第23話 彼の昔の彼女
「僕の今まで付き合った彼女はねぇ」
「えっ」
彼はまっすぐ暗い天井を見つめながら言った。
「みんな強者(つわもの)ばかりだったよ。君も言っていただろ、昔の恋人の話。僕の付き合った彼女たちも、色んな人がいたよ。待ち合わせに毎回二時間三時間平気で遅れて来る子とか、隔週で月に二回ペースで浮気する子とか、宗教にはまってる子とか、すごいオタクの子とかね。ほんと色んな子がいたよ」
「ずっと待ってたの。その遅れてくる子の時」
私は訊いた。
「うん、待ってたよ。あの頃はまだ十代で若かったし、初めて付き合った彼女だったからね。バカみたいに待ってたよ。今考えるとおかしいんだけど」
彼は小さく笑った。
「二時間、三時間てすごいね」
「うん、よく待ってたよなぁ。自分でも感心しちゃう」
彼は小さく笑った
「一時間ぐらいだと、今日は早いなって感じたりしてね。なんか僕もおかしくなってたんだね」
「ふふふっ」
私も笑ってしまった。
「そんだけしても結局フラれちゃったよ」
「そうなんだ」
私はその彼女を見てみたい気がした。
「浮気するって彼女はどうして浮気したって分かったの?」
「目とか表情ですぐに分かるんだよ。浮気した?って訊くと、すぐに白状するしね。やっちゃった、とか言ってね。てへっ、なんて舌を出して」
「ははは、それでどうするの」
「なんでそんなことするのって、怒るよ。もちろん。そして、最後にはもうしないでねって言うんだよ。絶対だよって。そして、彼女もうんてうなずく。でも、その次の週の週末にはまたやってる。それが一年半くらい続いたかな」
「ははは」
「もう、ほんと気が狂いそうだったよ。好きな子が他の男に抱かれてるって考えただけで本当に気が狂いそうに辛かったよ。滅茶苦茶きつかった。でも、好きだったからしょうがないって諦めてた」
「同じ人?」
「いや、毎回違う人。飲み会が好きでね。週末になると出かけて行くんだ」
「そんなに好きだったのに、どうして別れちゃったの」
「彼女が好きな人が出来たって出てったよ」
「ははは、結局浮気相手のところへ行っちゃったんだ」
「うん、その時はもう、追いかける気力もなかったよ。もう、精神的にボロボロだったからね。逆に良かったって思ったくらい。なんかほっとしたよ。もう精神的にボロボロ過ぎで、ほんと気が狂いそうになってたからね」
「はははっ」
私が笑うと、彼も笑った。
「でも、この話には後日談があるんだ」
「何?」
私は彼を見る。
「別れてから何年か経ってからかな。ある日、その彼女に街でばったり出会ったんだ。そしたらなんか話がはずんじゃってね。その流れでうちに来たんだ。そして、彼氏は今いないっていうからね。そこでそういうことになっちゃったんだ。でも、実は彼氏がいた」
「じゃあ、今度はあなたが浮気相手になったんだ」
「そう」
「はははっ」
私たちは笑った。
「すごいかわいい子だったからね。胸も大きくてね。なんでこんな子が僕なんかと付き合ってくれるんだろうって最初思ったんだ。まあ、そういうことだったってことなんだけどね。はははっ。うまい話には裏があるんだよ」
昔の彼女のことを聞いても、不思議と嫉妬も何も感じなかった。そこには私の知らない彼がいた。それが新鮮で逆に楽しかった。
「宗教にはまってた子もすごかったな。家がさ、創価学会のうちでさ、小さい頃から両親に叩き込まれてるわけ、創価の教えを。でもさ、本人はあまりピンと来てないんだ。なんかやだなって思ってて、それで、高校の時にキリスト教の方にシンパシーを感じてさ。でも、創価の教えを叩き込まれちゃっているからさ、勤行しないととか、功徳を積まないと地獄に落ちるとかさ、そういうの叩き込まれちゃってるからさ、抜けられないわけ。彼女は悩んだんだ。真剣に。ものすごく。それでどうしたかっていうと」
「うん」
「キリストの像に向かって勤行唱えるっていう離れ業を編み出したんだよ」
「はははっ」
私は思いっきり笑ってしまった。彼も笑っていた。
「それ、おかしくないって、訊いたんだ。さすがになんかおかしいからさ。そしたらさ、彼女の中では何か整合性があるんだよ。ちゃんと。で、それを一生懸命僕に説明するんだ。だけど、でも、僕には何を言っているのかまったく分からなかった」
「はははっ、おかしい」
笑い過ぎて涙が出てきた。
「彼女は朝と晩、毎日それをやっていたな」
「すごいね」
「うん」
「オタクの子っていうのはどういう子だったの」
「漫画とかアニメとか好きだったんだけど、それだけじゃないんだ。何とかマイマイ蛾とかいう種類の蛾にはまっててね。部屋にその標本がいっぱいあるんだ。本棚にびっしり、辞書みたいに縦置きでズラッと並んでるんだよ。それがすごい数なんだ。壮観だったよ。しかも、休みの日なんか、ものすごく難しい論文なんか読んでるんだよ。そのなんとかマイマイ蛾の。せっかくの休みの日なのに」
「ふふふっ」
彼の話し方がなんかおもしろかった。その彼女の部屋の情景が浮かぶ。
「夏休みにはさ、一週間泊りがけで鹿児島までその蛾を捕まえに行ってさ、もう大変だったよ。夜中に旅館抜け出してさ。ははははっ」
「はははっ」
「すっごい不審者。はははっ」
「はははっ」
「夜中に帰ってきたらすんごい、不審な目で見られたよ。旅館の人に。二人とも泥だらけだったしね」
「それは怪しいね」
「うん、僕だって同じような人間見たら、同じように見るさ」
私たちは笑った。
「あの子は本当にぶっ飛んでいたよ。僕も自分は変わり者だって思っているけど、その僕が彼女を見て、自分はまともかもしれないって思ったもん」
「はははっ、それは相当変わってるね」
「うん、はははっ」
私も変わっている。やっぱり、変人には変人が集まるんだな。私は思った。
「・・・」
そして、一しきり笑い終えると、暗い部屋に沈黙が流れた。時が、宇宙全体の時間が止まったみたいな沈黙だった。
「・・・」
私たちの中を様々な思い、記憶、思考が駆け抜けてゆく。
「そして、君に出会った」
彼は首だけを私に向け、私を見て言った。
「・・・」
私も首だけを横に向けて彼を見返す。私たちは見つめ合った。あの出会った時のように、キラキラとした目をして、私たちは見つめ合った。
「あの時、君が僕の顔を覗き込んだ時、僕は君と出会った」
「うん」
「この子と付き合うんだってすぐに分かった。今までに付き合った子たちのような変わり者の匂いがしたからね。でも、なんとなく君は、今までの子たちとは違うと感じた。なんかついに巡り合った人って感じがした。理由はよく分からないけど、そう感じたんだ。確かにこの子だって。この子なんだって」
私も感じていた。だから彼の言わんとすることがすぐに分かった。
「私もよ。この人だって、この人だって思った」
私たちは、見つめ合った。思いは同じだった。この先に言葉はなかった。でも、心の深いところで分かり合えている。私たちは、特別に繋がっている。そう感じた。それだけで十分だった。それだけで・・。
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