第6話 すき焼き
「カセットコンロないの」
「うん」
「困ったな。せっかくすき焼きしようと思ったのに」
私は部屋の隅に置いたスーパーの買い物袋を見つめ、うかつだった自分を何ともバカだなと思った。彼の部屋にカセットコンロはないことくらい、部屋の雰囲気で分りそうなものだ。
「もっといいものがある」
「えっ」
彼はそう言って立ち上がった。しばらくして、彼が持ってきたものは七輪だった。
「おおっ」
私は思わず、声を出していた。
「いいねぇ」
「だろ」
彼は、さらに奥からゴソゴソと炭の固まりを取り出してきて、火を熾し始めた。
「時々使うんだ」
彼は少し嬉しそうに言った。火を扱うのが楽しいらしい。少年のような顔をしている。
そして、私が台所に立って、小一時間。彼がゴミの日に拾ってきたという、サザエさんに出てきそうな古風な木製の丸テーブルの上に置かれた七輪の上で、グツグツといい音を立てて、鍋の中の具材が踊っていた。
「もういいよ」
「うん」
私がそう言うと、彼はさっそく、肉に箸を伸ばす。
「んま~い」
卵にからめた肉を口に入れると、彼は幸せそうに、本当に幸せそうにそう言った。そんな幸せそうな彼を見て、私も幸せな気持ちになった。
「よしっ、私も」
私も箸を伸ばす。
「ん?これはうまい」
口に入れた瞬間、何とも言えないうま味の感動が脳天を突き抜ける。なんか、滅茶苦茶うまかった。
「これはもしや」
「うん、きっと七輪だ」
私たちはお互いを見つめ合った。
「炭の遠赤外線効果とかいうやつ?」
「うん、間違いない。そうだよ」
本当に、味が違っていた。本当になんか知らんが、滅茶苦茶うまかった。これは並みのすき焼きではない。
「なんか幸せだね」
「うん、幸せ」
私たちはしばし、夢中ですき焼きをつつき、頬張った。
「しかし、改めて思うけど、この卵に肉をつけて食うっていうのはすごい発明だね」
彼がもぐもぐと口の中に、その肉を頬張りながらうねるように言った。
「う~ん、確かに」
「これは思いつきそうでなかなか思いつかないよ」
「うん」
「これを発見した人は絶対天才だよ」
彼は断言した。
ニャ~
「ん?」
その時だった。なんかどこからともなく猫がやって来て、私の隣りに座った。真っ黒い丸い猫だった。
「クロサワさんだ」
彼が言った。
「クロサワさん?」
「うん、時々どこからともなくやって来るんだ」
「ここ二階だよね」
「うん、クロサワさんは神出鬼没なんだ」
ちなみに彼の部屋の窓には網戸はない。建物があまりに古く、網戸を入れるレールそのものがないのだ。まあ、あっても彼は入れないだろうが。
「お肉食べるかな」
「うん」
私は鍋の中から肉を一片つまんだ。
「あっ、生肉の方がいいんじゃないか」
「そうか」
私は生肉をお皿にとって、私の隣りに座り込むクロサワさんの前に置いた。クロサワさんは、まったく普通の猫なのだが、なんだか妙に貫禄がある。彼がさん付けで呼ぶのも分かるような気がした。そのクロサワさんは、お皿が目の前に置かれると、おもむろに首を伸ばし肉をかじりだした。
「おっ、食べた」
彼が驚いた声を出す。
「いつも僕が何をあげても食べないんだがなぁ。やっぱり、牛肉は食べるのか」
「飼い猫なのかな」
「う~ん、どうだろう」
彼は首を大きくひねる。クロサワさんは首輪はしていない。
「牛肉は食べるなんてところをみると、案外、金持ちの家の飼い猫なのかもしれないな」
私たちのそんな会話を聞いているのかいないのか、クロサワさんは牛肉をおいしそうにむしゃむしゃと顎全体を使って咀嚼していた。
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