第5話 悪魔の指導

 修行の内容は苛烈であった。力があったときにつけていた変な癖を矯正するだけで同じくらいの力の者よりも遅れを取っている。

 以前は体でぶつかっていくような無茶な戦闘ができたが、貧弱で力のない今の体ではあり得ないやり方で、厳しいのもその危険性を考慮してのことだとわかっているから苛立ちはしない。


 一日目は大まかな癖の矯正と、体力作りのルーティン、体幹に筋トレを叩き込まれた。

 二日目からは、テムニーの権限でパラベラの二軍、育成課程の冒険者が招集され、模擬戦まで行われた。招集された冒険者は、最初は自軍トップスリーによる招集とあっておびえていたが、直接修行してもらえるということで大喜びした。


 それはいいのだが……。


「よおおおし! わっしょーい! わっしょーい! わっしょい!」


「ウホホホホ!」


 ゴリラではない。パラベラの冒険者たちによる身内への応援だ。いや、どちらかというとウィリアムへの煽りの方が大きい。鬱陶しいことこの上ない。

 ウィリアムは今十連続で戦っている。既に道着は泥まみれ。所々に傷や内出血が見られ、痛々しい。

 体力も限界で、六戦以降はほとんど一方的に蹂躙されている。今も負けた。


「くっそ、このゴリラども、ウホウホとうるせえ。戦っている間の煽りは全然大したことないけど俺が負けたときに囃し立てるのすごいむかつく……! こいつらの煽りのせいで負けたみたいじゃん」


 招集された冒険者たちは自然と応援団を形成する。パラベラの応援団は鬱陶しいことで悪名高いが模擬戦のときのそれは本当に凄まじい。

 ウィリアムにしてみれば周りに味方は一人もおらず、自分を煽ってくるのだ。自分が負けたときの大騒ぎは聞くに堪えない。

 それでもここで感情を表に出せばますます連中を調子に乗らせるだけである。パラベラは育成課程に至るまで、自分より遙かに性格が悪い者が揃っている。自分が聖人なのではないかと錯覚するほどに。


――それはそうと、なぜ勝てない。もうずっと負けてんだぞ。勝たせろよこの野郎!


 煽り以上にウィリアムはショックを受けていることがある。対戦相手も応援団も、今までウィリアムが歯牙にもかけてこなかった連中で、彼らとどっこいどっこいなことはこの上ない屈辱で、少し目が潤んだ。


「おい! いつまでゴリラどもと戦わされるんだ!」


「おい、誰がゴリラだ!」


「ゴリラにゴリラと言って何が悪い! 第一ゴリラは褒め言葉だ。森の賢者……ふっ」


「ボケの最中に笑ってんじゃねえ。白けるだろうが!」


「ボケじゃねえ! 褒め言葉って誤魔化そうとしたのにどう見たって賢者に見えないから笑ったんだろうが! いや、ほんと、お前らがゴリラとかゴリラに失礼だわ。謝れ」


「ゴリラって言ってきたのお前だろうが! お前が謝れよ!」


「やめなさい! 次は僕が相手です」


 ランスが拳を握って構えをとる。彼は魔法も得意なのだが、魔法はルーシーが教えており、彼自身は体術・剣術の修行を担当している。ウィリアムは彼と既に五度対戦したが全く歯が立たない。


「脇が甘い! 武器を使おうが使うまいが、脇は必ず締めること。正中線を相手に見せない。半身! どこを突くのか丸わかりです! ギリギリまで技は我慢、フェイントも使って! 姿勢の悪さは相手にこいつは弱いんだと舐められる原因になります。気持ちで負けたら勝てるものも勝てない!」


 今回、ランスは攻撃することはせず、自由にウィリアムに打たせているが、常に指導が入る。

 周りの冒険者もこのときは囃し立てることはせず、じっくり見ているのでウィリアムにとってはいい時間である。


「まったく、相変わらず体の軸がブレブレ、技の精度も低い。体幹に柔軟、技の研究を毎日、とくに蹴りと突き、剣の素振りは必ず百回はやること。休憩したらルーシーのところに行きなさい」


「はい、ありがとうございました……」


「もっと大きな声で言いなさい」


「……ありがとうございました!」


 本当にウィリアムは敬語が苦手なのだ。ランスは徹底的にそこも矯正しようとしている。それは彼の悪魔的性格とは関係がないはずだが、彼の当たりが一番強いのはウィリアムに対してである。


「くそ……早く強くなって、あいつに敬語使わなくていいようになろ!」


 例え屈辱を味わい、自尊心を傷つけられようと彼の心の芯には響かない。この程度で心が折れはしない。

 テムニーが教える腕は確かにあると評していたから、ウィリアムは強くなるためだと我慢しているが、元来の短気な性格、休憩中はランスの似顔絵が描かれた紙を木に貼り付け、石を投げ続けた。

 なお途中でランスに見つかって子どもかと怒られた。




「いらっしゃい、ウィルくん。テムからもらったお金の分は教えてあげます。うふふふふ」


 魔法を教えてもらうためにルーシーの元に向かうと、彼女はウィリアムをホクホクした顔で迎えた。どれだけのお金をもらったのか、ウィリアムの捏造スキャンダル写真代を優に超える額なのは確かだろう。

 しかし彼女の周りの景色は異様だ。多数の冒険者が倒れているのだ。

 彼女の気味の悪い笑顔がよりその異様さを際立たせている。メイもここで気絶している。

 ウィリアムの後から来た冒険者たちも腰を抜かしている。


「ああ、それにしても面白い格好ですね。意外と可愛いかも……ふっ」


 二日目からウィリアムは長髪のカツラに黒縁の伊達眼鏡を変装として装着させられている。さすがに他のパルベラの冒険者がいるのに身元がわかるのはまずいと。

 一応の設定としては三人に拾われた村人だ。変装、設定共に雑にも程があるが、意外と気がつかれない。村人設定のおかげでパラベラの冒険者たちからは舐められまくっているのだが。


「笑うな。それで、この惨状は一体……。お前、何をした?」


「ふむ、今は先生と呼んでくださいね? 敬語に関しては大目に見ますが。ああ、私も君に敬語は使わなくていいのか。それじゃあ始めよう。まず、そこで倒れている子たちを片付けて」


「は?」


「ほら、手を動かして。まだ魔法は禁止。まずは体を動かす。単に楽しようと思って魔法なんて使っちゃダメ。苦労をして、その補助としてどんな魔法がいいのか、そのイメージを掴むこと。ウィルくん、周りは動いてるよ。一番人を運べた子にはご褒美あるよー」


 先にルーシーの指導を受けた者の惨状を見て、一体何をされるのか、そんな不安を抱いているのが見て取れるパラベラ冒険者たち。とはいえご褒美の話を聞いてワクワクもしているようだった。

 ウィリアムも競争とあっては負けられないと、運んでいく。運んだ先にいたランスから、一体何をやっているんだと怪訝な目を向けられたが、適当に言って引き渡す。


「はい、お疲れ様。一番運べたのは……ワルトハイムくんだね。おめでとう。それじゃあご褒美。火起こし道具一式」


「え?」


「はいみんなー。今から火起こしをしてもらいます。ワルトハイムくん以外は火起こし道具を自分で集めて作ること。終わった人には私が食材を配るから、それで自炊して順次夕食にしてよし。ただし十九時までだからそれまでにできなければ夕食は抜き。明日は食材の調達も自分でやってもらうからそのつもりでねー」


 今は十六時半。パッパと動かなければ間に合わない。しかし全然魔法らしいことを教えてもらえていない。先に彼女の教えを受けた者達は時間的に食事の時間ではないし、一体何をしたのだろうかとウィリアムは気になったが、夕食がないのは困る。

 だが火起こし道具などどうやって作るのか、ウィリアムには皆目見当も付かない。

 ワルトハイムという男が渡されていたのは火打ち石。ウィリアムが拾えるものではない。

 周りに聞いて、何とか必要そうな材料は集めた。見よう見まねで枝を木に押しつけて回す。しかし一向に火が付く気配はない。周りでは何人かが成功し始めているし、煙の匂いが漂う。


「おやおや、苦戦しているみたいだね。お姉さんが教えてあげようか?」


「いらん! ……ああもう、こんなの、何の意味があるんだ! 魔法の修行じゃないのかよ?」


「嫌なら出て行くことだね」


「じゃあさようなら」


 ウィリアムは立ち上がって走り去る。

 生まれながらの天才、母親がいない子ども時代。そして今は力を失った。残っているのは力に見合わない高さの子どもっぽいプライド。

 ウィリアムは天才を自覚してからの人生で初めての屈辱を先程から味わっている。その屈辱を味わって彼は


「どうやったらあの悪魔たちに一泡吹かせられるか。黒板消し落とし? いや、ドアなんてないしな。紅茶に大量の唐辛子、靴に画鋲……。うん、いまいち。椅子引きは打ち所悪いと骨折したり不妊の原因になったりするからダメ絶対。椅子に座ったら変な音が出る仕掛けとか……」


 せっせとルーシーたちへの復讐もといいたずらを考えていた。

 ぶらついているとメイたちが寝かされている場所にたどり着いた。丁度そのときにメイが目を覚ました。


「ふぁあああ……。あ、ウィル、いたんだ。ねえ聞いてよ。あのルーシーって女、最悪。私たちに魔法に慣れさせるためだとか言って散々魔法酔いさせてきた……。あんなんで魔法耐性と魔力制御になるかっての……」


「ああ、わかるわかる! お前たちを運ばせて、その後火起こしをしろ、とか。魔法なしの苦労を知っていかに必要な魔法を活かすのか掴めって、わけわかんね」


 共通の人物への共通の不満があるだけで妙に心が通じ合い、愚痴を言い合う二人。ついには一緒にいたずらを考え始めた。


「お前ら、ルー先輩を悪く言うんじゃねえ! あの人、怖いし悪い人だけど、パラベラの誇りなんだよ!」


 起きていた一人が二人の悪巧みを糾弾した。


「いや、怖いし悪い人って普通に悪口だろ」


 ウィリアムの突っ込みはさておき、この場にいる他の面子もほとんど同意見という反応だ。意味があるのかは疑わしいところがあるのに、彼女を信じている。慕っている。


「ルー先輩最高! ランス先輩最高! 二人に教えてもらえる俺たち最幸!」


「うおおお!」


「ウホホホ!」


 ウィリアムはゴリラ応援団を形成し始めた冒険者を見てこの場を離れることを決意、同時に頭が冷えてきた。


「俺、戻る」


「え? 何考えてんの?」


「いや、なんか俺ってやっぱり誰かの下に付くなんてガラじゃない。あんな風に俺を下に見られたのは癪だけど今俺が出復讐なんてしたら俺の負けを認めるようなものだ。あの女の指導の中で鼻を明かしてやる」


「ああ、そう……。それじゃあ――」


「君たち、何を騒いでいる! 起きたのなら走り込み開始! ほら急ぎなさい。その後軽く組み手をして夕食。終わったらまた修行ですよ!」


 ランスが現れて冒険者たちを連れて行く。真っ先に逃げようとしたメイを引き摺りながら。


「押忍!」


 あっという間にウィリアムの周りに人はいなくなった。

 あの一体感は何なのだろうと呆れながらもルーシーの元に向かう。


「あ、おかえり。思ったより早かったね。出て行く気は失せた?」


「は? 最初から出て行く気なんかなかったぞ? どうやったらお前を一泡吹かせられるか――」


「それじゃあ無断で私の教えを拒否して出て行った罰を受けてもらうよ。えい!」


「うおぉぉぉぇ……」


 ウィリアムの体の中を魔力が循環し、凄まじい吐き気が襲う。メイがやられたのはこれかとルーシーを睨み付ける。


「あはは、まあ頑張って耐えてみな。対応できるようになれば魔法はより早く理解が深まるよ。罰だから通常よりも与える魔力は多いけどね。その上で夕食は抜き! カッとなったら負けだよー」


――この屈辱、必ず晴らす……!




 意識を失いそうになりながらもなんとか魔力酔いを耐えきり、空腹のまま次のメニューを言い渡されるウィリアム。

 まだ魔法を禁止されている。その上でこの場にいる十五人全員でルーシーと戦えというのだ。ただしルーシーは初級魔法を使う。


「ほらほら、私が使っているのは君たちも普段使う初級魔法。なんで対応できないのかなあ?」


 魔法の質が違う。見慣れているはずなのに誰一人として近付くことがかなわない。自在に水を生み出し、自分を見るものがあれば水をかけて視界を奪う。なおも近付く者がいれば水塊に閉じ込めるか水の縄で足を拘束する。


「みんなには徹底的に私の魔法を受けてもらうよ。その身を以て洗練された魔法を知り、私との実力差と己の練度の甘さを自覚し、恥じること。悔しかったら攻撃していいよ。やれるものならね。じゃあ次、火の初級魔法ね」


 マッチで点けたような炎がいくつも顔の周りに出現し、ゆらゆらと揺れながら顔の周りを回転し始めた。炎で前がよく見えない。周りの冒険者も同様で、身動きが取れている様子はない。

 勇気を出して前に進むと全く同じだけ炎も動く。

 小さいとはいえ、これだけの数の炎を、全員のそれぞれの頭の周りに正確に配置しているのだ。相当な精度である。


「おいおい、その炎、全然暖かくないんだよ? むしろ冷たいくらい。触ってもやけどしないんだから、もっと思い切り動いて振り切りなよ。私に勝つ以前に私のこの魔法制御に勝たなきゃ話にならない」


 言われたとおり、手で炎を触ると全く熱くない。恐れることはないと皆動き始めるが全く振り切れない。


「ダメ、全然ダメ。もういい。炎の温度を上げる。どうせ振り切れないんだし、せめて炎への恐怖を乗り切りなさい」


――あ、熱い……!


 一気に炎の温度が上がり、顔をジリジリと焼く。恐怖の象徴となった炎。決して顔を直接焼くことはないが、周りからは悲鳴が出始める。

 ウィリアムも身動きが取れない。


「ほら、私は後ろだ。近付いてやったんだから攻撃したらどう?」


 振り向いて攻撃に転じようとするが右側の炎の温度がさらに上がり、思わず動きを止めてしまった。

 ルーシーのからかうような声が届き、悔しさに身を捩るが、既にそこに彼女の姿はなかった。

 その後も土、風、様々な初級魔法を受け、消耗した果てに最後にはこれらをあわせた魔法を浴びせられ、ついに全員倒れた。

 初級魔法は攻撃性が低く、ほとんど実戦では用いられてこなかったことから、ここまで手こずると思っていた者はいなかった。


「弱すぎる。今まで何をしていたの? 基礎を積み重ねずに応用に挑むなど笑止千万。仮に君たちが上級魔法を使ったとしても私の初級魔法の方が上だ。私の指導を今後も受けたいのなら許可なく魔法を使用することを禁止する。ひたすら魔法を受け続けて身を以て理解すること。まあ私は自力で魔法の真髄にたどり着いたんだから、それに比べたら楽なものだよ」


 冷たくルーシーが言い放つ。今までのおどけた声音とは異なる。

 ウィリアムは辛うじて意識があり、膝をついているが、なんとか倒れないように踏ん張っている。


――立て、立つんだ。


「うん。ウィルくん、いい根性だ」


――今倒れたらウンコと激突だ。畜生、誰だこんなところにウンコを落とした奴は。


 野生動物の糞である。周りにはハエも飛んでいる。耐えていると、 


「君はテムからも面倒を見るようにいわれているからね。コルバーチに行く前にちゃんとものにさせないといけない。その根性に応えて特別特訓といこう」


 ルーシーから回復魔法を受けて、若干強引に立たされる。


「あ、ちょっと待って」


「待たない」


「いや、靴の下にウンコ」


 ルーシーは立ち上がらせる際にウィリアムの目の前に立っており、そこにあった糞を踏んでいた。


「え? ひっ……これが、君の狙い?」


「いや、違うぞ。でもそういう青い顔されると対応に困る。もっと泣き叫んでくれなきゃ」


 ウィリアムとしてはルーシーがこれで一泡吹いたら面白そうだなと伝えたのだが、青ざめられてしまったため狙いがはずれた。ただ青い顔をされるだけだと良心が痛む。


「どうやら特別特訓でも君は足りないらしい」


「は? いや、踏んだのはお前が悪いだろ。俺は何もして……おえっ」


 また魔力酔いの状態にされ、その状態で火起こしをするように言われる。

 この件ではウィリアムは無実なのに。

 夕食抜きは火起こしに成功すれば免除するとされ、素直にウィリアムは用意を始める。

 再び道具を集め終わり、作業を始めようにもやり方がわからないのでルーシーに聞こうとしたらお金を払うように言われた。しぶしぶ払い、やり方を学んだところで作業開始。


 三十分、一時間、二時間。時間が過ぎていくが、煙が出るだけでその先に進めない。常に吐き気と戦わされており、何度か吐いた。胃の中が空っぽだったのは不幸中の幸いか。

 周りの人間も意識が戻り始め、彼らはルーシーの指示で寝床へと戻っていく。

 ウィリアムは孤独の中、黙々と作業を続ける。もう邪念はない。筋が悪く、不器用でも、今は集中して火を起こそうとしている。魔力酔いも魔力の流れを感じることで少しだが対応できるようになってきた。

 枝を何回か交換し、ついに火が点いた。

 おめでとうと食材を渡されるが、それは生きたカエル。これを自分で捌いて調理しろという。


「君が他の皆と同じ食事なわけがないだろう? 嫌なら食べなくていいぞ」


 やり方を聞けば再び料金を請求されたので面倒くさいと生で食べようとしたら食中毒になっても知らないと脅され、しぶしぶ払って聞き、調理を始めた。

 調理の最中、火起こしにはもっと効率的なやり方があり、教えたのは一番難しいやり方だと言われ、本当に嫌な性格をしていると、ますますウィリアムの対抗心は燃えるのだった。

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