃の仕事の為に朝八時にやってきたのだった。今日は初めての給料日でもあったので、バイト代を貰う気で彼らは来ていた。
「しかしおかしいですね。事務所が開いてないなんて。望月さんがいないなんて今までで初めてですねえ」
須藤研一が不信げに言った。
「望月さんの住居はこのビルの四階だから行ってみましょうか」
伊藤理香がそう言うので三人で四階まで行ってチャイムを押したが応答はなかった。
「しかし信じられないね。現場に行かなかったら顧客をなくしそうだ」
椎名和夫が困って腕組みをした。
「困ったわ、今日はバイト代を予定していたの。支払いがあるのよ」
伊藤理香も浮かない顔だ。
「なんか嫌な予感がします。望月さんは仕事には誠実な方ですよ。何かあるなら事前に連絡があるはずです。なにかあったんだきっと」
須藤研一が言った。
「うん。でも仕方がないからしばらく待って来なかったら帰ろう」
椎名和夫が残念そうに言った。事務所の中の電話が何回か鳴ったが中に入れないので電話に出られない。
「携帯は通じないの?」
伊藤理香がきいた。
「もちろん何回も電話しました」
須藤が答える。
「まさか、夜逃げ?」
伊藤理香がすこし笑ってそう言った。心と裏腹な笑いである。
「まさか」
やがて三十分が過ぎてしまった。
「帰ろう。俺は帰る」
ちょっと嫌な顔をして椎名和夫が言った。
「そうねえ、でも明日はどうするの? もう一日バイトあるのに。日当一万円は魅力なのになあ」
「困ったなあ、ほんとに」
須藤研一が何かを考えた様子でこう言った。
「そうだ、望月さんの腕時計にはGPSが付いているんだ。居場所がわかるよ」
「ほんと」
「ああ、望月さんは二週間ぐらい前に自慢げに僕に腕時計を見せてくれた。スマホでも場所を探せるんだ。追跡できる。事務所のパソコンでやって見せてくれた」
「でも、おせっかいじゃない?」
「とにかく俺は帰る」
椎名和夫はそういうと不機嫌そうに帰ってしまった。仕方のない事だった。
「僕は一度家に帰ってパソコンで望月さんの居場所を探すよ。なにか悪い予感がするんだ。伊藤さん携帯教えといてよ。あとで連絡するから」
「ええ、いいわよ」
須藤研一は童顔だがかなり感の良い青年だった。彼は望月から専属で事務所に来ないかと誘われていたし、彼もまた望月丈を信頼していた。そして二人も何でも屋を後にした。
◇
伊藤理香が自宅で昼ご飯を食べているところへ須藤健一から連絡が入った。なんでも須藤の話によると望月の腕時計は今、まったく移動せずに府中の城山公園付近にあると言うのだ。なんだか狐につままれたような話だった。仕事の現場ともまったく違う場所だった。
「ねえ、伊藤さん行ってみないか、時計のある場所へ。僕は思うんだけれど望月さんが仕事を放り出して、府中に行ったなんて有り得ない事だよ。なにかとんでもない事情があると思う」
「そうかもしれないけど、もう少し待ってみたら。望月さんに人に言えない事情があるかも知れないじゃない」
「いや、僕らにまったく連絡がないなんて絶対におかしい。なにか悪い事のような気がしてならないんだ。家の車を出すからこれから望月さんを一緒に探しに行かないか? 君が嫌なら僕一人で行くまでさ」
「……」
暫らく考えた伊藤理香だったが、今日は仕事のはずで暇なのだし、思い切って行ってみることにした。なにしろバイト代の八万円が気がかりだった。
まったく須藤研一はなんと思考力と行動力に長けた青年だった。しかし二人はその行き先に想像もできない危険が待ち受けているなんて、この時には知る由もなかったのである。
伊藤理香が午後一時を少し回った頃、千駄ケ谷の自宅の前で待っているとグレーのパジェロが勢いよく停車し、ドアウインドーが下がると須藤研一の元気そうな顔がのぞいた。
「さあ乗りなよ伊藤さん。父さんの車だ。遠慮はいらないよ」
理香はためらいもなくマグボトルを持参のうえ、助手席に乗り込んだ。カーナビがもうセットされていたので車はスムースに発進した。
「しかしなんか変な感じ、社長探しの旅か……」
マグボトルを口の運ぶ理香の瞳に好奇心が揺れている。須藤研一はただ「うん」と言ったきり至って寡黙だった。
研一は今回の望月の行方探しになぜか非常に興味を覚えた。それというのも最近彼はミステリー小説に凝っていた。都内の道路を走り、中央自動車道に乗る。東京競馬場を右に見て高速の国立府中を出れば目的の場所の近所だった。
長くゆるい坂を走り、人家がまばらにしか見えなくなったとき、鬱蒼とした雑木林の中にその古城のような洋館が見えてくると、唖然として二人は顔を見合わせた。
最初は凝ったラブホテルかとも思えたが、それにしては古めかしい。研一は車のスピードを無意識にセーブした。
望月の腕時計はその洋館の中だとGPSが教えている。疑う事のできない事実だ。近くまで行ったが高い鉄の柵が行く手を阻んだ。仕方なく車を止めて二人は降りた。緑青の染まった鉄の門は閉まっていて、門の横にインターフォンがあった。
「ねえ、ここに本当に間違いないの?」
不安そうに理香がきいた。
「ああ、間違いないと思うGPSが壊れていない限りね。それに……」
「それにどうしたの?」
「ごらんよ、きのう小雨が降ったのでタイヤの跡がくっきり残っている。この門を車が通ったんだ。それにこのタイヤ跡の幅の広さを見て、国産のタイヤじゃない。まさかトラックでもないと思うよ。望月さんのカマロのタイヤだと思うよ。きっとそうだ」
「へえー、須藤さん、まるで探偵みたい」
研一は門の中に車がないか懸命に探している。
「インターフォンを押してみよう、確かめるんだ」
「でも……」
理香が不安そうだ。
「僕らは何も悪い事をしに来たんじゃないから、そんなに遠慮しなくたって大丈夫さ」
研一は躊躇しないでインターフォンを押した。しばらくたってから館の二階のカーテンが一瞬動いたかと思うとインターフォンに応答があった。
「どちら様でしょう?」
トーンの高い女の声であった。
「失礼します。僕は須藤と言う学生ですが、ここに望月と言う人が来ていませんでしょうか?」
「――」
暫らく間があった。
「――いいえ、そんな人は来ていません」
「そうですか、実はその人の腕時計に行き先を告げるGPSというものが付いていましてその信号がお宅様から発信されているのですよ、なのでその人を探してこうして伺ったのです」
「まあ、変な事を言うのね。――じゃあその発信機だかなにかがおかしいのではない? ここには一昨日から誰も来ていません。出入りしたのは家政婦ぐらいです」
「それにタイヤの……」
そこまで言いかけて研一は口を
「そうですか、それは大変失礼しました。きっと何かの間違いだったみたいです。すいませんでした。失礼しました」
「……」
研一は目で理香に帰る事を合図した。理香が少しがっかりしたような表情をして車に引き返した。しかし二人が車に乗りこんでから思わぬ事を研一が言った。
「怪しいよ。実に妖しい」
「え? どういう事」
「タイヤの跡を目で追ってみたけど屋敷の裏側の方まで続いて見えない。それに人の出入りが全然ないなんておかしいよ、少なくても車が入ったのだから。今の人、嘘をついている。だからあれ以上追及しても無駄さ。知らないの一点張りに決まっている」
「まさか、なんで?」
「車を近くの駐車場に入れて歩いてもう一度来よう」
「ええっ! やだ。わたし」
「僕一人でも行ってみる。車があるかどうかだけ確かめるんだ。それ以上深入りはしないよ」
「で、もし車があったらどうするの?」
「その時になって考えるよ。少し待って名案を見つける」
理香のピンクの頬が青白くなったような気がした。結局二人は恐る恐るまた館に戻ってきた。時間は午後の三時を回っている。
「もしかしたらこれって事件かも知れないよ」
「やだーっ、怖いよ」
尻込みしながらも理香はしっかり須藤研一についてきた。裏門に回る。館の裏側は土手みたいになっていてその脇に川があった。雑草の生い茂った鉄柵の裏門から覗くと裏庭に車が二台停車していた、一台はありふれた大衆車であったがこう一台はボディカバーが掛かっていた。
「ごらんよ、あのカバーのかかった車はおそらくカマロだ」
「いったいどういう事なの?」
「車を隠したんだよ、たぶんね、なんとか確かめてみたいな」
そう言って研一が裏門の鉄格子に手をかけると金属が鈍く軋む音がして門が開いた。鍵がかかっていなかったのだ。研一はゆっくりと館の裏庭に入った。確かめたい衝動にかられてボディカバーを少し捲ると鮮やかな赤い色がまぶしく目に飛び込んできた。やはりそれは望月のカマロだった。研一は何度か車を見ていたので間違いはなかった。いつの間にか理香も後ろでその様子を見ていた。
「帰ろう、ここに長居は無用だよ、もう少し考えてどうにかしよう」
「ええ」
二人が踵を返そうとした時だ。その行く手を阻むように五人の屈強な男たちがそこに立ちふさがった。あのノアビルにいた望月を騙したチンピラみたいな男たちであった。もちろん研一たちには面識がない。
「よう、兄さんたち不法侵入罪って知ってるかい?」
三白眼の人相の良くない男がそう言った。
「ああ、いや僕らはそんなつもりじゃないです。直ぐ帰りますから失礼しました」
「そうはいかねえな。この館のご主人様がたいそう怒っていなさるんだ」
その三白眼の男は一見ひょうきんそうな顔立ちだったが、その瞳の底には狡猾で恐ろしい眼光が光っていた。足早にその場を立ち去ろうとする二人だったが、たちどころに取り押さえられ、後ろ手に縄で縛られてしまった。それこそ不法であり尋常な行為ではなかった。
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