第32話 アーネVS.階層主
5層へと入ると、かつて俺が挑戦したときと同じように、階層主である赤い巨大な鳥———スタバは部屋の中央で佇んでいた。
さて、彼女はどうするのか。
そう思うと同時、
「ええい!!」
そんな可愛らしい掛け声と共に、全く可愛くない見た目の水魔法——水で作られた槍のようなもの——が、スタバへ向かって一直線に飛んでいった。
それを放ったのは勿論アーネであり、水で作られた槍はブレスレットの影響で大幅に強化されていて、とんでもない速さでスタバへと向かっていった。
「!?!?」
スタバもこれは予想外だったのか、見るからに慌ててそれを避けようとする。しかしそれは間に合わず、彼の大きな翼に水魔法が命中した。
「キィィャァァァァァァァァァァァァ!!!」
余程痛かったのか、スタバはとんでもない奇声を発する。しかし—————
「その声は通じませんよ!耳栓付けてますから!」
アーネは攻撃の手を緩めることなく、続けて水魔法を放つ。今度は数十個もの水球が空中に出現し、一斉に恐ろしい速度で飛んでいった。
「キュアァァァァァァァァ!!!」
その水球のほとんどがスタバの体に命中し、彼の身体に更に傷をつける。スタバはアーネを警戒してか、一度彼女から大きく距離を取った。流石にそれくらいの脳はあるか。
今の数回の攻防——いや、アーネの一方的な攻撃だったか——から察するに、彼女の魔法の威力は元々の才能にブレスレットの力が相まって恐ろしいことになっているようだ。
アーネの方へ視線を向けると、彼女は耳栓を外してこちらへと寄って来たので、俺も耳栓を外して対応する。
「アルトさん、このブレスレット凄いですね。確かに魔力の消費量が増えてますが、威力が桁違いになってます。なんで今まで出さなかったんですか?私、これ欲しいです」
「誰がやるか。アーネはそれが無くても十分強いだろ。1層から4層までで出さなかったのは、単に訓練にならないからだ。ほれ、あっちでなんか動き出してるぞ。馬鹿なこと言ってないで相手をしてやれ」
「は〜い」
そんな気の抜けた返事をし、耳栓を付け直したアーネは再度スタバと向き直った。
アーネと共にこの階層へ踏み入れてから30分が経過した。現在の戦況はアーネが非常に優勢である。
彼女は未だピンピンしているのに対し、スタバはあと数発の魔法を打ち込んだだけでも倒れてしまいそうなくらいフラフラしている。そんなスタバの様子に、俺は少しの違和感を抱いていた。
「あいつ…こんなに体力が少なかったか?アーネの水魔法の威力が俺のものとは段違いとはいえ、これは流石に早すぎる気がするんだが…」
はっきり言ってしまえば、弱すぎる。
確かにアーネは強い。それは間違いないのだが、それを差し引いてもスタバが異常に弱い。
体力は階層主の中でも高い方のはずなのだ。その彼がまだ戦闘を始めてから30分しか経っていないのに、もう既に倒れてしまいそうなのは流石におかしい。
そんな心配など露知らず、アーネはスタバに向けて次々に水魔法を放っていく。
ドォォォン!!!!
それから数十秒後、5層内に一段と大きな音が鳴り響いた。
そちらを確認してみれば、そこには地に伏したスタバの姿が確認できた。その胴体は完全に地面と接触しており、その身体からは力が抜けている。
「やりましたよ〜!アルトさ〜ん!」
その亡骸に背を向けて、満面の笑顔のアーネがこちらに向かって走ってくる。
ただの心配のしすぎか。
そう結論づけ、駆けてくる彼女へ労いの言葉をかけようとした、そのとき。視界の端に映ったスタバの口が開かれていることに気がついた。
その口は、今にも何かを吐き出すかのように大きく開かれている。またその目も細く開かれており、虎視眈々と何かを狙っているかのようだった。そして、その目と口の先には——こちらへと向かってくるアーネの姿があった。
俺はアーネの方へと走り出す。
「アーネ、危ない!!」
危険を知らせると同時、瀕死のふりをしていたスタバは、彼女へ向けて特大の炎を吐いた。
「え?」
咄嗟に後ろを振り向いたアーネは自分の状況に気がつくが、回避は間に合わないだろう。
俺は立ち尽くすアーネの手を取り、体を反転させることで迫り来る炎とアーネとの間に自分の体を割り込ませた。
「死んだフリとか、モンスターがしてんじゃねぇよ!!」
そう叫びながら、俺は魔力を全て込めて迫り来る炎との間に数枚の水の壁を作る。しかしスタバが全力で放った炎の前に、俺の作った貧弱な水の壁はすべて崩れ去る。
赤々と燃える炎は、その勢いを落とすことなく俺とアーネの元へ迫る。これは避けられない。
せめて、彼女だけはここで死なせるわけにはいかない。そう思った俺はアーネだけは守ることができるよう彼女を屈ませ、精一杯抱きしめた。
「ぐぅッ!?」
直後に訪れる激しい痛み。背中が焼けるように熱い。いや、実際に焼けているのか、これは。何処からか何かが焦げたような匂いがする。炎が辺りを焼く音に加え、強い耳鳴りが響く———そして視界が段々とぼやけ、次第に薄れていき———
「———ぇ?」
あまりの苦痛に意識を手放しそうになったとき、急にその背中への刺激がなくなった。
不思議に思いゆっくりと周りを見てみると、俺達の周囲5m程は水で出来た半球状の膜によって包まれていた。こんな大規模な水魔法を使える人物を俺は1人しか知らない。
遠のく意識の中、俺は抱きしめていたアーネの様子を確信する。
彼女は恐怖からか若干涙目ではあるが、その体や服に火傷の跡はなかった。良かった。女の子に傷が残ったら大変だからな。
「無事で良かった...」
彼女の無事を確認した後、全身から力が抜けた俺はそのままうつ伏せに倒れる。
「あ、アルトさん!?だ、大丈夫ですか!?わ、私のせいで、アルトさんが、ち、治療をしないと、」
アーネはかなりパニックになっているらしく、上手く喋ることが出来ていない。
身体の動かない今の俺にできる事は、彼女の混乱を解消することくらいか。
「俺のことは後回しでいい...」
「な、何を言ってるんですか!そういう訳には…」
「今は、あいつを倒す方が優先だ」
倒れた状態のままでアーネへと指示を出す。
5層の中心部では、既に立ち上がったスタバがじっとこちらを見つめている。その体には少なくない傷が刻まれており、体力はあまり残っていないことが窺える。残り3割程度といったところではないだろうか。
あ、まずい。色々と考えていたら意識が朦朧としてきた。
「...分かりました。すぐに倒してくるので、アルトさんはそこで待っててください」
「おう、あまり気張らずにな...」
俺は朦朧とする意識の中でアーネを見送る。その彼女の表情には、俺ですら少しの恐怖を覚えるほどの鬼気迫るものがあった。
水膜の外に出たアーネはスタバと対峙すると、すぐに魔法の構築を行った。
足元から湧いた大量の水が、アーネの身体の周囲を螺旋状に登っていく。数秒後、彼女の頭上に現れたのは———鮫だ。
水でできた巨大な鮫がアーネの頭上に出現した。大きさにして3mほどだろうか。その鮫の姿を見たとき、脳内に電流のようなものが走った。
思い出した。
あれは水属性の最上級魔法である
その名の通り水でできた巨大な鮫を出現させる魔法で、その鮫は発動者の意のままに操ることが出来る。小説内では、アーネが学園の一年生のときに習得する魔法のはずだ。
「いっけぇぇぇ!!!」
彼女の言葉に合わせ、その鮫はスタバ目掛けて一直線に突っ込んでいく。その速度は到底目で追えるものではなく、スタバは避けることができない。彼に接近した鮫はその口を大きく開き、思いっきり食らいついた。
ドスンッ!!
そんな鈍い音が響き、遅れて地面から衝撃が伝わる。確認するまでもない。今度こそスタバは息絶え、その巨体が地面に落ちて来たのであろう。
それを討ち取った当人であるアーネはというと地に落ちた亡骸には目もくれず、すぐに俺の方へとその目を向けた。
「アルトさん!」
「ああ、おめでとう…最後の魔法凄かった…もう俺に教えられる事は無いか…」
相変わらず朦朧とする意識の中、駆け寄ってきたアーネへと労いの言葉をかける。が、
「喋らなくていいです!無駄に体力を使わないでください!」
と、結構本気で怒られてしまった。
「今から傷の治療をします。背中をこちらに向けてください」
「はい...」
怒られたこともあり、俺は無駄口を叩く事なく彼女の指示に従って背を向けた。
「こ、これは...」
向けられた背中を見たアーネは、急に言葉を失った。え、そんな反応されると怖いんだけど…
「実際、そんなに酷くないだろ...」
「な、何言ってるんですか!背中のほとんどが焼爛れています!こんな怪我をしてるのにどうしてそんなに余裕なんですか!」
えぇ、そんなに酷かったのか?体感だとそれほどでもな……いや、そう言われるとなんだか背中がめちゃくちゃ痛くなってきた気がする。
「私のせいで、本当にごめんなさい。
アーネは謝りながら回復魔法をかける。
それにより、ぶり返して来た背中の痛みは段々と消えていった。攻撃魔法だけでなく、回復魔法についてもよく扱えている。これは将来が楽しみだ。
「なんで、こんな怪我をしてまで私を守って...」
回復魔法をかけてくれている最中、アーネは呟くように言った。
その方を見ると、彼女自身も声に出すつもりはなかったらしく、自分の口元を驚いたように押さえていた。
「えっとですね、今のは口が滑ったといいますか———」
「そんなの決まってる。言っただろう。アーネが危なくなったら俺が絶対に助けると」
「あ...」
「俺は約束をした。だから守ったんだ。あと、親御さんと妹さんからもお願いされていたからな」
あまり喋るなと言われている関係上、そこで言葉を切った。
一方のアーネはというと、少し視線を下げたまま黙りこくってしまった。先程の言葉は聞こえていたはずなのだが……少し格好つけすぎたか?
アーネが黙ってしまったことで5層は沈黙に満たされる。沈黙している間にも彼女は回復を行ってくれていたため、その後すぐに背中の痛みは完全に引き、爛れていた皮膚も元に戻っていた。アーネさん本当に凄い。
とはいえ、回復魔法で補える箇所にも限界がある。例えば、実際に流れた血などは戻ってこない。そのため少し頭がフラフラするものの、歩く分には問題ない。
「ありがとう。すっかり良くなったよ。じゃあ外に出ようか」
そう身を起こそうとすると、それまで動かずに黙っていたアーネが急に動き出してそれを阻止した。
「ダメです。外傷は治りましたけど、血は戻ってません。まだ頭はフラフラしていますよね?もう少しここで休んだ方がいいです」
「いや、でも」
「今回ばかりは、譲れません」
頑なといった表情で彼女は告げる。そう言われてしまっては、何も打つ手がない。
俺は抵抗することを諦め、その指示に従うことを態度で示す。すると彼女は少し微笑み、俺の頭を持ち上げて自分の膝の上へと移動させた。———俗に言う、膝枕という状態だ。
「........どうした?」
思わず素の疑問が口から出る。
「ど、どうしたとはなんですか!下が地面では十分に休めないだろうと、人が気を利かせたというのに!」
真上からそう文句を言うアーネの顔は、耳まで真っ赤になっている。無理してるなぁ...
とはいえ、それを指摘するような野暮な真似はしない。
「まあ、ありがとうと言っておく」
「最初からそれだけでいいんですよ!」
アーネはフンッといって顔を背けるが、膝枕は続けてくれるようだ。そして、その顔はやはり赤い。
しばらくの間沈黙が続き、ふと、アーネが口を開いた。
「アルトさんはこの後、何処かに行っちゃうんですか…?」
数分前のやりとりの時とは一転、その口調はとても弱々しいものだった。
「ああ。この後は一旦村に帰って、その後は王都に行く予定だ」
「…そうですか。それじゃあ、もうすぐでお別れですね」
「そうなるな。でも、きっとまた何処かでまた会えるさ」
「そう…ですね。そうだと、いいですね。」
そこから調子が回復するまでの間、俺達は静かに会話を続けた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
スタバの討伐を終えてから約1時間後。
概ね調子の戻った俺とアーネは、扉を渡りダンジョンの入り口へと戻ってきた。
因みに、戻ってくる直前にスタバの亡骸のあった場所を見てみたのだが、そこに指輪らしきものは落ちていなかった。やはりあの指輪などのアイテムは、階層主を初攻略した際にドロップするものなのだろう。
「よし、じゃあ帰ろうか。————?、どうした?」
ギルドへ戻るため、俺はいつものようにアーネの前で屈む。しかしいつまで経っても、背中に重量が乗せられることはなかった。
「怪我人に背負われる訳にはいきません!」
こちらもいつものように目隠しをされたアーネは、そんなことを言い放った。
う〜ん、気遣ってくれるその気持ちは嬉しいのだが…
「とは言ってもな。どうやって帰るんだ?」
「そ、それは……これで、お願いします。」
アーネへ帰り方を尋ねてみると、彼女はもじもじとした様子でその手を差し出してきた。
「?」
俺は差し出された手を握り返し、アーネと握手をする。
「違いますよ!手を引いて案内してくださいって意味です!」
ああ、なんだ。そういうことか。
彼女の意図を理解した俺は、その手をゆっくりと引いてギルドへと戻った。その道中、アーネが自ら口を開くことはなかったが、その顔は少し赤いような気がした。
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