第10話
光に照らされて露わになった白煙の細かい粒子が、昼下がりの透き通った空へと昇っていく。
会社の近くの定食屋で昼飯を済ませた後、俺は一服をしながら、その心地良さに感銘を受けていた。
どうして、飯を食った後のタバコはこれほどまでに旨いのだろうか。
どれ程旨いのかというと、おそらく某ギャンブル漫画に登場するキンキンに冷えたビールくらいには旨いと思う。
子供には分からない、まさに大人だけが味わえる悪魔的な旨さ。
ちなみに、残業×コーヒー×タバコの組み合わせも旨さ的には同じくらいの格付けなのだが、これはあまり人には薦められない。
なぜなら、息の匂いがとんでもない事になってしまうからだ。
残業のストレスにより分泌された胃液×コーヒーとタバコのコンビが奏でるドブのような匂いはこの世の物とは思えないような代物で、旨さも臭さも悪魔的になってしまうから、本当に限界に達しそうな時だけ、自分へのご褒美のつもりでやった方がいいと思う。
今のご時世、匂いですらハラスメントになるから注意した方がいい、割とマジで。
「先輩、JKちゃんとは最近どうですか?」
「あ?」
隣でタバコを吸う東が、不意にそんな事を聞いてきた。
折角人が気持ちよく独自のタバコ理論を展開していたというのに、こいつは水を差しやがって……
少し、不機嫌に返事を返す。
けれど、すぐさま東も悪気があって言ったわけではないのだろうと気づき、東の質問に比較的優しい声音で答えた。
「あぁ……もう連絡とってないよ」
「え!?」
簡潔にそう答えると、東はビクッと体を震わせながら驚いた。
「いや、そんなに驚く事でもないだろ」
「いや、驚きますよ。なんですかその急展開」
「急展開でも何でもないわ。友達出来たらしいから、おっさんは用済みになったんだとよ」
「えぇ……」
「ま、飽きたんだろ。思春期特有の気の迷い。子供が考える事を深堀したって何の意味もねぇよ」
「そうですかねぇ……ちぇー、何だつまんない。先輩が新聞に載るの楽しみにしてたのになぁ」
「おい」
東のその発言に、強めのツッコミ(物理)を入れると、東はぐふぅと噴出した後、額に冷や汗を掻きながら、乾いた笑顔を浮かべて言った。
「冗談ですよ……でも、今時の子って結構ドライなんですね。お世話になった人にそんな……あ、でも女の子だったらそんなもんか」
「……いや、まぁ……目上の人間に賞味期限切れの缶コーヒー飲ませるヤツが言う事じゃないけどな」
東が言った「ドライ」という言葉に、ピクリと反応してしまう。
本当は違う。
本当は、無理やり関係性を断ち切ったのは俺の方で、里奈は何かを話そうとして、それを一方的に、それこそ「ドライ」に切り離したのは俺自身だった。
自分の幼稚さや未熟さには薄々気がついていた。
嘘をつかれたのが許せなくて、腹立たしくて、怖くなって、逃げ出したのは自分自身で。
でも、それを東に言っても、打ち明けても仕方ないとそう思って、からかうような言葉で全てを誤魔化した。
「……目上?」
「しばくぞ」
軽口を叩く東に強い言葉を吐きつける。
けれど、口では強く言っても、心の中では安心していた。
意味のない言葉で、いつものくだらないやり取りで、俺の中にある心残りや罪悪感を少しでもうやむやにしてくれと、そう望んでいた。
「じゃあ、やっと肩の荷が下りた感じですか?」
「肩の荷?」
「はい。先輩ずっと心配してたじゃないですか? 逮捕されるんじゃないかって」
「あぁ……まぁな……」
「あれ、何だか微妙な反応。もしかして、寂しくなってたり?」
「……なわけあるか」
「ですよね。まぁ、今度はちゃんと成人した可愛い子見つけましょうよ」
ケロッとした態度で東が言う。
相変わらず切り替えが早い。
一番ドライなのお前じゃん……とそう思いつつ、そういうところだけは俺も見習わなければと感心した。
里奈は何の目的があって俺に近づいたのか。
どうして俺と親しくしようとしたのか。
結局、それらの謎は未解決のままだ。
まぁ、考えたところで分かるはずもない。
関係性を断った今、何を思ったところで後の祭り。
里奈が何を考えて、何を思ったのかは永遠に分からない。
迷宮入りだ。
だから、俺もあまり悩まず考えない事にした。
このクソみたいな気分も、時の流れが必ず癒してくれるはずだ。
だから……だから。
「あれ、そう言えば……」
「何だ」
「禁煙、やめたんですか?」
「……は? 俺、禁煙なんかしてないけど?」
「え、そうなんですか? あれーおかしいなー、先輩、何か最近タバコ吸う量減ってたから、てっきり禁煙でもしてたのかと……何だ、自分の勘違いだったんですね。すいません、失礼しました」
「お、おぅ……」
東の発言によると、最近の俺の喫煙量は、鈍感な東が気づく程に減っていたらしい。
別に禁煙なんてしているつもりはなかったのに、なんでだ?
そう疑問に思って、その原因を突き止めるために記憶を辿ってみる。
すると、ある人物のある言葉が脳裏を過った。
そうして、溜息を吐く。
…………くそ、また思い出しちまった。
× × × × ×
そうして気だるい午後の業務を終え、すっかり暗くなった国道を車で走っていた時だった。
突然、携帯が聞き覚えはあるが聞く機会は少ない電子音を立てて震えた。
もちろん、運転中に携帯に触れるのは違反だし、何より危ないので応答せずに無視する。
けれど、一度切れた後も幾度となくその着信音は鳴り続け、たまらなくなった俺は、道路の左手側に見えたコンビニの駐車場に入り、停車して携帯の画面を確認した。
画面に映る着信履歴の表示には、「チャット+」の文字。
どうやら、アプリ内の誰かが俺に着信を掛けたらしい。
誰かも何も、このアプリを使って俺に着信を掛けてくるような人間は一人しか存在しない。
「何考えてんだあのガキ……」と、思わず愚痴を溢してしまう。
反応せず、そのまま無視を続けてみる。
一旦切れて、また鳴る着信音。
それが数回繰り返されたところで、俺も我慢の限界を迎え、少し強く言ってやろうと、アプリを開いて電話に出た。
「おい、だからもうかけてくんな……」
「里奈を返してください!」
強めの口調で放たれた言葉は宙を舞い、電話口の相手にはまったく響かずに夜の闇の中へと消えていった。
それどころか、相手の言葉に蹴落とされたの俺の方だった。
明らかに怒りが込められた、焦りを感じるような憎悪の言葉。
どうしてそんな言葉を向けられたのか、里奈を返してほしいというのは一体どうゆう事なのか、何もかもが理解できなかった。
ただ一つだけ分かっていたのは、今、俺が電話をしている相手は里奈ではないという事だけだった。
「え、えっと……どちら様ですか?」
疑問を解消するために、俺は電話の相手にそう問いかけた。
「里奈の……里奈の母親です」
「え?」
すると、電話口のその人物は、張り詰めたような声音でそう言った。
耳にした言葉に対する理解が追い付かず、目の前がぐるぐると回るような感覚を覚えた。
どうして里奈の母親が電話を掛けてきたのだろう。
そもそも、里奈の母親が俺達の関係を知っているのはまずい事なんじゃないのか。
俺達の関係性がバレて、里奈の母親が直接制裁を加えに来たのではないのか。
色々な憶測が頭の中に飛び交って、脳内がパンクしそうになった。
不安と緊張で、心臓の鼓動が早くなっていく。
「里奈はそこにいるんですか?」
「いや、いないですけど……えっと、何かあったんですか?」
情報の処理が追い付かず、呆然としている俺に里奈の母親がそう問いかけた。
その問いに簡潔に答え、何があったのかを探ってみる。
「里奈が……里奈が……」
すると、里奈の母親は、途切れ途切れの言葉で、まるで息を吸えなくなったのかと思うくらいに乱れた呼吸で、そう言った。
「いなくなったんです」
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