第19話 父親

「本当にこの辺り何もないな……。もういいや、いつものところに行こう」


 メイは荷物を置き、宿の近くを散歩中だが、ラメタシュトラ中心部よりは閑静なので少し退屈している。

 ウィリアムたちからは、宿に入る際に知り合いがいないか注意し、宿の中では変に騒がないことと言われている。それ以外に行動の制限はない。一週間ここで寝泊まりしていることが知り合いにバレなければいいのだ。

 すっかり人間の生活に染まってしまっているが、長い時間を卵から繭の中、そして冷たい母親の下で退屈に過ごしてきたのだから仕方のないことだ。


「お母様を倒すために強くなるのもいいけど、案外メルリーダって人間の生活していれば満たされるんじゃないかなあ。まあこれは私の性格かもしれないけど」


「おやおや、君は確かメイくんだね?」


 ふと、後ろから声をかけられた。聞き覚えのある声だ。


「ん? ええと、あ、ゴーティエ、さん」


「うん、そうだよ。こんなところで何を?」


 それはこっちも聞きたいとメイは思ったが、どうしたものか。一応知り合いではあるからここに滞在することは隠した方がいいだろう。


「た、たまにはこの辺りまで散歩してみようかなーって。ゴーティエさんこそ何を?」


「ちょこっと気になることがあってね。まあまだ時間があるみたいだし、そこら辺を見ていようかと思ったら君がいたわけ」


 どうも胡散臭い。

 ウィリアムやトマスはこの男のことを信用している。特にトマスのそれは信仰すらしているのではないだろうか。しかしメイは何か引っかかるものがある。


「退屈そうだし、僕の屋敷に来ないか? 色々珍しいものを見せてあげよう」


「ふーん。でも私、ウィルから親しくない人にはついていくなっていわれているからダメ」


「親しくないってそんなはっきりと……ウィリアムくんか。今はトマスと一緒に育成施設で指導中、だったね? 君はトマスの弟子、という話だけど……行かないのかい?」


 痛いところを突いてくる。恐らくゴーティエは嘘を見破っている、とトマスは言っていたが、今はっきりと嘘ですというわけにもいくまい。相手の狙いがわからないのだから。

 こういうタチの悪い輩をなぜトマスは信奉するのだろうか。


「なーんて、ごめんごめん。何も答えなくていいよ。トマスのためにもならないからね。ちょっとした意地悪さ。さあ、行こう」


「え? ええ……」


 ゴーティエは手を振って馬車を呼び、そのままメイを上がらせた。

 乗ってからメイはまんまとゴーティエの術中に嵌められたことを悟った。気を抜いてしまったところで促されれば馬車にも乗ってしまう。


「ちょっと、降ろしてよ!」


「いいじゃないの。ちょっと強引だったのは謝るけど、君と二人きりで話がしたいんだ」


「私はしたくない」


「まったく、その利かん気、間違いなくあの方の娘だね」


「はあ!? あなたがお母様の何を……何を?」


 目の前のこの男は何を言っている。自分の母親を人間が知るはずもない。

 自分のことを別の人間と勘違いしているのだ。それ以外の可能性などあり得ない。

 メイは結論を出し、何のことだと言おうとしたが、ゴーティエが手のひらを前に出してストップをかけてきた。


「予想通りの反応、君の考えていることはわかる。君の考えを否定するために敢えて言おう。君はメルリーダだ」


「な、なんで……」


「うーん、ここでは否定しないか。あの方ならもっと動揺せずに誤魔化すのに。君はちょっとわかりやすいな。もう一つ衝撃的な情報をあげよう。君の父親は、僕だ」


「……あり得ない! 私の親はお母様だけ!」


 メルリーダに性別は存在しない。他の生物に当てはめるなら雌になるというだけの話で、単体で増殖することが可能だ。メイはそうやって生まれたと母から聞かされている。


「お母様は単独で強力なメルリーダを生み出すことができる。人間を必要としない!」


 確かに、低級のメルリーダは単体で増えようとすれば、他の生物の自家受精と同じように虚弱な個体が生まれやすいので取り込んだ人間の生命力を合成して卵を作る。

 そういう意味では生命力を奪われた人間は、父親というかもう一人の親と言えるかもしれない。

 しかしメイはそんな低級のメルリーダからの生まれではない。


「お母様は言っていた! 自分の力で五年から十年周期で訪れる産卵をも制御し、じっくりと娘となる存在を作り上げたって!」


 そこに一切の他に由来する因子はない。全て母の遺伝子から合成された、メルリーダ最強の遺伝子とそれを発現させる強力な核でメイは作られていると教えられた。

 それはメイにとって誇りであり、故にメイは決して人間の父親など認めない。


「……そうか、あの方はあのことを君に話していないのか。まああの方の言うことは間違っていないよ。でも僕がいなければ君は生まれていない。そういう意味では僕は君の父親と言えるんじゃないかな」


「何を言って……。そもそもあなたは誰だ! 人間がなぜお母様のことを!」


「うーん、一方的に恋い慕う男、かな。いや、両思いかも。なんだかんだ僕が側にいることも許してくれるし」


「はあ? 私はあなたのことなんて」


『魔王カルカリア配下、序列一位、大公オストロマイス。と言えばわかるでしょうか? メイ様?』


「な!? お前、人間、だったのか?」


 気配、言葉、間違いなく母の側に控えていた大公を名乗る男、オストロマイスだった。確かに仮面などで偽装していて種族はわからなかったが、モンスターですらなかった。

 メイが直接話した回数は少ない。そもそも大事な会議には決して姿を現さない。

 どうでもいいときにだけ現れ、周りの母の配下たちもなぜあれが序列一位なのかと不平をこぼしていたものだ。


「そう、僕は人間だ。まあ正直あの方以外どうでもいいから付き合いは悪いけど、モンスターの群れの中に僕はずっといたんだよ。このことは今日まであの方しか知らない。さて、用件だけど、僕はあの方に頼まれて来たんだ。君と、ウィリアムくんのために」


「え?」


「ちょーっと、厄介な奴がいてね。たぶんそろそろ動き出すと思うけど、黒幕を炙り出すためにギリギリまで引きつけないといけないんだ。君とウィリアムくんを守るのが僕の仕事。トマスは……自分で守れるでしょ。まあいいや、着いたよ。降りたまえ」


 いつの間にかゴーティエの屋敷に着いていた。さすがは下院議員、家は立派なものだ。

 しかしメイはそれを一瞥しただけですぐに先行するゴーティエ、オストロマイスに改めて話を聞きに行く。

 メイの父親だという話、更には母からの要請で守るために現れたという話。二つともメイにとっては意味がわからない。


「まあまあ、経緯はどうだっていいだろ。事実とやることは伝えたとおり。僕が君の父親で、君とウィリアムくんを守る。それだけそれだけ。全てはあの方に捧げる僕の愛だよ」


「ごめん、何言ってんのか全然わかんない。あなたそれでも政治家?」


「そう、ずるくて野心に溢れた政治家。それでもね、あの方に捧げる心は本物なんだよ。いい年して気持ち悪いかもしれないけど」


 確かに美形とはいえ中年の男が顔を赤らめる姿は気持ち悪い。メイが仮に呪いを使えたとしても呪いたいとは思えないくらいには。

 目的や過程を一切話さずにこんなことをされても困るの一言だが、母が信頼してこの男を序列一位に置いているのであろうから、そこは信頼しなければならない。

 母が何も考えずに人間を側に置くはずがない。きっと何か考えがあってのことだ。この男を信用するのではなく、母を信用するという気持ちで今は接している。


「おい、ゴーティエ、何をしている」


「……なんで来たんですか……」


「少し様子が気になって、な」


「サ、サメ型の魚人……!」


 現れたのは魚人。人間からは亜人と見なされている種族だ。メイが会うのは初めてだ。

 同じ魚人でも硬骨出身、軟骨出身など分かれ、いくつか種類があるが、この個体はサメ型だ。軟骨出身でありながら硬骨を獲得し、地上に進出できるようになったたくましい種族で、その姿の格好良さもあってメイは好きだったりする。

 今その姿を目の当たりにしてメイは抱きつきたい衝動を抑えている。

 しかし陸上に進出したとはいえ、港町が生活の中心のはず。ここにいる理由は一体何なのだろう。


「様子が気になってって……。もう少し、こう……。ごめん、メイくん。先にこの人と話をしたい。行きますよ」


「うむ」


 そのままゴーティエと魚人は行ってしまった。メイは出された菓子を食べるのにも飽き、部屋の中を彷徨く。


「本当にあの男、私のお父様なのかな。でもお母様が嘘をつくとは思えないし……。私が最初で唯一の娘だって言ってたからお母様の他の子どもと間違えているわけもないし……。まあいいや、ウィルたちに要相談だな。べつに口止めされてないし」


 この部屋には本が多い。応接間のはずだが異様に本が並んでいるのだ。これくらいの規模の屋敷なら書庫もあるだろうになぜ、と思いながらメイは一冊を手に取る。

 メイはウィリアムから、人間の生活を学ぶために人と接するだけでなく色々な本を読めと言われ、ウィリアムの指導もあり、三ヶ月で何とか文字の読み書きができるようになった。

 最近はウィリアムがコルバーチの図書館から大量に借りてくるので暇なときにそれを読んでいる。

 以前は母の配下たちや、人間の世俗に妙に詳しい老いたドラゴンから伝え聞く形でしか得られなかった断片的な人間の情報が、読書や実生活を通して派生を持って繋がっていくことにメイは面白さを覚えいた。

 今は人間を餌ではなく、好奇心の対象として見ている。本がその好奇心を満たす一端となっている。故にゴーティエの本も遠慮せずに開く。


「わお、メルリーダ研究。……うーん、所々間違ってるな。私みたいなレックス種以上にはそんなのは当てはまりませーん。検証した結果自分の仮説がどうも正しいらしいって得意げに書いてるけどさ、今まで自分が見た鳥だけで鳥は全て飛べるらしいって言ってるようなもんだよ、これ。全然科学的じゃないし、こんな低レベルな仮説なら仮説の否定のために研究した方がマシ。自然科学の帰納法は一般論に過ぎないって理解してないの?」


 とメイは論文を酷評した。最近は読み物の評価もするようになってきた。明らかにこの論文の著者はまともな研究をしていないのが明らかで、メイはこの事実を学会に報告したい気分だが、そんなことをしたら自分の正体がばれてしまう。

 見ていてイライラしてきたので論文たちはそっと本棚にしまう。そもそも自分がメルリーダなのだ。人間が自分以上にメルリーダのことを知っているはずもない。

 もっと有意義な題材を選ぶべきだったと後悔しながら、今度は物語を手に取る。


「魔王との戦い……。だいぶ昔の話みたいだけど、これは何代前の魔王だろう。メルリーダの私から見てもヤバい奴だな。お母様を見て育ったのもあるんだろうけど」


 母の配下の中には人間に対して侵攻をするべきという立場の者もいる。元々相容れない存在なので無理もないことだと母は言っていたが、決して人間と闘争しようとはしない。お互い勝手に狩り合っていればいいというスタンスだった。

 だから魔王として組織的な動きをすることは滅多にない。今までの慣習としてアジトの管理や、歴代が仕えてきた高位モンスターの一族を纏めるなどしてはいるが。


「まあお母様も人間の味方は絶対にしないけどね。魔王として、常にモンスターの側に立つっていうのはどの魔王も変わらないし。やり方が違うだけで。私はどうかなあ。もっと仲良くっていうのは無理だろうね。いつかウィルたちと敵対するときが来るんだろうな……。いや、あいつは今も私を敵と思ってるか。私もべつにあいつに悪いとも思ってないし、敵対したらそのときはそのときか」


 人間を餌だとは見なさないほどに人間の生活に馴染んでいるが、メイの力を求める本能は決して消えていない。ウィリアムの力も手放すこともない。魔王になるための最短の道を歩むにはウィリアムと奪った力が必要だと考えるからだ。

 あくまでもメイはメルリーダで、将来魔王になる存在。人間の、モンスターを除く生物の敵なのだ。

 王者は孤独ではあっても孤立してはならない。メイは母からそう教えられた。

 魔王は政治をする必要はないが、モンスターたちの王なのだ。独りよがりに、人間たちの敵である前提は崩してはならない。人間を襲わなければ生きられない存在もいるのだから。

 メイにとってこの時間は、独り身の今だけ許される貴重な時間である。

 

「なーんて、皮算用もほどほどに。まずはお母様を倒さなくちゃ。色々考えすぎた。寝ちゃおう」


 応接間だろうが関係ない。連れ込んでおいて客を待たせるゴーティエが悪いのだ、とメイはイスに腰掛けて眠る姿勢に。

 そのまますぐに眠りについた。

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