第8話

「で、どうなんですか」


「どうって、何が」


「JKちゃんすよ、JKちゃん」


「あぁ……」




 東の新規得意先に同行した帰り道、営業車の中で東がそう聞いてきた。


 秘密を打ち解けてから、東はちょくちょく俺と里奈の関係を気にかけてくれるようになった。


 気に掛けるというか、ただ単に面白がっているだけなのかもしれないが……いや、こいつの事だから十中八九面白がっているだけなのだろう。


 東はそういうヤツなのだ。


 俺が苦しむ姿を心の底から楽しんでいる。


 絶対にそうに違いない。


 そう思うと、段々と腹が立ってきた。


 何だこいつ、澄ました顔で運転しやがって。


 事故れ……いやそれはダメだ。


 今事故られたら、俺まで巻き添えだ。



 

「頑張ってるみたいだぞ、友達作るの」


「へぇーすごいじゃないですか。本田さんの協力のおかげだ」


「いや、まぁ……全然役に立ってるとは思えないけどな……」


「そうなんですか? ……いや、そんな事ないですよ。実際、相談できる人がいるのといないのとじゃ大違いですから」


「うーん……そんなもんなのかな?」


「はい、そんなもんです」


「そうか……」




 東のその言葉に、俺は何だかむず痒い感覚を覚えて曖昧な返事をした。


 正直、今の俺が里奈の何になれているのか、何の役に立てているのかは全く分からない。


 具体的に友人を作るアドバイスをした覚えもないし、具体的な問題解決策を提示したわけでもない。


 やっている事と言えば、毎日アプリを介してアイツの話を聞く事と、たまの休みに情報収集と称した遊びに付き合う事だけ。


 そんな事ばかりしているから、そんな事しかできていないから、心配になってしまう。


 このままで本当にいいのだろうかと、根本的な問題解決になるのだろうかと、漠然とした不安を抱いてしまうのだ。


 自分に対しても、そして、里奈に対しても。


 このまま何事も起こらずに、何事も解決しないままズルズルと時間だけが流れていくのではないかと。


 そうして、何かの拍子に俺達二人の関係性が明るみに出て、最悪の事態に発展するんじゃないかと。


 そう思うと、たまらなく不安になる。




 そして、もっと深く暗い部分。


 里奈が時折見せる、この世界の全てに絶望したような表情。


 それが何を意味するのか、何が里奈をそうさせるのかにも踏み込めないでいる。


 本当は知りたかった。


 何がお前を悲しませるのか、何がお前を悩ませるのか、知って、理解して、少しでも役に立つ……かは分からないけれど、それでも助けになってやりたかった。


 純粋に一人の知人として、目の前の子供を救ってあげたかった。


 俺は胸を張って“大人”と言えるような人間ではないかもしれないけど、それでも、後輩や子供の盾となり、守り、助け、導くのが年長者の使命だとそう思っているから。


 だから、俺は里奈に手を差し伸べてあげたかった。


 そこに特別な感情なんて一つも存在しない。


 ただ純粋に、一人の“大人”、いや成人として里奈の事を見捨てる気にはなれなかったのだ。


 それが社会人としての義務だと、そう信じていたから。




 けれど、現状それはできていない。


 何故なら、互いの身分や立場がそれを許さないから。


 これが同年代の男女であれば違っていたのかもしれない。


 年が違くても、男同士だったら違っていたのかもしれない。


 でも、現実はそうではなくて。


 俺はおっさんに片足を突っ込んだ冴えないサラリーマンで、里奈は今をトキメク華の女子校生。


 それは、この世界で最も忌み嫌われ、侮蔑の対象となる組み合わせだった。


 俺と里奈の関係性を、世間は笑って許してはくれない。


 良い年をした男が、未成年の女学生に関わる事を世論は認めてくれない。


 それがどれだけ美しく純粋なものであっても、悪意の混じらない清廉な思いであったとしても。


 理解も信用もしてもらえずに、勝手な正義感や正論で捻じ曲げられたイメージに則って非難されるだけ。


 だから、俺は無意識の内にアイツと、里奈と深く関わる事を避けていた。




 このままじゃダメな事は分かっていた。


 けれど、じゃあどうすればいいのかという具体的な解決策はまったく思い浮かばない。


 何の進展も発展もないまま、今日という日の時間だけが過ぎていく。


 俺はアイツに何をしてあげられるのか、何をしてあげたらいいのか。


 一人の大人として、悩める子供にどうやって向き合ってあげるのが正しいのか。


 その答えを、俺は未だに見つけられずにいた。




「少し遅いですけどお昼にしましょ。たまにはファミレスとかどうですか?」


「おぅ、どこでも」




 東の問いかけに頷き、俺は車のモニターを見た。


 時刻は午後三時。


 昼飯と呼ぶにはやや遅すぎるかもしれないが、仕方がない。


 営業マンがきっちりとした時間に昼飯を食おうだなんてもっての他だ。


 お客様第一。


 お客様は神様。


 お客様の都合に合わせるためなら、深夜や休日にでも出勤し、働き奉仕する。


 それが、営業という職種なのだ。


 それが、営業という仕事の真理なのだ。


 ……うん、やっぱ営業ってクソだわ。




 里奈との待ち合わせに使ったハンバーグの上手いファミレス、その別の店舗に立ち寄り、少し遅めの昼食にありつく。


 飯を待つ間も、飯を食ってる間も、話す事と言えば仕事の話ばかりだ。


 俺も東も、決して真面目な人間ではない。


 けれど、それでもこうしてやれどこどこの得意先の売上がどうだの、やれどこどこの攻略には何々が必要だのと盛り上がれるのは、俺達が一応は、社会通念上では“大人”なのだという事の何よりの証なのだろう。


 いや、ただ単に社畜なだけなのかもしれないが。


 けれど、そんな俺達でも、一見ちゃんとした社会人として振舞う俺達ですらも、本物の“大人”なのかと問われれば、胸を張って頷けるかは甚だ疑問だった。


 俺も東も完璧ではない。


 いや、俺達に限らず、世の良い年齢をした人間の殆どがそうなのだろう。


 時に怒り、時に泣き、時に誰かを傷つける。


 それらはきっと、本物の“大人”の振る舞いではないのだと思う。


 しかし、それなら、何を兼ね備えていれば大人と認められるのだろうか。


 何が人を大人としたらしめるのだろうか。


 そもそも、この世の中に“大人”と呼ぶに相応しい人間など存在するのだろうか。


 正直、分からなかった。




 そんな事も分からない自分に何ができる。


 “大人に頼れ”と言ってあげる事の出来ない人間に何ができる。


 そんな疑念が、頭の中に靄のように立ち込めた。


 迷いのある人間に、迷っている人間を救う事なんて不可能だ。


 二人一緒に迷子になって、あてもなく彷徨い続けるだけ。


 中途半端に関わったところで、お互いに嫌な思いをするだけだ。


 分かっている。


 それだけは知っている。


 でも、それでも……




 俺が何かを考えている雰囲気を察したのか、東はそそくさと食事を済ませてトイレに立った。


 そんな東の気遣いをありがたく思いつつ、俺は食後のコーヒーを啜りながら一息つく。


 ふぅ……と、腹の中にある色々な思いを吐き出す。


 どうしたものかと、珍しく深刻に、頭を使って考えた。


 やはり、里奈に直接話を聞くしか手段はないのだろうか。


 いや、でも、それではまた地雷を踏んで、却って里奈を傷つけてしまう可能性がある。


 そもそも、俺が里奈のパーソナルな部分に踏み込むことは本当に正しい判断なのだろうか。


 分からなかった。


 積極的な案も、消極的な案も、全てが間違えなのでないかと思えてくる。


 経験上、この状態に陥ってしまうともうお終いだ。


 完全に煮詰まってしまったのだ。


 これ以上は、どう足掻いても碌な案は出て来なくなってしまう。


 誰も意見を言わなくなった会議と同じである。


 はぁ、と大きめの溜息をつく。

 

 いつもなら、こういう時は迷わず真っ直ぐにニコチンを摂取しに行くのだが、東が席を立っていたし、里奈との約束もあったので何とか我慢した。


 そうして、カップに残っていたコーヒーを一気に飲み干し、ヤニ不足によって引き起こされたソワソワを収めようとしたその時だった。



 

 ファミレスの入口から、見覚えのある少女が中に入ってくるのが見えた。




 俺が知っている少女なんて一人しかいないに決まっている。


 里奈だ。


 佐藤里奈。


 俺がマッチングアプリを介して出会い、脅され、世話を焼かされている現役女子高生。


 そして、俺を悩ませる原因を作った張本人だ。




 里奈を見た瞬間、マズイと思った。

 

 何故そう思ったのか。


 それは、東というツレがいたからだ。


 東は俺と里奈の関係性を、出会いからつい最近の出来事に至るまで、その全てを網羅し把握している。


 だからこそ、東と里奈を引き合わせたくなかった。

 

 東の性格的に、絶対に面倒臭い事になる。


 徹底的に俺を弄ってくるだろうし、もしかしたら里奈にもちょっかいを掛けるかもしれない。


 そうなったら、里奈はきっと嫌な思いをするだろう。


 だから、俺は里奈が近くにいるという事実を東に知られたくなかったのだ。


 決して東に勘付かれててはいけない。


 そして、里奈に見つかってもいけない。


 絶対に悟られまいと身構えながらも、あくまで自然体を意識した態度を取ろうとする。




 けれど、そんな俺の気遣いはすぐに無意味なものになってしまう。


 何故なら、そんな態度が取れなくなってしまうほど、自分の目に映るその光景が理解できずに、動揺してしまっていたからだ。


 入口から入ってきた里奈の後ろには、里奈と同じ制服を着た二人の女子校生がいた。


 里奈とその二人は和気あいあいと話をしながら、すごく仲の良さそうな雰囲気を醸し出してボックス席へと腰掛ける。


 女子特有の高い笑い声が耳に響く。




 その光景を、彼女らの関係性を一言で表すのであれば、“友達”という言葉が一番しっくりくるのだろう。


 里奈の友達であろう二人の緊張感のない、心を許しているような様子を見るに、おそらく今日昨日で仲良くなった関係性ではないというのは明らかだ。


 長い時間を経て築き上げた里奈に対する信頼のようなものが、里奈に話しかける二人からは感じられた。


 それが何を意味するのかは、考えなくても分かるだろう。


 “友達を作るのを協力してくれ”と泣き付いてきた里奈の隣には、確かに“友達”と呼べる人間が存在していた。


 その事実だけを受け止めて、その事実だけを裏返してしまうと、信じたくはない真実が浮かび上がって来てしまう。


 認めたくはなかったけれど、認めざる負えなかった。


 それは、つまりは。




 里奈は、俺に嘘をついていた。


 里奈は、俺を騙していたのだ。


 


      ×     ×     ×     ×     ×




 正直、意味が分からなかった。


 じゃあ、俺達の今までのやり取りは何だったのか。


 じゃあ、俺が悩み、葛藤していた時間は何だったのか。


 そもそも、何の目的があってそんな嘘をついたのか。


 そんな不満と疑念ばかりが、体の中をグルグルと這いずりまわっていた。




 二席程離れた場所に座っている里奈達のグループの会話が、空いている時間帯のファミレス内の空気を伝って嫌でも耳に入ってくる。


 気持ち悪いと、これは“大人”のする事ではないと自己嫌悪に陥りながらも、俺は里奈達の会話を盗み聞く事をやめられなかった。


 心のどこかで、彼女達は今日知り合って、今日仲良くなったのだという空想を、里奈は嘘なんかついていないという理想を追い求めていた。


 だって、そうじゃなければ、里奈に元から友達がいたのなら、途端に俺は里奈の事を信じられなくなってしまうから。


 里奈が何を考えているのか分からなくなってしまうから。


 だから、俺はそんな理想を追い求めた。


 多分、目の前の光景を信じたくなかったんだと思う。


 けれど、現実はそうではなくて。


 聞こえてくる里奈達の会話の内容は、どれもこれもが俺の理想の形からは遠くかけ離れていた。




「でも、里奈ちゃんは本当しっかりしてるよねー」


「うん、本当そう思う」


「えー? そんな事ないよー?」


「いや、しっかりしてるよ。転校してきた初日からクラスに馴染んでたし、大人っぽいし、何か同世代じゃないみたい!」


「本当、本当。何かお姉ちゃん的存在みたいな?」


「何それ、年寄扱いしないでよー!」




 女子高生特有のきゃぴきゃぴした声の中から、断片的な情報を取得していく。


 数日間では得られないような信頼関係の形が、里奈達の会話の内容から感じ取れた。


 そして、“転校してきた初日から、里奈は周囲に馴染んでいた”というその言葉。


 それが、初めから里奈には友達がいたという事実を裏付けた。


 つまりは、里奈は俺を騙していたという事だ。


 その言葉は、里奈が俺に嘘をついていたという事と同義だ。




 一体何のために?


 どうしてそんな嘘をついてまで俺に近づいた?


 そんな疑問で頭の中が一杯になる。


 分からなった。


 それと同時に怖くなった。


 自分は、そんな信用できない人物のためにリスクを冒してまで奔走していたのかと。


 そう思うと全身がぞっとして、鳥肌が立つくらいだった。




「すいません、お待たせしました……って、なんかあったんすか? 顔色悪いですけど」


「……いや、なんでもない……行こう」




 良いのか悪いのか、丁度区切りの良いタイミングで東がトイレから戻ってきた。


 まぁ、結果的には良かったのだろう。


 このまま色々な可能性を考え続けていたら、脳がパンクしていたと思う。




 一刻も早くここから出ようと、東に声を掛け、逃げ出すように席を立った。


 そうして、出口に早足で向かう瞬間。


 ドリンクバーを取りに来たのか、最悪のタイミングで里奈と対面してしまう。




「えっ……」




 ゆらりゆらりと揺れるスカートを靡かせながら、キョトンとした顔でこちらを見つめる里奈。


 里奈は俺を見つめたまま、何も言わなかった。


 いや、正しくは何も言えなかったんだと思う。


 そりゃそうだろう。


 騙していた人間に真実を知られてしまったのだ。


 相当肝が据わっている人間でもない限り、動揺からは免れられない。




 俺はそのまま何も見なかったように目を逸らし、何にも気づかなかったように里奈の横を通り過ぎた。




「えっ……あっ……」




 背中越しに聞こえる里奈の声にも聞こえていないフリをして、俺は会計を済ませて店を出た。


 すると、先に外に出ていたであろう東が怪訝そうに聞いてくる。




「あれ? いいんですか? あの子、先輩の事めっちゃ見てましたけど……知り合いとかじゃ?」


「……人違いだろ」




 東のその問いに、俺は淡白にそう返した。


 そう、人違い。


 今、俺が見たあの女子校生は、俺が知っている佐藤里奈という存在とはあまりにもかけ離れていた。


 俺は、あんな里奈を知らない。


 同世代の友人ときゃぴきゃぴと盛り上がる里奈も。


 制服を少し崩して着こなす里奈も。


 少しだけ大人びた態度を取るような里奈も。


 いや、はじめから知ってなどいなかったのかもしれない。


 表面的な部分だけを見て、勝手に分かった気になって、勝手に心配して、勝手に一人で盛り上がっていただけなのも知れない。


 バカなおっさんが、若い女に騙され遊ばれていただけなのかもしれない。


 多分、そうなのだろう。




 俺は、何も知らなった。


 里奈の事も、自分の事も。


 そうして、知った。


 自分が、どれだけ愚かだったのかという事を。

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