第147話 最後に言っておくこと

「い、威圧を解いて…?いや、解けてない。無理矢理動いたんですか!?どうしてそこまで、俺のことを嫌ってるはずでしょう!?」


急に飛び込んできたイヴェルに対し、俺は動揺を隠し切れない。


「違う!私はアルトのことを嫌ってなどいない!」


「はぁ!?それは嘘でしょう!」


「嘘じゃない!アルトが認めるまでこの手は離さない!」


「わ、分かりました!分かりましたから、取り敢えず手を離して…」


「嫌だ!そうしたらアルトは逃げる!それでアルトに会えなくなるのは…嫌だ!」


俺の腰にしがみつくイヴェルは余程精神が安定していないのか、言っていることが無茶苦茶だ。

しかしそうは言っても剣聖としてのその力の強さは健在で、彼女に思いっきり抱きしめられている俺は身動き一つ取ることが出来ない。


「だから、だから!さっきの言葉を撤回してくれ!そうじゃないと、こんな別れの仕方では、私は、私は……」


そう懸命に語りかけ、こちらを見上げるイヴェルのその顔は今にも泣き出してしまいそうな子供のようだった。


「ラ、ラーシルドさ——」


「イヴェルだ!!」


説得を再度続けようとその名を呼ぶとイヴェルは泣きそうなその表情とは裏腹に、今までにないくらい大きな声でそれを遮った。


「私の名はイヴェルだ!いつものように、その名前で呼んでくれ…」


そんな風に乞うイヴェルの瞳からは、遂に一筋の涙が零れ落ちる。それは収まることなく、次々と溢れ出してきて———



ガチャッ



そのとき、すぐ近くにある応接室の扉が一人でに開いた。


「寵愛者様。お取り込み中のところ大変申し訳ないのですが、大司教様が明日の件についてお話があるとのことです。御同行、頂けますか?」


扉の開いた先では、教会へ来たときに案内をしてくれたシスターのレイスがこちらを見てそう言った。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「だ、駄目だ!絶対に行かせない!ここで行かせる訳には、」


「イヴェルさん…ですが、」


「嫌だ!シエルも朝に大司教と話をすると言ってから帰って来ていないし、嫌な予感がする!この手は絶対離さない!」


依然、俺の腰にしがみついているイヴェルは普段の印象はどこやら、ひたすらに駄々を捏ね続ける。完全なる幼児退行だ。


だが、それが今の俺を引き止めるための有効打であることは間違いない。

先程の言葉を撤回しない限り、イヴェルは本気で俺の腰を掴んだままでいるつもりなのだろう。


「…はぁ、分かりました。先程の言葉は撤回します。そして大司教との話し合いが終わった後、また話し合いをしましょう。イヴェルさん、これならどうですか?」


このままでの説得を諦めた俺は、両手を小さく上げてイヴェルにそう告げる。


「で、でも、シエルがまだ帰って来ていないし…」


「巫女様なら話し合いの場におられます。話し合いには関係者しか参加できませんが、寵愛者様との話し合いが終われば巫女様も自由に動けるようになるでしょう」


会話を聞いていたシスターもイヴェルを安心させるようそう後を押した。


「ほ、本当だな!?本当にアルトは帰ってくるのだな!?」


俺とシスターの言葉を受け、イヴェルは最後の確認と言わんばかりに俺の顔を見上げてそう強く聞いてきた。


「ええ、本当です。信じてください」


「そ、そうか…なら…」


俺の返答を聞き、小さく顔を伏せたイヴェルはゆっくりとその腕の力を抜いていった。

それに合わせ、俺もイヴェル達へかけていた威圧を解く。


「立てますか?威圧を使っちゃってすみませんでした」


その後、先に立ち上がった俺はイヴェルへ向けて手を差し出す。彼女はその手に掴まり、ゆっくりと立ち上がった。


「いや、大丈夫だ。ありがとう。……最後にもう一度言っておくが」


「?」


イヴェルが完全に立ち上がり、お互いの手が離れようとしたそのとき。彼女は俺の手を軽く両手で包み込み、その口を開く。


もう一度言っておく?会議が終わった後に逃げるなよってことか?俺って本当に信用ない———


「——私はアルトのことを決して嫌ってなどいない。むしろ、私はアルトのことを好意的に思っている。紛らわしい態度をとったことは悪かったが、それは紛れもない真実だ。絶対に覚えておいてくれ」


イヴェルは俺の目を見て、そうキッパリと告げた。その顔は真剣そのものでその整った顔と言葉が相まって、控えめに言ってめちゃくちゃカッコ良かった。

仮に俺が女であれば、惚れてしまっていたかもしれない。


「——————ありがとう、ございます。肝に銘じておきます」


すなわちそれは俺からすれば思っても見なかった言葉であり、先程までのギャップとも相まって微妙な返答しかできなかった。


「ああ」


だが、そんな返答にもイヴェルは満足げに頷いた。その表情はどこか吹っ切れたような迷いがなくなったような、そんな清々しい表情だった。

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