第16話 悪魔の襲来と混沌の始まり

「それじゃあ、たまたまトラップを踏んで一時的に迷宮が閉じたと。迷宮内の強敵に立ち向かうために拾得したアイテムを使用した。そういうことなんだね?」


「はい」


 無事を伝えた上でセロフォールに一泊し、迎えを断って二日かけてラメタシュトラに戻った三人。ウィリアムとトマスはさっそく戻った当日の夕方に呼び出された。


「ふう。まあ中継が途絶える前までの君たちの評判はなかなか良かった。偶発的な事故であるから仕方がないという声もあった」


 迷宮内にモンスターの核も魔力の水も使ったり置いてきたりして収穫がない二人。拾得したアイテムは命の危険がある場合には私的に使って問題ないが、手柄なしは印象が悪い。

 今回の中継の評価は何とも言えないものだったが、追及されることはなかった。魔王については言及できないため、追及を避けられたのは幸いである。


「ああそれから、ウィリアムくんの実力を買って二軍と三軍の指導を頼みたい。トマスも一緒に。まだ今期の新人には嫌われていないだろう?」


「ええ、まあ……」


「珍しくトマスを嫌わないウィリアムくんとならトマスも新人たちに嫌われないかもしれない」


 というジョセフの提案によってウィリアムはトマスと共に訓練施設に派遣されることになった。急な話で、三日後だという。

 二人ともコミュニケーション力は皆無であり、なぜ指名したのか疑問に思っている。

 とりあえずメイを連れて食事に向かったのだが、


「おお、これはこれは、コルバーチ一の実力者でありながら嫌われ者のトマスさんと金の亡者で同じく嫌われ者のウィリアムじゃないの」


 食堂でいきなり挑発的な態度をとってきたのはライム・ホーキンス。コルバーチのメンバーだがウィリアムが顔を合わせるのは初めてだ。

 二十歳で、ルックスと実力を兼ね備えており、人気が高いというが、


「ああ? 金の亡者だ? 取り消せ。俺は金は好きだが金に支配なんてされねえ。俺を支配するのは俺だけだ! 金の亡者は貧乏と同じなんだよ! 取り消せよ!」


 金の亡者という言葉にウィリアムは激怒。飛びかかった。

 ウィリアムにとってはアイデンティティを穢す一言で、挑発的な態度以上に許しがたい。


「はあ? なんだよ、冗談だろうが。放せ!」


 何がウィリアムの逆鱗に触れたのかと、周りが驚く中、ライムはウィリアムを掴んで放り投げる。ウィリアムは投げられた勢いを利用して立ち上がる。


「はあ。弱い。お前、本当に強いのか? なんでお前みたいな奴がうちに入団できたんだか。親に金だして貰った?」


「何!?」


「ウィル、やめろ!」


 ウィリアムは思わず強化状態になろうとしたが、メイに止められる。ことごとくウィリアムの地雷を踏んでいくのはわざとなのかと思ってしまう。

 自分の出自は明かしていないのだから偶然であるのはわかっているが。


「ふうん、誰? ウィリアムの彼女? なかなかいい顔じゃん。俺と付き合わない?」


 ライムはメイに目をつけ、手を伸ばそうとしたが、その手がはたかれる。


「そこまでにしてもらおう、ライム。彼の強さは私が保証する。その無礼な態度はやめろ。そしてみだりに女性に手を出すな。治安を守る冒険者が風紀を乱してどうする」


 トマスが毅然とライムに告げる。

 ウィリアムは、トマスが精霊たちへのものを除いて丁寧口調ではないのを初めて見る。独り言ですら丁寧口調なのだ。

 しかも今は精霊たちへのものよりも鋭く尖った口調。柔らかさは一切ない。思わずぞっとしてしまった。


「はいはい、風紀委員長さん。相変わらず俺に対しては当たり強いよな。悪い悪い、それじゃあ嫌われ者は帰るよ。あんたらほど嫌われてないけどな」


 散々暴言を吐いてライムは出て行く。後に残された三人は、


「うっざ! 無駄に高いだけのブランド纏うしか能ない癖に金を語るなど笑止千万! 金の真理を知らねえやつが大金持つことこそ罪! あれで人気者とか、こっちにスポンサー寄越せ! お前に本当の貧乏を教えてやるよこの野郎!」


「何あれ。気持ち悪い。殺したい」


「二人とも落ち着いて。とくにウィル、怒りの方向おかしくないですか? もっとひどいこと言われてましたよね? いや、私も相当イラついていますが。メイさんにあんな気味の悪い……」


 思い思いの不満をぶつけていた。食堂の店員たちは我関せず。

 まだ冷静さを保っているトマスによって、ライムの挑発があったとはいえ、ウィリアムの行動はやり過ぎだと注意された。

 しかしまだ怒りは収まらない。金に関する認識の甘い者が上から目線でものを語ることをウィリアムは許せない。


「トマス、今ならウィルにお酒飲ませてみてもいいんじゃない? あんだけイライラしてたらさ、お酒飲んで丁度いいウィルに戻るかも」


「あの、あのときみたいに優しいとは限りませんよ。イライラしている今ならもっと感情が昂ぶってしまう可能性が高いです。ですから――」


「そっかー。はい、ウィルー。お水だよー。喉渇いたでしょー?」


 二人の会話を聞いていなかったウィリアムは、メイから差し出されたそれを水だと思って飲んでしまった。


「甘!? メイ、お前……」


 すぐに酒だとわかり、メイを睨み付けるウィリアム。酒特有の妙な味に加えて甘ったるい味。果実酒というやつだろうか。

 飲むのを止めようとしたが酒の弱さを指摘されてついつい飲んでしまうウィリアム。


――――――


「ほら、撫でてもいいよ」


「……しょうがないな、おいで」


 食事を挟み、そろそろいいかとメイが仕掛けると、“優しいウィリアム”が表に出てきて一気に周りの空気が和らぐ。感情の昂ぶりを酔いで抑えるなど聞いたこともない。普通逆だろうとトマスは呆れる。


「認めない……。こんなやり方で怒りを抑えるなんて……」


 荒れた空気が戻るのはいいのだがこんなやり方はないだろう、とトマスはまたも自分の常識を破られて、自身も酒を飲んでいた。彼は酒に強く、二日酔いもしない。

 メイはウィリアムにまた酒を勧めている。

 ウィリアムの酔い方を最初は面白がってみていたが、普段邪険にされているためか、今はこの状態のウィリアムが癖になってしまっている。


「あ、ウィリアム、ようやく見つけたあ。久しぶり!」


――ええ!? あれって、まさか……。


 トマスは突如店内に入ってきた女の姿を見て持っていたグラスを落としかけた。


「ああ、テムニー。なぜここに?」


「会いに来た」


 現れたのは“絶対零度の消極者”テムニー・アニングであった。パラベラの三悪魔の一人となればトマスも知っている。問題は彼女がここにいてはいけない存在であること。しかもウィリアムに会いに来たと言っている。

 わけがわからない。


「会いに? そう、おいで」


「え? 本当にウィリアム? ウィリアムはこんな優しくないぞ?」


 トマスが注視する中、ウィリアムは手を広げてテムニーを迎えているが、この行為にはテムニーも違和感を覚えたらしく、退いている。


「テムニー……」


「ああ、メイ、いたのか。どういうことかなあ? ウィリアムがおかしい」


「それに答える義務はない。会いに来たってどういうつもり?」


 テムニーはメイとも顔見知りのようだが二人の間の空気は悪い。ウィリアムを巡ってというのが一番適切な表現だろうが、それは恋愛的にではなく、もっと稚拙なものに見える。そう、おもちゃを取り合うような。


「俺はおかしくないよ。いつもよりなんか子どもと触れ合いたい気持ちが強いだけ。だからおいで、テムニー」


 トマスの情報では、テムニーはウィリアムよりも年上のはずだ。しかしそんな彼女に対してのこの発言。ウィリアムは彼女の精神年齢が子どもだと言っているようなものだ。


「ん? そうか、酔っ払っているのかあ。面白い酔い方だね。それじゃあ遠慮なく!」


 しかし気づいているのかいないのか、そこには触れずにテムニーはウィリアムの手に飛び込む。メイを押しのけて。

 トマスはメイを起こしながら、この状況をどうするべきか熟考する。どうしたらいいのかという判断材料が少なすぎる。


「あ、テム、何してんの? 離れなさい。ウィルくん、ごめんね」


「そうですよ、テムニー」


「ルーシー・ヴェルナーにランス・モリソン!?」


 次いで現れたのはパラベラの三悪魔の残り二人。なぜパラベラの悪名高い実力者が揃ってこんなところにいるのだろうと唖然としている。

 弱小ギルドのメンバーが有力ギルドの本拠地付近に現れるなどあり得ないのだ。下手に行動すればギルド間の関係を悪化させかねない、極めて軽率な行動である。


「嫌だ。せっかくの機会だぞ? 離れるものかあ」


「二人とも、心がカチコチに固まっている上に非常に汚らわしい。テムニーまで汚れる」


「ウィ、ウィルくん? どうしたの?」


「うん、いつもよりも二人が醜く見える。テムニーはいつもよりも美しいのに」


「あー、二人とも、今ウィル酔っ払っててさ。たぶんだけど人の好き嫌いの基準が心の柔らかさに偏ってる」


 メイの話を聞く限りでは、この状態は優しいというより、心と体に基づいた好き嫌いに対して素直になるだけの状態ということであろうか。嫌いを前面に出していても雰囲気は柔らかいが、言葉は辛辣だ。

 トマスはとりあえず人が増えたからと、五人を店の外に出す。そうしてどこに行くでもなく、ぶらぶら道を歩く。

 ウィリアムとテムニーがずっとくっついているせいだ。止めようとすると二人とも何をし始めるかわからないので見守るしかない。とくにテムニーの凶暴さは有名な話だ。


「そう、さっきちょっかいをかけてくる奴がいたけど、ウチが排除したから問題なし」


「うんうん、すごいね、テムニー」


「……私がやられている分にはいいけど端から見ると本当に気持ち悪いな」


「メイさんのせいでしょう」


 未だに酔いから醒めないウィリアムは、テムニーと旅の話に花を咲かせている。

 ランスはそんな二人の様子をどこか興味深げに観察しているが、トマスを含めた他の三人はこの状況に疲れ果てている。


「それで、本当に彼に会いに来ただけなんですか? パラベラのトップスリーが揃って来るなんて」


「ええ、ウィリアムさんの中継を見たテムニーが行くと言って聞かないから。僕たち二人も招集されました。中継はとっくに終わっているのにまだいるかもって、セロフォールに向かうし、ここではパラベラを名乗ってコルバーチの寮に乗り込むし。計画性なくウィリアムさんを探して我々を振り回すんです。でも逆らえないんですよ、彼女には……」


「ご、ご愁傷様」


「いえ、僕たちがまだテムニーのことを理解できていなかったんです。好奇心を向ける相手にここまで執着するとは。安易に結婚は三ヶ月後なんて言うんじゃなかった」


「け、結婚?」


 ランスが話すには、テムニーがここに来たのは中継で彼の身の危険を察し、好奇心の対象がなくなることに危機感を覚えたかららしい。

 そして以前結婚についてルーシーたちに聞いたときに三ヶ月後と言われたことを真に受けたこともあり、すぐに飛び出した。その際に二人を連れてきたのは中継で粗さの目立っていたウィリアムをついでに指導させるためだという。

 完全に二人はテムニーに巻き込まれているのだ。

 問題児に振り回されるのはトマスも同じだが、テムニーはウィリアムやメイを遙かに上回る厄介さだと、この十分のうちにトマスは理解し、二人に同情した。


「ねえウィリアム、結婚しよう。三ヶ月経てば結婚できると言われたぞ」


「それはいけない。結婚はお互いが愛し合っていなければならない。俺は君の子どもらしい心は好きだ。でも君を愛していないし、君も俺を愛してなどいない。俺はクズだし君が好きになるのならもっと相応しい……いや、君も誰かを好きになる必要はない。一生独身でもいいくらいだ」


「そんなあ。ウチはウィリアムのことが好きじゃないのか? ようやくウチも恋を得られたと思ったのに。恋を知ればウチは完璧に……」


「泣くことはない。さあおいで。撫でてあげる」


「うん」


「大丈夫、大丈夫だよ。人を好きにならないことは素晴らしいことだから。俺も初恋は迎えていないし今後も迎えない人間だよ」


「なるほど、わかった。ウィリアムの強さは人を好きにならないところにあるのだなあ?」


「その通り」


「誰かあのバカ二人の会話を止めろ。ボケが長すぎる」


「いや、放っておきましょう。もうどこから突っ込んだらいいのかわからない」


 優しい言葉と雰囲気で意味不明で面倒くさい価値観を吹き込むウィリアム。

 酔ってはいるが、あれはウィリアムの本心であろう。

 しかしそこにトマスはもう突っ込まない。問題はそんな彼の心を他ギルドのメンバーに知られてしまったこと。身内の恥をさらした気分である。


「しかし、君が私を好きだという汚辱といい、結婚の三ヶ月といい、誰がそのようなことを吹き込んだのかな? 純粋な君を傷つける忌むべき嘘だ」


「ウィリアムを好きだというのはウチの胸の高まりからそう思っただけ。結婚の三ヶ月はルーシーとランス」


「なるほど、清いテムニーの心を既に汚していたか。許せない」


 ウィリアムは袖を捲って腕輪を露出させる。瞬間、トマスはウィリアムが何をしようとしているのか察した。


「んー、彼ここで本気だそうとしていないか? さすがに止めないと不味い。頼むぞランス」


「はあ。ウィリアムさん、ちょっと寝ていてくださいね」


 トマスはウィリアムを止めようとしたが、パラベラの二人が動く方が速かった。

 ランスの腕の一振りでウィリアムは眠りにつく。睡眠魔法を使われたようだ。

 すぐにテムニーがウィリアムとの会話を邪魔されたことと、ウィリアムに危害を加えられたことで癇癪を起こしたが、ルーシー、ランス、トマスの三人がかりで抑え込んだ。このときメイは気絶した。

 眠るウィリアム、メイ、テムニーをそれぞれ背負うランス、トマス、ルーシー。ランスとルーシーはテムニーの無計画な行動のせいで今日泊まる宿すら決めずに来ていたため、背負いながら探す。


 パラベラにおける腐った心根の二人と純粋すぎる一人。

 前者は酔ったウィリアムと最も相性が悪く、後者はそんな彼と反応してとんでもない化合物になる。

 この事実を目の当たりにし、今起きている者はテムニーをできるだけウィリアムから遠ざけ、酒もメイなどが飲ませることがないよう見張ることを誓い合った。

 無事宿が見つかり、明日以降どうするかはテムニーの機嫌次第だとうなだれるランス、ルーシーに見送られて帰路につくトマス。この頃にはメイの目も覚めていてトマスが背負うのはウィリアム。

 トマスは本当に疲れた。ライムに煽られたことなど忘れるくらいパラベラの人間とウィリアムがおかしかった。


「なんなんですか、あの少女は。残る二人にしてもどことなく私の常識と違う感性持っているように見えたし、パラベラって本当に変人しかいないんですね」


「トマスも大変だな。本当にごめんよ。ちょっと優しいウィルを見たかったんだけど、まさかあんな暴走をするとは。酔ったウィルにはあそこまで子どもっぽくて、言うことを素直に聞くようなのは毒だな」


「そう言いつつ、また飲ませようとしているでしょ?」


「な、なに言ってんの? 私と二人きりの時なら私だけを甘やかしてくれるだろうし、テムニーと会わせなければいいって思っただけだよ」


「言い訳になってませんよ」


 せめて思惑を否定するくらいはして欲しい。

 こういうところがあるから嘘をついて酒を飲ませるようなことをされても、酔っ払ったウィリアムは優しく接しているのだろうか。


「寝る前に飲まそうとか考えてないからね? 子守歌で私を寝かしつけてくれたりとかそういうのも期待してないから!」


「いや、誰もそこまで言ってな……何回目ですか?」


「週一……いや、やってないよ? 子守歌はどこか懐かしくてホッとするけど、だからって飲ませたりは」


「二、度、と! 飲ませないでください! あの自己中男が素面で子守歌なんて歌うわけないでしょう!」


 トマスはメイの言い訳になっていない言い訳を遮り、酒の提供を禁止させた。

 今後ウィリアムが彼らの前で酒を飲むことは未来永劫なくなった。


「いや、酔っ払っているにしても、彼が子守歌を知っていたことがなんか驚きですね」


「うん、確か『殺すべきあなたのことを愛する私。だから今は殺せない。今だけは共に眠ろう。未来ではどちらが死ぬのだろう』ってやつ」


「なんですか、それ。歌詞がずいぶん物騒な。曲も聴いたことがありません。彼にそんなセンスはないはずですし、親でしょうか。子どもに聴かせる歌じゃないでしょ」


「私なんか最初、これ私のこと歌ってるのかなって思っちゃったからね。よくよく聞いて、やっぱ違うなってなったけど。なんかね、言葉が優しいからかホワってして寝ちゃうんだよ。トマスも聴いてみれば?」


「遠慮しておきます。子守歌については追及しない方が良さそうです。酔った彼がどういうつもりで歌っているのかはわかりませんが、そっとしておくべきです」


 ウィリアムがミナクスの現ギルド長に育てられたという経歴は公式の記録にある。しかしそれは七歳を迎えてからで、それ以前の経歴は不明。

 トマスの方から聞いたこともないが、時折話の流れでその辺りに触れそうになると、ウィリアムは一切を語らなくなる。完全に蓋をし、自身に言い聞かせているかのような素振りも見せる。

 恐らく良いものではなかったのだろうというのは想像に難くない。

 あんな自己中心性の権化に何があったのか、気にならないと言えば嘘になる。あの心を作り出した原因がそこにあるのかもしれない。

 しかしデリケートな問題にズケズケ踏み込むわけにはいかない。そこはウィリアムの選択に任せるべきである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る