豪奢な洋館


 ――藍色の夜空に黒いシルエットで浮かびあがる怪しげな洋館。それはおよそ時代に似合わぬ中世の城だ。


 望月が囚われている洋館は内部に恐るべき秘密を隠していた。そこは表向きこそ大きな邸宅であるが、その地下にはブラックナイトの秘密のアジトが建造してある。

 地上三階建ての洋館は地下数百メータ―に及ぶ要塞じみた秘密基地を隠しているのだ。地下道は国立市、府中市、多摩市に通じどこからも出入りでき、研究施設や、通信施設などが完備していて、例えば極秘テクノロジーの研究開発、組織の情報収集等の活動拠点になっているのだ。


 須藤研一と伊藤理香の二人は望月とはまた別な暗い部屋に監禁されてしまった。そこは廊下に面した太い鉄の格子のはまった牢獄のような所だった。腕の縄をほどかれたのがせめてもの救いだ。チンピラ達はニヤニヤしながら暫らく二人を眺めていたがやがて三白眼の男が理香にいやらしいウインクを残してその場を去って行った。


 所持品はすべて取り上げられている。廊下を足音が遠のくと研一は体ごと力いっぱい中から鉄のドアに体当たりしてみたが、肩に激しい痛みがはしっただけでドアはびくともしなかった。

 部屋の中を見回したが、広さは八畳ほどで天井も床も壁も堅牢な作りでとても抜け出ることなど不可能だった。研一はそれがわかると激しい後悔に駆られて床に膝をついてしまった。理香はものも言わず顔面蒼白でどこを見るともなく唇を震わせている。


「早まったことをした、許してください伊藤さん。こうなったのは僕の責任です。あのまま引き返せばよかったんだ。許してください。君を誘ったばっかりにこんな事になってしまった……」


 須藤がそう言うと理香は暫らく声も出なかったが首を左右に振った。


「こんな所になんか最初から来なければよかった。――でもあなたが悪いんじゃない。悪いのはあの人達よ、この様子じゃ望月さんもここにいるのよ。きっと捕まっているに違いないわ」


「ええ、たぶんそうでしょうね。しかしなんでなんだ? さっぱり訳がわかりません」


「ここは普通の家じゃないわ。こんな牢獄が普通の家にありっこないもの。わたし怖いわ、わたし達いったいどうなってしまうの?」


 理香が自分で両肩を抱くような格好で泣き顔のまま震えながら言った。


「なんとかしなきゃ、なんとか」


 二人がそんな会話をしているうちに廊下にまた足音が響いてきた。どうやら二人らしい、一人はハイヒールみたいな靴音である。そして二人は牢獄の前までやって来て中を覗き込んだ。一人は田沼美沙でもう一人は田沼勇二だった。田沼美沙はまるでレディガガが着るみたいなレザーの黒のボディスーツを着ていた。勇二は痩身で神経質そうな切れ長の目で二人を睨むようであった。


「あなたたちも馬鹿な真似をしたわねえ……」


 田沼美沙が蔑むように言ったが中の二人は何も語りはしなかった。


「しかし奴の腕時計が車のダッシュボードの中にあったのになぜ気づかなかった?」


 田沼勇二が美沙に問いただすように言った。


「あいつらは間抜けなのよ、いずれお払い箱にするわ」


「あの抜けた連中に望月の所持品の確認を任せるんじゃなかった。おかげでまた厄介を背負い込んだじゃないか。あの馬鹿めらが! で、この二人をどうする気だ美沙」


「隣国にでも売りつけて洗脳して工作員にするか、それがだめならコンクリート詰めにして海底か沼にでも沈めるしかないわね」


 うそぶくような美沙。意外にも平然としている。


「とんだリスクだぞ美沙」


 勇二の眉間に深い皺がよった。


「仕方がない。事故にでも見せかけ始末するしかないな」


 冷酷非情な勇二の口調と、その言葉にすっかり意気消沈したような須藤研一だったが急に立ち上がって恐る恐る二人に質問した。


「望月さんはどうしました? ここにいるのですか」


「さあ、どうかしらねえ」


 はぐらかす様に美沙が言って薄笑いを浮かべる。


「どうせあんた達もう帰れないのだから教えてあげましょうか。あの望月と言う男はわたしたちの科学者が作った怪物なの、だからわたしたちが回収したってわけよ。どう驚いた?」


「……」


 若い二人はただ茫然としていた。そして化石になったように押し黙っていた。無理もないし彼らには何の罪もない。それなのにこんな理不尽な事があっていいものなのか。



  ◇  ◇




 望月は憔悴しきっていた。彼の人生に於いてこれだけの目に遭ったのは初めてであり、屈辱であり慚愧ざんきに堪えない事態だった。どう悔しがっても拘束は解けない。彼らの用意周到さをいくら恨んでもはじまらないのだ。

 望月の首には金属のリングがはまっていて、それがダイヤより硬い最強金属ロンズデーライト製ときている。この金属は隕石が地表に衝突した際にできる希少価値の高い金属でこれを細工するのだからブラックナイトという怪しい組織が並大抵の組織でない事の察しがつく。


 望月はもう何度も黒豹に変身してしまいたい衝動に駆られた。なぜならネコ科に類する彼は束縛されるのを殊のほか嫌う。だがそれを思い届まさせる重大な懸念が脳裏をかすめていた。

 変身時には望月の首の太さはおよそ今の十倍以上に膨れ上がる。となると金属が切れるか壊れるかしないかぎり望月はまず窒息するだろう。変身時にこのリングを打ち破れる確証がないのだ。その恐怖が彼を変身に駆り立てる衝動を抑えていたのだ。


 この二日間に望月は様々の検査を受けた。人間ドック以上の精密検査でその中には酷い苦痛を伴うものも含まれていて拷問と大差なかった。それはここに書くことさえ憚られるくらいの恐ろしい仕打ちだ。例えば五臓六腑に麻酔なしで針を通され組織のサンプルを採ったり、神経組織に高圧電流を通されたりして、彼はなんども嘔吐したし、何回か気絶もした。もうどの位の量の血を抜かれたか見当もつかないのだ。


 これが一番望月には堪えた。聖獣の血を悪用されたらとんでもない事になるに違いない。辛い焦燥感、敗北感が重く果てもなく望月に圧し掛かってきた。まるで一分が一年にも感じる。発狂してしまった方が楽なのではないかと思うくらいだ。


 薄ぐらい密室でまたも望月の意識が飛びそうになった。天井に小さな蛍光管が灯っているだけの殺風景な部屋で彼の精神力、体力の限界が近づいていた。

 このまま死んで果ててしまった方が楽だと気弱に思い始めていたその時である。彼は部屋の隅の一際暗い部分に誰か人がうずくまっているのを発見して声をあげそうになった。その人影は最初しゃがんでいるようだったが、やがて立ち上がってこっちにゆっくり近づいてきた。


 その顔を見た瞬間、望月の心臓が止まりそうになった。その顔は彼自身に酷似していた。それはなんと望月と瓜二つなのだった。幻覚だと思った。自分の分身などいるわけがない。望月は目を擦りたかったが手は動かない。それは懐かしそうな視線を唖然とする望月に投げかけてきた。そして言った。


「どうした? ずいぶんしょげちまってるじゃないか」


「……」


「このまま終わっちまうのか、えっ!? だらしがねえぞ。お前は聖獣じゃなかったのか」


「お前は誰だ? どこから来たんだ」


 望月が疲れきった声でそう言った。


「おまえの心の中からだ。俺はおまえの分身みたいなもんだ」


「分身……」


「いいか、お前は体の中には凶悪な怪獣ヴェードを倒す為に聖女マリアがこの世に遣わした聖獣の血が流れている。だから聖女マリアが常にお前を見守っているのを片時も忘れるな」


「な、なんだと。……なにが言いたいんだ。俺はもう弱っていて目だって良く見えない。聖獣も形無しだ。笑うがいいや、このざまを笑えよ」


「何を言う。不撓不屈こそがお前の自慢じゃなかったのか! 思い出せ、お前は黒川のところを飛び出した頃、ヨーガの瞑想法を自分のものにしようとした。忘れたのか! お前は自分をコントロールするために、解脱、すなわち個体の魂の神への融合を実現するための実践体系を学んだのではなかったのか! そのために修行したのではなかったのか!」


 それはもはや望月の心の声であり魂の叫びであった。


「お前は聖獣に変身するとき、心の中になにを見出すのだ?」


「白い半透明なスクリーンだ、その中に黒豹が現れるんだ……」


「そうだ、その通りだ。いいか、そのスクリーンに黒豹以外の物を想念出来たとしたらどうなる? お前は黒豹以外のものにはなれないと、自分で決めつけているんじゃないのか!」


 そこまで聞いた時、分身はものの見事に消え去った。そして望月の瞳に微かなしかし鋭い光が密かにきらめいた。

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