第2話 渡る世間に人はない

「あ、俺これから人間の街に行くから」


「え? 嘘!? 人間の街? 何で? やだ!」


 メイは青ざめた顔でブルブルと首を横に振る。

 メルリーダという種族は呪いは強力でも、よほど力を吸収していない限り、戦闘には向かないモンスターであり、人間の街には決して近付こうとしないという。


「以前人間の街を襲ったのはお前と同じレックス種だろ? そんな度胸もないのかよ」


「あ、それ先代の魔王ね。性格が相当ヤバかったらしいから、お母様も嫌ってたんだって。ていうか餌となる人間を一人が虐殺するのは種族としても御法度だし、あれでレックス種を語らないでもらいたい」


「あっそ、まあいいけど、嫌なら置いてくぞ。お前に俺の力使われるの嫌だし、お前が森で野垂れ死のうがそれはお前の選択で俺の未必の故意には当たらないからな」


「……わかった、わかったから! 嫌だけど人間のフリするから!」


 ウィリアムが後ろを振り返れば慌ててついてくるメイが映る。鱗の腕輪を持つのはウィリアムだ。メイが危機的状況に陥っていながらわざと置いていくならともかく、平時はウィリアムの行動に従うしかない。

 人間の街にいようと、メイの場合、鱗を失って見た目だけは完全に人間なのだからそこまで問題はないはずだ。鱗の下の肌は人間そのものだった。

 メルリーダの鱗は一度生え揃ったら以降生えることはないらしい。人間の歯のようだが、鱗を外しても再び肌に装着できるという不思議な性質も持っているようだ。


「ねー、疲れたー。おんぶしてー」


 歩いて十分もしないうちにおんぶをせがむメイ。よほど大切に育てられたらしい。実際、足ががくがく震えている。


「知るか! 置いてくぞ」


「あー、待ってよー! 無理! 歩けない! ほら、私は歩きたいのは山々なんだけど動けないの! 助けないなら私を見殺しにするのと一緒だよ? 今はか弱い女の子に過ぎない私が森に取り残されたらすぐに死んじゃうだろうなー。み、ひ、つ、の、こ、い」


「どう考えても未必の故意の拡大解釈だろ……」


 そう思いつつも、万が一こんな下らないことで契約違反判定が下されたら情けないことこの上ないのでウィリアムは仕方なく負ぶってやることにした。


「なんか急に重くなったような……。寝てやがる。ちっ、覚えてろよ」




「ぎゃー! ウィル、こっち! 助けて!」


「はあ。未必の故意条項入れなければ良かった……。まさかこいつがここまで役立たずだとは。俺が損するだけじゃん。……あれ? なんか魔法が無詠唱じゃ発動できなくなってる……」


 ウィリアムとメイは今、森の中でモンスターに襲われている。起きたメイが背中から降りて藪をつついたら出てきた。

 なんてことのないモンスターだ、とウィリアムはメイに任せのだがこのざまであった。仕方なく救援に無詠唱で魔法を放とうとしたら使えない。弱体化によるものだと気づく。

 まさかの事態に動揺したが、切り替えてうろ覚えの魔法の名前を詠唱する。


「ええと、火の玉ストレート……じゃなくてファイアボール! ……小さいし威力弱!? これが俺の魔法かよ!?」


 一々魔法の名前を言わないと発動できない体になってしまった上に威力も弱い。ウィリアムは屈辱に顔をしかめた。

 さらに別のモンスターも現れて、メイの救援と平行して戦わねばならず、大苦戦を強いられる。

 ほんの一時間ほど前ならば二秒とかからずに倒せていた相手なのに。

 なんとか撃破し、さすがにこれ以上森の中に入っていくのは危険だと判断し、遠回りながら街道沿いを進むことにした。


「ああくそ、俺まで疲れてきた。ちょっと休憩」


 呼吸が荒く、歩くのも辛くなっている。以前より体力も落ちているらしい。ふと体を見回せば以前よりも細くなっている。筋肉も奪われてしまったのだ。


「やった……そうだな、ウィルがどうしてもと言うなら仕方がない。私は完全に平気なんだけど……」


「やっぱ休憩なし! とっとと行くぞ!」


 メイの態度に腹が立ち、再びウィリアムは駆け出した。

 そして間もなくメイ共々体力の限界が来て、街道に着いたところで倒れてしまった。




 ゴトゴトという音と共に体が揺れ、意識が覚醒に向かう。薄く目を開ければそれに気がついた女が「もしもし? 大丈夫ですか?」と声をかけてくる。


「あんたは?」


「はい、私たちはパラベラ・ミンミ-ズの冒険者、ルーシー・ヴェルナー。そこの二人はテムニー、ランスですよ」


 ウィリアムは目の前の三人の所属と名前を聞いて内心「げっ」となった。


「それで、あなたたちは?」


「あ……俺は……えーと、コルバーチ・ティターンズのウィリアム・オーウェン」


「コルバーチ・ティターンズのウィリアム……あのミナクス・エンバースからFAになったお騒がせか」


 ランスと呼ばれた眼鏡の男がウィリアムの名前を聞いた途端、軽蔑の眼差しを向ける。


「ああ、強欲で有名な方ですか。私としてはシンパシーを感じる方でしたが、意外とお子様な雰囲気ですね。これじゃあ生意気だって嫌われても仕方ないですね。まあ顔は写真より綺麗だけど」


 ルーシーと名乗る女は品定めするような視線を向け、言葉で適確にウィリアムの怒りスイッチを押してくる。


「ウチは他人のことなんてどうでもいい。でもそんなギラギラしている奴と関わるのは嫌だなあ。そんな奴が身内にいたら巻き込まれて仕事が増えそうだし」


 テムニーと呼ばれた少女は感情の見えない虚ろな目でウィリアムを見つめながら、馬車の荷台から降ろそうと、いや落とそうと足で押してきた。

 走っている馬車なので落ちたらひとたまりもないとウィリアムは必死に抵抗する。意外と強い力だった。

 ウィリアムの悪評は国――クリテイシア連邦中で広まっていたようだ。

 FA時の言動と、元から金持ちギルドグループとして他のギルドたちからは嫌われていたティターンズグループに加入したことが原因である。ティターンズはコルバーチ以外にも複数のギルドを傘下に持っている。コルバーチはその二番手だ。


 しかしパラベラの連中に軽蔑されたことにウィリアムは「どの口が言うんだ」と反論したくてたまらない。

 パラベラ・ミンミ-ズ。本拠地が連邦中央部という辺境の場所にある弱小ギルドの一つだが、メンバーが個性派揃いで、悪い意味で有名な組織だ。


 曰く、メガホンを使った応援がウホウホとしか聞こえない、新人たちで構成されるゴリラ応援団。

 曰く、他のギルドと合同演習すれば演習なのにウィニングショットばかりぶつけて受ける側の演習を考えない。

 曰く、メディアで中継が組まれるときだけ出てきて他のときは怪我だと言って出てこない。

 曰く、ギルド内でも仲間意識が欠如していて、誰かがやらかせば喜々として煽りまくる。

 曰く、特殊性癖の者が多い。


 などなど枚挙に遑がない。

 こんな連中が揃っていてなぜ存続できているかというと、ギルドの一軍メンバーの能力は比較的高いからだ。まとまりがなくとも能力があればそれなりに結果を出せる。

 ウィリアム自身がそんな人間だった。だがウィリアムもそんな人間ばかりの組織にいたいとも思わない。

 この三人はパラベラの中でも特に悪名高い連中で、ルーシーは“汚れし金銭の眷属”、ランスは“強請の探求者”、テムニーは“絶対零度の消極者”などと陰で呼ばれる。同時にパラベラにおけるトップスリーの実力者だ。

 かなり厄介な連中に拾われてしまったらしい。


「ふあああ、あれ、ここどこ?」


 目覚めて早々のテムニーからの扱いに、ウィリアムが苛立ちを覚えたところで間抜けな声が聞こえてきた。

 メイの目覚めだ。このとき、心の中でウィリアムは三人に対し、「この疫病神を置いていくかモンスターだと見破って殺してくれれば良かったのに」と思っていた。


「この方はどなたですか? ティターンズに移籍する方ではありませんよね? 一緒に倒れていましたが、まさか恋人ですか? ……いや、そうじゃなくてもいい! こんなスキャンダル、週刊誌に持ち込んだらどれくらいお金もらえるかな? ランス、写真は撮ってるよね?」


「ええもちろん。なんなら気絶しているうちに体を動かしていかがわしいシーンに見えるように。ほら、このように」


 パラベラの人間は汚かった。ルーシーなど、興奮したようにウィリアムに聞いていたかと思えば自分のストーリーを組み立てて、ランスと共にウィリアムのスキャンダルをでっち上げようとしている。


「こいつら……。やっぱりパラベラってクズしかいねえ」とウィリアムですらそのクズっぷりにどん引きしている。


「はあ!? 私とこの人間が恋人!? あり得ないんですけど! その記憶にない私とウィルの写真、消してよ!」


 メイもモンスターの癖にそういう写真や週刊誌については把握しているようで、憤怒の表情でランスに飛びかかっている。


「おいこら! お前、金のためなら何でもするのかよ!」


 ウィリアムもランスが魔法で表示した写真を手でかき消すようにしながら文句を言う。金にがめつくても、正当な手段を以て手にした金を手にするべきという人間としての矜持はある。

 それに、ウィリアムにとってこのスキャンダルは許しがたい名誉毀損である。他ならともかく、恋愛と汚い金の疑惑だけは絶対に許せない。


「うん。当然ですよね? 私はお金が大好きです! 例え汚かろうと!」


「心外ですね。僕としては競合する人間を陥れる証拠を掴むことで、交渉の材料になるので。金というよりは僕が上り詰めるための手段です。出世か、競合相手の破滅を狙って」


 ウィリアムからの文句にパラベラ切っての悪魔二人は平然とした態度で応じる。清々しいまでの悪徳ぶりに開いた口がふさがらないウィリアムとメイ。


「ねえ、どうします? 私としてはお金、週刊誌よりも多いのをもらえれば一回きりでいいですよ」


「僕はそうですね、一年間僕が依頼したら護衛をやることと、今後メディアに出る仕事があれば僕を誘うこと。これに応じていただけなければこの写真も添えてあなたを社会的に殺します」


「ねえウィル、こいつら殺そう。あなたが同意すれば呪いが使える」


 メイが真顔で提案するが、ウィリアムはさすがに人を殺すのはまずいとそれを一蹴した。

 そんなことを話していると、


「あ、ウチは面倒事嫌いだから巻き込まないで。戦うなら全員この馬車から降りてくれるかなあ?」


 突如荷台の空気が凍った。実際には凍っていないのだが、その空気を作った張本人以外、この場にいる全員がそう錯覚するほど圧倒的な一声。今まで黙っていたテムニーがゆっくりと、しかし怒りを伴った声音で騒ぐ四人に警告した。

 目を細め、口角を上げているが眉を寄せている。


「やば! 二人とも、今は一時休戦! 座って!」


 ルーシーが慌てて引っ込み、顔をこわばらせてウィリアムとメイに座るよう指示する。

 これが“絶対零度の消極者”テムニー・アニングかとウィリアムは実感する。

 厄介ごとに巻き込むなら身内に対してすら容赦しないという気迫というか、凶暴性をひしひしと感じる。

 常に俺が俺がで突っ走る自分とは逆方向で自己中心的な奴だという印象を得た。


「ごめんテム! おとなしくするから!」


「うん。ウチも仕事の付添がいなくなるのはちょっと面倒だからいいよ」


「なんだ今の空気は。凄まじいな。いや、でも前の俺なら……。ちきしょう……!」


 慌ててルーシーが弁解し、冷えた空気は元通りになった。

 ウィリアムは圧倒されていた自分に嫌気がさしていた。

 少し前までの、強さと度胸を持ち合わせていた彼ならあれくらいの一声で臆することはなかった。実力以前に、気迫で負けたことが悔しい。

 そのウィリアムを弱体化させた張本人はというと、テムニーによって凍り付いた空気に当てられてそのまま凍ったように転がっていた。


「それで、あんたらは俺らをどこへ連れて行くんだ? 早いとこコルバーチの本部に行きたいんだけど」


「あなたを解放するのは構いませんよ。私やランスとしては強請ができたらいいので。でもテムとの仕事を終えてからですね。あなたたち、どうせ歩きだったならまだ時間あるでしょう? ちょこっと付き合ってくれませんか? 拒否したら……強請る以前の問題ですよー?」


――うっざ。ここまでクズな人間っているんだ。俺、自分でも不良だって思ってたけどまだまだだった。いや見習わないけど。


 テムニーの一言があったのにもかかわらず、悪魔二人は容赦なくウィリアムに要求をしてくる。

 本物の邪悪は取引などせず、一方的に奪っていくことを彼は知っている。それ故ウィリアムは、この二人は自分よりもクズではあるが本物の邪悪ではないと判断し、話だけは聞くことにした。


「しょうがないな。何すんの?」


「ヘルチョーク迷宮の探索。その深部に行くんですけど、あそこって有名なわりに全然内部が知られていないじゃないですか。安全のためにも人は多い方がいいんです」


 ヘルチョーク迷宮は連邦東部にある。ウィリアムが出てきた街とごく近いところにある、かなり大規模な迷宮だ。この迷宮への途上でウィリアムたちを拾ったのだという。

 基本的に冒険者は自分が所属するギルドと契約している市区町村単位の自治体の区域内でのみ活動できるのだが、連邦中央部を本拠地とするパラベラの人間がなぜこんな連邦東部にいるのだろうか。


「迷宮のあるバラン村は、伝統的にパラベラ及び本拠地があるインジャン市と交流している自治体なんです。その関係から離れていてもパラベラと組んでいて、パラベラの冒険者の活動範囲になるんですよ」


 ルーシーはウィリアムの疑問に答える。

 弱小ギルドの勢力図は関心がないのでこの事実は知らなかった。ヘルチョーク迷宮にも関心がないわけではないが、大手ギルドの範囲にはないなという程度の認識しか持っていなかった。

 中堅どころか弱小ギルドの縄張りにあったことに驚きを隠せない。

 やはりというか、ヘルチョーク迷宮は弱小ギルドに任せるにしては規模が大きい迷宮で、未だに探索が進んでいないということで、定期的に実力者三人で回っているのだという。


「あれ? つまり俺たちは未知の地雷原を先に歩かせる要員ということか?」


「いやいや、ティターンズの一員である実力を期待してですよ。協力の見返りとして、請求額を半分にします。この金との間で契約を結んでもいいです。反故にしようとすればこの金を私は失いますから、十分な担保でしょう?」


「……わかった。どうせ拒否権はない。でもランスからも見返りは欲しい。どうなんだランス」


「年上にはちゃんと礼節を持って欲しいですね。僕も協力の見返りはありますよ。護衛期間を半年にします。契約は僕の心臓を介して結びます」


「な!?」


「僕は嘘を平気でつきますし、相手を貶めるためなら何でもする、全く褒められた人間ではありませんが、それを隠すことはしません。裏も表もない、ただ黒い人間です」


 ウィリアムには理解しがたい考えだった。裏表がないというのはわかるがそれは自己中心性あってのもの。黒に突っ切っていることも不思議だがそこに彼自身の美学があるように感じるのだ。


――なんか、こいつは面倒くさそう。


 ランスはウィリアムの前に立ち、その手を取る。それを自分の胸に当て、自分の手を重ねる。

 そして契約の内容を述べ、同意を求める。


「わお、ランス、大胆。絵になりますなあ」


「ルーシー、冗談にしても笑えません。あ、写真を撮るなら僕の強請があなたに向けられることを覚悟してくださいね?」


 魔道具を用いて録画しようとするルーシーに笑顔で牽制するランス。ルーシーは慌てて魔道具を引っ込める。

 “強請の探求者”ランス・モリソンの一面が見えた。どうやらルーシーも弱みを握られているらしい。

 しかしテムニーに対して強気に出てないのを見ると、あれに弱みはないのだろう。


「邪魔が入りましたがウィリアムくん、同意しますか?」


「ああ、同意する……します」


 敬意を払えと目で言われ、ウィリアムは慣れない敬語を使う。

 教師にも、冒険者の取材にも、市長にも使ったことがない。

 人生で使ったのは育ての親でミナクスギルド長のリカルドに引き取られる前後以来だ。実に不快な表現だ。


「それで、聞きたいんですが、あの女の子は誰? 今は強請じゃないけどちゃんと答えて欲しいですね」


「べつに、たまたま知り合って仕方なく一緒にいるだけだ」


「なかなか意味深な空気を感じますなあ」


 呑気に荷台に転がっているメイを恨めしげに睨み付けながらウィリアムはこの仕事をどうこなすか考えていた。

 今はまだ自分が力を失っていることは知られていない。知られれば間違いなくコルバーチからは契約解除を食らう。

 べつに故意ではないのだから一年分の年俸と契約金は満額もらえるだろうが、あれだけ冒険者界隈を騒がせておいて結果を出さずに契約解除なんてことになったらウィリアムは社会的に死ぬ。他の仕事もできなくなる。


 この仕事で自分の力量を量り、あまりにも弱いようだったら何らかの対策を立てる必要がある。

 もし大丈夫そうなら単独で依頼をこなし、メディアの中継さえ組まれなければ何とか誤魔化せるだろう。

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