第5話

「あ、本田先輩、お疲れ様です」


「おぅ、お疲れ」




 あの珍事から二日が経った、週の折り返し地点に差し掛る水曜日の夕暮れ。


 仕事終わりに屋上でタバコを吸っていると、また、可愛げのない後輩が声を掛けてきた。




「今日も残業ですか?」


「いや、今日はもう終わり」


「へぇ……早いですね、珍しい」


「まぁな」




 そう言いながら、東は背広の内ポケットから煙草を取り出して火をつけた。


 その姿が妙に様になっていて、少しだけイラっとする。




「じゃあ、仕事終わりの一服って感じですか? それとも考え事とか」


「あぁ、ちょっとな……」


「……まぁ、色々あるっすよね……あっ、コーヒー飲みます? 丁度二本あるんで」


「……いいのか?」


「いいですよ」


「悪いな」




 俺がそう言うと、東は「ほい!」と缶コーヒーを放り投げた。


 ……いや、手渡せよ。

 

 先輩に物投げつけるって……舐めてんのかこいつ。


 一瞬ブチ切れそうになるが、缶コーヒーを貰っておいて小言を言うのも忍びないので、怒りを深く飲み込み、黙ってそれをキャッチする。




「そういえば、どうでした?」


「……どうでしたって?」


「アプリですよ、アプリ。いい出会いは見つけられましたか?」


「ブッーーー!」



 プルタブを空け、コーヒーを丁度口に含んだタイミングでそう聞かれたので、俺は思わず吹き出してしまう。




「えぇ……何ですか突然……」


「いや……」




 怪訝な表情をして、若干引き気味にこちらを見つめる東。


 急いで口周りを拭って何でもないと手を突き出すも、頭の中はそれに関する事で一杯になっていた。


 それとは、そう、アプリ。


 いや、アプリを通して出会った女子校生の事である。




 【佐藤里紗】。




 俺が勝手に成人だと勘違いし、いや、成人だと思い込まされていた未成年の女の子。


 何の因果か、未だに彼女とのメッセージのやり取りは続いてる。

 

 いや、正しく言えば続けさせられているだ。


 “友達ができるまで協力する”


 そんな薄っぺらい口約束を守るために、俺はいつお縄につくかも分からない恐怖に怯えながら日々の生活を送っていた。


 彼女に何の目的があるのかは分からない。


 本当に、ただ純粋に友達を作るために、大人の俺に相談役としての役割を期待しているのかもしれない。


 けれど、真意は不確かだ。


 どちらにせよ、今の俺にあるのは逮捕されるかもしれないという可能性と、その裁量を握るアイツに黙って従うしかないという事実だけ。


 自分ではどうする事もできない。

 

 時の流れに身を任せる事しかできない。


 ある種の自然災害のような厄災に、俺は巻き込まれてしまったのだ。


 「地震、雷、火事、親父」と、昔の人は恐ろしいものの筆頭にそれらの四つを挙げたと言う。


 けれど、男女平等が謳われ、家父長制が廃れた現代では、親父の恐ろしさなど皆無に等しくなってしまった。


 そこで、俺は恐怖四天王の新たな一角に「JK」を推薦する。


 (法的に)最強の攻撃力と守備力を兼ね備え、触れるもの全てを(法的に)傷つける彼女らの存在はまさに災害そのもの。


 自然の驚異と肩を並べる程、この法治国家での彼女らの存在は強大で時に凶暴だった。


 あれ……そう考えると益々ヤバいな俺。


 え? これもう終わりじゃね? 


 人生、終了じゃね?




「……何かあったんなら、相談くらい乗りますよ?」




 自分の最後を悟りかけた瞬間。


 不意に、東がそんな言葉を投げかけてきた。


 東によく投げかけられる日だなと、そう思った。


 コーヒーも、優しい言葉も。


 少しだけ、心の中の焦りが軽くなったような気がした。




 しかし、俺は首を縦には振らなかった。


 躊躇ってしまったのだ、東の気遣いに対して。


 犯罪行為の暴露なんて、よっぽど信頼できる人間じゃない限り100%話が拗れるに決まっている。


 ましてや、相談相手はあの東だ。

 

 優しい言葉を掛けてもらっておいてあれだが、東は信頼に足る人物かと問われれば、そうだと言い切る自信は俺にはなかった。


 けれど、こいつとの付き合いが長いというのも確かだ。


 こいつが入社してから、いつも近くで苦楽を共にしてきた。


 会社の中で、一番仲のいい同僚と言っても過言ではない。


 意外と、困った時には親身になってくれたりもする。


 だから、だから俺は迷っていた。


 これは博打だ。


 信じて裏切られれるか。


 疑って自滅するか。


 自白して通報されるか。


 万が一の可能性にかけて、打開策を授けてくれるかもしれない協力者を得るか。


 俺は……俺は。




「実は……」




 悩んだ末に、俺は東に今までに起こった事の顛末の全てを打ち明けた。


 つまり、東を信用したのだ。




「えぇ!? 大学生だと思って会った子が実は女子校生で、それをネタに脅されてる!? は……犯罪じゃないですか!? 善良な一般市民として警察に通報しなきゃ!」


「バ、バカ! 声がでけぇよ! あと待って! 通報は待って! 頼むから!」


「す、すいません……って、先輩が悪いんじゃないですか!」




 俺の信用とは裏腹に、東はドン引きしながら後ずさりした。


 期待は裏切られ、俺は失意の中に葬られる。


 いや、うん……そうだけど、俺が悪いんだけど、分かってるけど……とりあえず、今後こいつが困った時は絶対に助けてやらない。




「先輩、人生に刺激を求めるのもいいとは言いましたけど、流石にそれはハッスルしすぎだと思います。傷つくどころか致命傷じゃないですか、死ぬ間際じゃないですか」


「好きでやったわけじゃねぇよ……」


「それで、何て脅されてるんですか? やっぱりお金とか?」


「いや、それが……」




 東に詰められ、不貞腐れたように質問に答える。


「金」、そんなもので解決できるのならとっくに解決して解放されている。

 

 実態のないものを要求されているから、こちらも困り果てているのだ。




「友達作りに協力してほしい?」




 俺がそう答えると、東は豆鉄砲を食らったような顔をした。


 しかし、その数秒後。


 東は口に手を添えて、クスクスと笑い声を漏らしたのだ。


 こ、こいつ、楽しんでやがる……


 ビキビキと、額に血管が浮かび上がるのが自分でも分かった。




「笑い事じゃねぇんだぞ……」


「いや、すいません……何か、可愛くて……いいじゃないですか、協力してあげたら。大人として、正しい道を示してあげてくださいよ」


「いやでも、そうは言ってもなぁ……」


「変な事しなければ大丈夫ですよ。あと、密室に連れ込んだり、車に乗せるのもダメですね。罪が重くなります」


「何でちょっと詳しいんだよ……」


「てへ」




 一転して、佐藤さんとの関係を肯定し始める東。


 NG事項を詳しく語ってきたあたり、東も今の俺に似たような地獄を味わった経験があるのだろう。


 ……えぇ!? この人犯罪者じゃないですか気持ち悪い!


 憶測だけで、俺は思わずドン引きしてしまう。


 けれど、その気持ちを言葉にする事はなかった。


 東を気遣った……わけではない。


 シンプルに、今の自分がその立場にあったからだ。


 いや、年を取っている分俺の方が何倍も質が悪い。




 おそらく、今感じているこの不快感こそが、佐藤さんとの関係が世にバレてしまった時に俺に向けられる民衆の感情なのだろう。


 それが本当なら、相当にマズイ。


 早く、何とかしないと……




「まぁ、何とかなりますよ。若さに触れて、生きる喜びを思い出したらいいじゃないですか。大丈夫です、先輩が捕まったらちゃんとインタビューには答えてあげますから。「いつかやると思ってました」って」


「冗談じゃねぇ……」




 そう茶化してくる東に、俺は少しだけキレ気味に言葉を返した。


 すると、東はまたニヤニヤと笑いながら




「また定期報告聞かせてくださいね。それじゃ、お先です」




 そう言って、屋上から引き上げようとする。


 そんな東を、俺は引き留めた。




「あ、待て。金、コーヒーの」


「あぁ、大丈夫ですよ。それ、お客さんに貰ったものなので……賞味期限切れたの」


「……は? ……うぇ! ぺっ! ぺっ!」


「あはは」



 

 東のその一言に俺は度肝を抜かれ、腹の中に入った腐った黒い液体を無理やり吐き出そうとする。


 こいつ……本当に先輩の事なんだと思ってんだ?


 それに、律儀にコーヒーの代金を払おうとしたのに、こんな仕打ちはあんまりだと思う。






「お前、マジでふざけんなよ……てか、お前も良く飲めたな……」


「僕のは自販機で買いました」


「……は?」


「だから、僕のは自販機で買いました」



 

 東のその言葉に、俺は耳を疑った。


 どうしても信じられなくて、もう一度聞き返してみる。


 けれど、俺の聞き間違いではなかったみたいで、東は飄々と同じ言葉を繰り返した。


 そんな東に、俺は殺意を抱く。




「……お前、いつか必ず〆てやる」


「えぇ!?」




 屋上に、東の間抜けな声が響いた。

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