第155話 ナニカ

「「「「「!!!」」」」」


魔法陣の内側から聞こえてきた声に、その場にいた全員が息を呑んでそちらへと視線を向ける。


「んー、あれ、周りに人間がたくさん...」


その直後、横たわっていたシエル——正確には彼女の中にいるナニカが目を覚まし、その半身を起こした。


それを見て、辺りに一層の緊張感が走る。が、その一方で緊張に囚われないものが1人。


「これはこれは女神様。よくぞお越し頂きました。調子の程はいかがですか!?」


若干興奮した様子でシエルへと近づくのは繊細な刺繍の施された白い衣服を纏った男性、ルミリエルだ。


「ん?あんた誰?どうして私が女神だって知ってんの?」


「私はこの教会の代表のルミリエルと申します。女神に仕えるものとして、貴方が神であることを判断することは容易いことです。さあお手をどうぞ、エリーナ様」


「———そうですね。ありがとうございます。ルミリエル」


シエルに入ったナニカはそう言うと、ルミリエルの手を取ってゆっくりと立ち上がった。


……まず、確実にアイツはエリーナではない。問題はその中に入ってるのは何なのか、という話だ。


一応ルミリエルに太鼓判を押されているため、神であることは間違いないだろう。つまりは——邪神。しかもあの口調、どこか聞き覚えがある。


「ささ、エリーナ様。民衆へご挨拶を」


「ええ、分かったわ」


ルミリエルが手を引き、魔法陣の奥にあるバルコニーへとシエルを案内する。


種々のものに気を取られ気がつかなかったが、教会の敷地内には多数の人々が集まっているようだった。


「さあ皆さん、静粛に!私はワンド大教会の大司教ルミリエルと申します。本日、私たちは女神様を巫女の体へ降ろすことに成功いたしました!では早速、お言葉を頂きましょう!女神エリーナ様。こちらへ」


やはりテンションの高めなルミリエルが民衆に向かい大きな声で語りかけ、シエルを自身の隣へと誘導する。


「ああ、そういうことね。———皆さん、こんにちは。私は女神エリーナと申します。私は彼のお陰でこの体に宿り、今皆さんとこのようにお話しすることができています。とはいえ、私の存在を信じきれない方もおられる事でしょう。その証明のため、皆さんに私の真の姿をお見せしましょう。よく見ていてください——顕現」


シエルがそう唱えると、その背中の辺りから半透明の美しい女性の上半身が現れた。


「———美しい」


その姿を間近で見たルミリエルはその両目から涙を流している。

ルミリエルに限らずイヴェルやアーネ達を含め、その場にいた全員がその神秘的な光景に目を奪われているようだった。——ただ一人を除いて。


「——死ね。黒玉」


唯一その姿に目を奪われていない黒髪の青年——俺は、その自称エリーナの後ろ姿、緩いウェーブのかかった淡い茶色の髪......とは似ても似つかない、ストレートで濃い紫色の髪の毛——へ向けて闇魔法、黒玉を放つ。


黒玉とはその名の通り、野球ボールほどの真っ黒な玉を高速で打ち出す魔法だ。


「痛ッ!?」


放った黒玉は背後から自称エリーナの胸元を貫き、その自称エリーナの姿はすぐに消えた。


「やれてはない、か」


シエルの背中から飛び出ていた半透明の半身は消えたが、彼女纏っている魔力の流れは依然いつもものとは異なっている。まだ、シエルの中にはあの自称女神——邪神がいるのだろう。


「寵愛者様?一体どういうおつもりですか?」


その一部始終を見ていたルミリエルは、静かにこちらへ問いかける。その顔と口調は温和だが、その気配からは凄まじい怒りのオーラがひしひしと伝わってくる。


だが、ここで引くわけにはいかない。こいつに現実を叩きつけてやるとしよう。


「ああ、すまない。俺は根からのエリーナ様信者だから。そんな偽物がエリーナを語っていることに腹が立ってしまったんだ。なぁ、そうだろう?フルーナ?」


屋上にいる全員に聞こえるよう、俺はルミリエルへはっきりと返答する。


「偽物…?それは一体どういう…」


「ルミリエル大司教。確かに、貴方が呼び出したものは神だったようだ。だが、そこに宿っているのは女神エリーナではない。お前からも言ってやれよ。そんな弱ってるフリなんてしてないでさ」


偽物、という単語に戸惑うルミリエルを横目に、俺はその場に座り込むシエル——いや、邪神フルーナへと声をかけた。


「あ、あんたは一体…」


「おいおい、忘れちゃったのか。悲しいな。グレースダンジョンで一緒に遊んでくれたじゃないか。本当にあのときは世話になったな」


「ッ!!お前、あのときの!!」


俺の正体に気がついたフルーナは一瞬の驚きの後、当時のことを思い出したのか思いっきりこちらを睨みつけた。


「おいおい、そんな目で睨むなって。女神のする顔じゃないぞ?」


そんなフルーナに対し、口角を上げてわざと煽るように言い返す。


「女神なのにエリーナ様ではない?それに邪神?一体どういう...」


俺とフルーノがお互いに睨み合う中、その会話を真横で聞いていたルミリエルは混乱したように呟く。


女神か否かは分かるというのに、それが自分の敬愛する女神なのかは判別がつかないのか。礼拝堂に掲げられていた女神像と全く見た目が違うと言うのに。


だが、疑いを持ってくれているのなら丁度いい。


「ルミリエル大司教。さっきも言った通り、こいつはエリーナ様を騙る偽物です。騙されないでください。先程見えた姿は聖書に記述されていたものと同じですか?きっと全然違う筈です。俺と共にこの偽物を排除しましょう!」


俺はルミリエルへと大声で語りかける。

ルミリエルは究極級の光魔法を使っていたし、かなりの魔法の使い手であることが窺える。仲間に引き入れれば、フルーナの排除の可能性が上がるだろう。


「た、確か、聖書には美しい淡い茶色の髪と透き通るような緑の瞳を持つと記載されて——いや、しかし先程の姿は紫色の——」


「ルミリエル大司教」


その言葉を受けて更に混乱するルミリエルへ、フルーナがその顔を両手で挟んだ。


「ルミリエル大司教。私は紛れもなく女神エリーナです。私のことを——信じて頂けますよね?」


フルーナは両手で挟んだルミリエルの顔を間近で見つめ、そう彼へ問いかけた。


「あ...あぁ...?」


その直後、フルーナに見つめられるルミリエルの様子に明らかな変化が現れる。


ルミリエルの体全体が徐々に痙攣し出し、その口からは言葉にならない声が漏れ出してきた。


「さて、ルミリエル大司教。今この場に、私のことを偽物だと宣う無礼な背信者がいます。———背信者を排除してくれますね?」


「あ、ああ、あああぁぁぁあぁぁああ

あああああぁ......エリーナ、様———承知、致しました。全て、エリーナ様のお望みのままに」


その数秒後、体中の痙攣が治ったかと思うと、ルミリエルはフルーナに向けて膝を突きその首を垂れた。


「まさか——洗脳!?本当に女神がすることじゃねぇ!おい、ルミリエル!正気に戻れ!」


「本当に、貴方は無礼ですね...洗脳なんて下品なことはしていませんよ。ただ、信仰心を向上させただけです。さあ、ルミリエル大司教?」


「——全てはエリーナ様の御心のままに。背信者の排除、を」


それらの呼びかけにも応じることなく、ルミリエルはフルーナを守るようにその前に立って俺たちへとその杖を向けた。


ルミリエルの耳には、もはやフルーナ以外の者の声は届いていないようだ。


「———崇敬なる女神エリーナよ。我が信仰心に応え、その力を貸し与え給え。——消え失せろ、背信者め。女神ミューズ審判イクリシス


「——ッ!!全員、横に飛べ!」


その次の瞬間、ルミリエルの杖の先から膨大な光のレーザーが放出された。

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