第198話 親達

「———ン、——イン、セイン」


……遠くから、誰かの声が聞こえる。

僕の名前を呼ぶその穏やかな声は、どこか懐かしさを感じる。


「———あなた、達は…」


僕がゆっくりと目を開けた先、その端がどこかも分からないくらいに真っ白な空間内には—————かつてヌレタ村に暮らしていた人々の姿があった。


ヌレタ村の村長から、孤児だった僕を育ててくれた孤児院の院長、その孤児院のシスター。

更には孤児院へ週に数回食料を寄付してくれていたお婆さんや、孤児院の子供達の姿もあった。そしてその中には、アルトの両親の姿もある。


———彼らは全員、既に死んでいるはずだ。


「…ど、どうして」


「なぁ、セイン。君は、私たちがアルトのことを恨んでいるとは思うかい?」


「え…」


あまりに思いがけない再会に処理が追いつかない僕へ、村民を代表するようにその先頭に立った村長は言葉を投げかける。


———ヌレタ村の村民達がアルトを恨んでいるかどうか。


彼らは間接的にとはいえ、アルトの行動が原因となって死に至った。それは紛れもない事実だ。


彼らがアルトのことを恨んでいても、何の不思議もないだろう。と、僕は考えた。




しかし村長から次に紡がれた言葉は、その予想を大きく裏切るものだった。


「君は、私達の為にアルトを許さないと言ったね。その気持ちはとても嬉しい。だが、それは大きな間違いだ。私達はアルトのことを恨んでなどいない」


僕の真正面に立った村長は、とても穏やかな顔でそう言った。そしてその後ろにいる他の村民達も、それに同意するように頷いている。


「セイン。アルトの目的は決して、世界の滅亡なんかではない。…まあ、私達も親切な女神様から聞いただけでよく分からないのだが。とにかく、アルトは世界の滅亡を望むような子ではないよ」


村長は呆然とする僕の目を見つめ、子供に言い聞かせるようにゆっくりと述べる。


「ヌレタ村は小さな村だ。だからこそ、村の子供のことは大人全員が我が子のように思っている。特に、君たちは非常に優秀でヌレタ村の誇りだった。…君の思う通り、私達の死んだ原因はアルトにあるのかもしれない。だが子供の失敗を笑って許すのが、親の務めだ」


村長は穏やかな声のままそう言うと、僕の頭を軽く撫でて優しい笑顔を浮かべた。


子供の頃に何度も見た。最初はちゃんと叱りながらも、最後には許してくれる優しい村長の顔だ。


「セイン、君はアルトを倒さなければならないのだろう。だが、君が彼を倒す理由は私たちでは無い。君はアルトを、アルトの為に倒してくれ」


村長は締め括るようにそう言葉を止めると顔には笑顔を浮かべたまま、ゆっくりと宙へ浮いていった。よく見れば、その体も薄くなっているように見える。


そしてそれは、村長だけに留まらない。


「そ、村長、みんな!」


村長の後ろでこちらの様子を見守っていた他の村民達も、その顔に笑顔を浮かべたままでその体は宙へ浮いていく。


せっかくまた会えたのに。僕は必死に手を伸ばすが、その手はあえなく宙を切る。


「もう時間のようだ。あとは任せたぞ、セイン。私達の愛する、もう一人の子供を救ってくれ」


村長は最後まで優しい笑顔を浮かべたままそう言い残すと、空気の中に溶けるようにして消えていった。

そして———


「セイン、頑張れよ」


「セイン君、期待してるわ」


「セイン兄ちゃん!いつものかっこいいところを見せてくれよ!」


村長に続くように、他の村民達も次々と宙へ消えていった。消えていく間際にはみな、僕に一言ずつエールを残して。


「セイン君。君にはすまないが、うちのバカを任せた」


「ごめんね、セイン君。ずるいお願いだっていうのは分かってるんだけど——私達の息子を救ってあげて」


そして村民達の中で最後に残ったアルトの両親は、その最期の姿からは想像もできないくらいに晴々とした表情で、僕へとその言葉を託した。





そしてアルトの両親すらも宙に消え、その真っ白な空間に僕はたった一人残される。


………僕は一体どうすれば良いんだ。

僕は決してアルトと戦いたいわけではない。ただ、ヌレタ村のみんなの為に、世界を救う為に彼を倒さなければならなかった。


しかし、村長達は言っていた。村のみんなはアルトのことを恨んでなどいないと。そして、アルトの目的は世界の滅亡などではないと。


もし仮にそれが真実だとするのならば、僕がアルトと戦う理由はもはやない。勿論、国王やアイラ、ヴァルスさん達のこともあるが、その罪を償うと言うのなら僕はそれ以上彼を責めるつもりはない。


しかしそれなのに。村のみんなは僕がアルトを倒すのだと、そう言っていた。


アルトを救う為にアルトを倒す?

一体何を言っているんだ。皆は僕に何を望んでいるんだ。考えれば考えるほど、思考が巡り巡って何も分からなくなる。


僕にはみんなの言っていたことも、自分がこれからどうすればいいのかも、何も分からない————





「———俺を、殺してくれ」


そのとき、頭の中にある映像が映り込んだ。


「な、これは——アルト?」


今この空間には僕だけしかいないはずだ。

ここに彼の姿は無い。そのはずなのに、その姿が見える。その声が聞こえる。


その映像に映ったアルトは——その瞳から涙を流していた。



アルトが——泣いている?

その口元は強がった子供のように必死に吊り上げているが、その目元から溢れる涙は止めることが出来ていない。


自身を倒してほしいと願っている?

何故、どうしてそんなことを望む。どうしてそんな苦しそうな顔をしている。


僕にはその理由が分からない。しかし、かつての友人であるアルトが苦しそうにその顔を歪ませ、僕らへとその望みを伝えていることは事実だ。


友人が涙を流してその望みを伝えている。だったら、僕は。僕はどうすれば———





「———あ、」


「ッ!?、セイン兄様!!、お身体の方は大丈夫ですか?」


次に僕が目を開くと、そこは薄暗い部屋の中で、目の前にはこちらを心配そうに見つめる一人の少女——アイラの姿があった。


「あ、ああ。なんとか、大丈夫…みたい。それよりも…」


僕はアイラへ返事をしつつ、体を起こして辺りを見渡す。

その目を向けた先には——


「…アルト」


その目に少なくない涙を湛えながらも、必死に作り上げた笑みを浮かべるアルトの姿があった。その姿は、先程見えた映像のそれに一致している。


「…アイラ、回復をしてくれてありがとう。——じゃあ、僕は行かなきゃ」


「だ、駄目です!私がお兄様へ施したのは応急処置に過ぎません!無理をすれば、またすぐにでも傷口が開いて———」


「ごめんね、皆に頼まれちゃったんだ。僕はアルトを倒さなきゃいけない」


焦るアイラの制止を振り解き、僕は無理矢理に立ち上がる。


それに気が付いたのかアルトは僕の方へと向き直り、お互いに向かい合う形になった。


「——アイラ。今更だけど、生きていて良かった。また会えて嬉しいよ」


僕は最後にアイラへとそう声をかけ、地面を強く蹴る。


なんだかいつもよりも体が軽い。——天国の皆が力を貸してくれているのだろうか。



普段よりも明らかに速い速度で動く僕の体は、剣を構えるアルトの方へと一瞬で吸い込まれていき———


「———久しぶりだね、アルト。君は僕が倒すよ」


「ああ、セイン。かかってこい。手加減は出来ないからな?」


お互いに強く剣をぶつけ合った僕達は勇者と魔王ではなく、互いに友人としてそう言葉を交わしたのだった。

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