第173話 ヤンデレアーネちゃん

「あ、ぶねぇッ!!」


的確に胸を狙ったアーネの突きを、俺は大きく体を捻ることで回避する。その一撃を回避できたのは偶然ではなく、ただただメモリアのお陰だ。



亜空間の崩壊により、空間から弾き出される直前、


「お前と一緒にいた女…アーネとか言ったか。あれには気をつけろ。あれはもう…手遅れだ」


空間の天や地が崩れゆく中、メモリアは真剣な顔で言った。その詳細を聞くことはできなかったが、彼女がその命の最期に伝えたかったことだ。無碍にできるわけがない。


この部屋へ戻って来たときからなるべく表には出さないようにしつつも、俺はアーネのことを警戒していた。その結果、彼女の不可避の突きを間一髪のところで避けることができた。

メモリアのアドバイスが無ければ確実にその凶器の餌食になっていたことだろう。


「あれ、避けちゃうんですか。流石ですね、アルトさん。ですが——」


「ぅおッ!?」


その突きを避け、後ろへ下がろうとした俺の足元には既にアーネの足が差し込まれていた。更に彼女は軽く俺の肩を押し、足を支点として俺はそのまま後方に倒れてしまう。


尻餅をつく形で地面に転ばされた俺へ、間髪入れずにアーネは腹の上へと跨る。


「これで、私の勝ちで——」


「させるかよ!!」


その後すぐに振り下ろされる凶器を、俺はそれを握るアーネの手を止めることで停止させる。ナイフの刃は喉に刺さるギリギリのところで停止した。  


「アルトさん、大丈夫です。アルトさんを殺した後、私もすぐに死にます、から…!!」


「大丈夫な要素が、一つもない、だろ…!!」


俺はアーネの手を必死に押し上げる。

彼女の力も弱くはないが流石に単純な腕力では俺の方が強い。

時間が経つにつれて、そのナイフは次第に首元から離れていった。


「…分かりました。アルトさんは先に死ぬのが嫌なんですね。———水槍ウォータースピア


「な、」


安心したのも束の間、アーネがそう唱えるとその背中の真上には水で出来た一本の槍が出現した。


水の上級魔法、水槍ウォータースピア。上級魔法とはいえ、アーネの使う魔法だ。俺たち二人の体を貫くことなど容易く出来るだろう。


「なら、同時に死にましょう。アルトさん」


目の前のアーネが笑って言うと、その水の槍は勢いよくその背中を目掛けて落下する。


「馬鹿ッ!!」


パァン!!


それに対し俺は魔力を振り絞り、その槍をアーネに当たるギリギリのところで破壊することに成功するが———


「そうですよね。アルトさんならそうするって信じてました」


「———う、ぐッ」


意識が魔法の破壊へ移った瞬間を狙い、アーネはその手に更に力をかけた。


そのタイミングがこれまた完璧で、かなりのところまで押し戻していたナイフがまたもや首筋ギリギリのところまで迫った。しかも——


「アルトさん、今のでかなりの魔力を使いましたよね?手に力があまり入らないんじゃないですか?」


その両手に全体重を乗せ、前のめりになったアーネが怖いくらいの笑顔で言う。


彼女の言う通り、メモリアとの戦闘に加え先程の水槍の破壊で俺の体力と魔力はかなり消耗している。

その結果、先程は押し返すことの出来ていたナイフを今は押し返すことが出来ない。むしろアーネの力の方が格段に強くなっており、そのナイフの刃は着実に首筋へと迫ってきている。


「さあ!アルトさん!大丈夫です!怖くありません!いつまでも私が一緒にいてあげますから!」


首筋と刃の距離が数cmと迫り、アーネがこれで終わりだと言わんばかりに更に前のめりになる。


そのときに見えた彼女の水色の瞳は、数年前の透き通った瞳とは全く異なり、酷く濁っているように見えた。

もしかしたら彼女は何者かに操られているのではないか。そんな考えが頭をよぎる。


だが俺は何度も確認した。その結果分かったのは、今のアーネは何か取り憑かれている訳でも洗脳にかけられている訳でもないということ。彼女は間違いなく、自らの意思で行動をしている。


「アーネ!!」


分かっていた事を再度確認した俺は握っているアーネの手を押し返すのではなく、横へ押し流すようにスライドさせた。


カッ!!


それに合わせて首を反対方向に動かすことで、そのナイフは俺の首を射止める事なく小気味の良い音を立て床に強く突き刺さる。


「戻ってこい!!」


「な、はぅ———!!」


そのナイフを両手で握っていたアーネは前傾姿勢のまま、驚きのあまりその目を見開く。


その隙に間近まで近づいた彼女の顔を両腕で更に引き寄せ———その唇を自分のそれと重ね合わせた。


「~~~~~~~~~」


それ以降の事はよく覚えていない。


俺はただアーネを逃さないように思いっきり抱きしめ、何も考えず舌と口を動かし続けた。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



時間にして30秒程だろうか。気力も恥ずかしさも限界に達した後、アーネの唇から自分の唇を離した。


「ポー…………」


気づけば、馬乗りになっていたアーネは脱力したように俺の体に覆い被さっていて、その顔は放心したようにどこか遠くを見つめている。


「ア、アーネ?良ければなんだが、退いてくれるか?」


「あ、はい…」


アーネを刺激しないをよう出来るだけ柔らかい声でそう頼むと、彼女はボーッとした様子ながらも素直に退いてくれた。


「………あの、アルトさん。少しだけでいいので、アルトさんから抱きしめてくれませんか?」


お互いに床に座り込み、沈黙が数分続いた後。アーネがこちらを見て静かに言った。


「……ああ、分かった」


俺はゆっくりと彼女の元へと近づき、その頭を自身の胸元へ抱え込むように優しく抱きしめた。


「アルトさん……!!、私…私…!!ごめ、ごめんなさい…!!」


何も抵抗をせず胸元へその頭を埋めたアーネは、まるで親に叱られた子供のように思いきり泣いて謝り始めた。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「落ち着いたか?」


「はい。色々とすみませんでした…」


アーネはそれから20分ほど泣き続け、それからまともに話せるようになるまでに更に10分以上の時間を要した。


「まあ最終的に俺へは特に何も無かったからな。全部許すよ。俺がアーネへしたことに比べれば大したことはない」


まだ申し訳なさげにこちらを見るアーネへ、俺は何も気にしていない旨を伝える。


「…アルトさんは甘すぎます。私はアルトさんを殺そうとしたんですよ?」


そんな返答にアーネはどこか不満気な視線を向けるが、その表情からは若干の嬉しさが滲み出ている。


「ああ、そうだな。だが、結果としては何も無かった。実際にアーネの心を傷つけ続けた俺よりは大分マシだろう。…そんなことよりも寮に戻ろう。送っていくから」


そう言って俺は立ち上がり、アーネへ手を差し伸べる。


彼女の言う通り、俺は甘いのかも知れない。だが俺は過去に何度も彼女の心を傷つけているし、更に言えば彼女には命を何度も救われている。最終的にお互いに何事もなかったのだ。許さないという選択肢は初めから存在していない。


「……はい、ありがとうございます」


目の前に手を差し伸べられたアーネは一度深呼吸をした後、ゆっくりとその手を取った。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「あ、私トイレに行きたいので、先に玄関の辺りまで行って待っていてくれませんか?」


俺の監禁されていた部屋——実は生徒会室の隠し部屋だった——を出て少しだけ廊下を進んだとき、アーネは小さな声でそう言った。


「?、トイレなら別にここで待ってるが…」


現在地は学園の2階で、玄関まではまだ少しの距離がある。わざわざ先に玄関まで行って彼女を待つ必要があるのだろうか。


「はぁ…いいですか?アルトさん。女の子が男の人にトイレの前で待っていて欲しいと思いますか?別に学校内で迷うことなんてないですし、いい加減子供扱いしないで——」


「ふ、」


するとアーネはその腰に手を当て、俺へと軽く説教を始めた。

その態度は半年以上前の姿を彷彿とさせ、その懐かしさからつい笑みが溢れてしまった。


「む、何笑ってるんですか!笑ってる暇があるなら、さっさとその足を動かしてください!」


「お、おう。すまんすまん。じゃあ玄関で待ってるから」


そしてアーネに促されるまま、俺は玄関へ向かうための階段を下った。下ってしまった。







後に俺は、このとき意地でもアーネを1人にするべきでは無かったと、激しい後悔に苛まれることになる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る