第4話 女の影と職場の仲間たち(前編)
ピピッ! ピピッ! ピピッ!
「う、う~ん……」
布団から手を伸ばし手探りでスマホのアラームを止める。
「そろそろ起きるか……」
現在時刻AM8:00。
毎朝5:00に起床する訳では無く、遅番の日もあり今日は午後からの出勤なのでゆっくり眠る事ができた。
もっと寝ていればいいとは思うのだが、貧乏性なのか時間が勿体なくてのんびりと寝ていられないのだ。
料理スキルはゼロなのでトーストとコーヒーのみの簡素な朝食を摂り、シャワーを浴びる。
特に趣味の無い俺は出勤時間まで洗濯をしたり小説を読んだり映画やアニメを観たりして時間を過ごす。
「さて、そろそろ行くか。今日のお昼は何食うかな……ま、駅前で決めればいいか」
自炊くらい出来るようにならないとな、そんな事を考えながら駅に向かう。
◇
「あ、鬼島さんおはようございます!」
「吉井さんおはようございます。今日は最後まで?」
従業員通用口から館内に入ろうとしたタイミングで声を掛けてきた女性は、大学生でアルバイトの
「はい、鬼島さんも最後までですか?」
「ああ、もちろん最後までだよ……って、な、何かな? 俺の顔に何か付いてる?」
吉井さんがジーッと俺の顔を覗き込み何やら考え込んでいる。
「なんか……凄くスッキリした顔してますね。この前まで目の下にクマ作って悲壮感が漂ってました」
「そ、そんなに酷い顔してた?」
そういえば夏菜にも川に飛び込むんじゃ無いかと心配されてたな。
「十歳くらい老けて見えるくらいやつれた感じでしたけど、今日は若く見えます」
「そういえば……昨日の夜も似たような事を若い子に言われたよ。女性はよく見てるね」
「若い女性……しかも夜? 彼女さんですか?」
更衣室に向かって歩きながら吉井さんが何やらジト目を向けてくる。
「いやいや、違うから。ってほら早く着替えないと遅刻するよ」
色々と聞かれると面倒なので逃げるように男性更衣室へと駆け込んだ。
「あ、ちょっと! 後でゆっくり聞かせてもらいますからね!」
口は災いの元というけれど発言には気を付けないとな。夏菜の事は説明しづらいから適当に誤魔化そうと思う。
それにしても、女性というのはよく観察しているんだなと感心する。俺も
俺の職場は公共のスポーツ施設で地方自治体から指定管理者として施設の運営、管理を請け負っている会社に所属しているサラリーマンだ。
「鬼島くんおはよう」
「所長、おはようございます」
着替えを済ませ事務所に入り一人の女性と挨拶を交わす。所長の
自分の一つ年上の先輩で仕事がデキる上に美人と才色兼備な女性だ。スタイル抜群の豊満なバストの持ち主で大人の色気を醸し出している。
このスポーツ施設の館長は俺で高山所長は近隣の他の施設を含む統括責任者になり自分の上司にあたる。
「さっき更衣室で吉井さんに会ったんだけど、鬼島くんに女の影がどうとか言ってたわよ。いったい何の事なのかしら?」
所長に知られると面倒臭いんだよな……ネタにされて弄られてる俺の姿が想像できる。
「出勤した時に通用口でスッキリしたお顔してますね、って吉井さんに言われたんですよ。それで昨晩も同じような事を若い女の子にも言われた、的な事を話したら曲解されて所長に伝わってる訳です」
わざわざ所長にまで話していたとは思わなかった。
「そうねぇ、それは女の影と言わざるを得ないわね……貴方が女性の話するなんて嵐の前触れかしら」
本気で言ってるのか、はたまた冗談なのか分からないがそれだけ珍しい事だと言いたいのは分かった。
「所長まで……確かに女っ気が無いのは認めますが、知人の女性に会った時に言われただけですよ」
自分で女っ気無いと言い切ってしまうのは悲しいが事実だから仕方がない。
「とにかく今は勤務中だから休憩時間にでも聞かせてもらうわよ」
みなさん何でそんなに興味津々なんですか? 俺は頭の中にクエスチョンマークを浮かべ苦笑した。
◇
「鬼島館長、内線です」
「分かった、こっちに回して」
「――はい鬼島です。はい、はい、はぁ……そうですか……分かりました。今から行きます」
「鬼島くん、何かトラブル?」
内線で話していた時に何か面倒ごとが起こったと自分の表情から高山所長は察したのかもしれない。
「プールで客からクレームだそうです。責任者を出せと言ってるようなので、ちょっと行ってきます」
「またなの? 最近、プールだけじゃなく他のセクションでもクレームが多いわね。大変だろうけど上手く収めてきて」
この施設の責任者である自分が呼ばれるという事は、他のスタッフでは解決できなかったトラブルの時だ。つまり面倒な客だという事でもある。
自分が対応したとしてもクレーム客から一方的な罵声や批判を浴びせられ、納得させるのに長時間を要する事が多い。
いや……実際には納得はしない方が多い。謝りながらただ罵倒される時間を自分は過ごすだけだ。
「はい……早く戻れることを祈っていてください」
これから起こるであろうクレーム客とのやりとりを考えると現場に向かう足取りはとても重かった。
「吉井さん、お待たせ。で、今回はどんな状況でのトラブル?」
現場に到着すると温水プール担当のアルバイト、吉井さんが水着の上にスタッフTシャツを着てプールの監視室で待っていた。
「鬼島さん、お疲れさまです。えーと……前を泳いでいる遅いお客さんを無理に追い越そうとした男性客がいたので、その事を私が注意したのが発端です」
泳ぎが遅い人で前が詰まるとその人を追い越しをする人がいる。追い越しは禁止では無いが危険な追い越しをする人がいるので追い越しにもルールがある。
吉井さんは、その説明をする為に声を掛けたら俺は安全に追い越しをしているとキレ始めたらしい。
「ああ、なるほど……最近多いトラブルだな。で、その客はどこ?」
「はい、あそこで別のスタッフが対応してます」
プールサイドの端の方で別の男性アルバイトのスタッフが対応していた。プールには社員のスタッフもいるが生憎今は不在だった。
クレーム客は……五十代くらいの中年男性か……うちの施設で一番トラブルを起こしたりクレームを入れてくる年代だ。
「じゃあ、吉井さん一緒に行こうか」
僕は当事者の吉井さんを連れてクレーム客の元へと向かった。
「お客様、お待たせ致しました。当施設の責任者の鬼島がお話を聞かせて頂きます」
クレーム客の対応をしていたアルバイト男性を元の業務に戻らせクレーム客の言い分を聞く事にする。
「な、なんだ、その傷は⁉︎ ヤクザ者でも使って俺を脅そうってつもりか⁉︎」
案の定、俺の顔の傷を見て驚くクレーム客。
「し、失礼な! 鬼島さんはそんな人じゃありません!」
「吉井さん、いいから」
吉井さんがフォローを入れてくれて嬉しいがここは黙っていて貰おう。
「な、なんだこのスタッフは! さっきも俺が悪いと言わんばかりの態度でスタッフの教育はどうなっているんだ!」
吉井さんを指差し、大声で喚くクレーム客。
吉井さんは大人の男性に大声で威嚇されて怖がっているように見えた。
「お客様、他の客様のご迷惑になりますのでお静かにお願いします。この傷は事故でできたもので私はヤクザものではありません。不快に思われたことは謝罪いたしますがお話を続けさせて頂きます」
大声を出し吉井さんまで怖がらせる態度に内心ムッとした俺は少し睨みを効かせながら話を続けた。
その客は吉井さんにクレームを入れていた時の最初の勢いは無くなったようで、俺が来てからは言いたい事だけ一方的に文句を言って帰っていった。
結局、大して話し合いにはならず納得して帰っていったわけではなかった。
最初、俺の傷を見て少しビビっていたので、睨みを効かせたらクレーム客のトーンが低くなったようだ。
こういう時はこの傷は役に立つなと思う。
「吉井さん、大丈夫? ああいう客の言った事は気にしなくていいから」
クレームの対応をすると心身ともに激しく消耗する。だから気にしないように伝えた。
「結局何も解決しなかったけどあの客は帰っていったし業務に戻っていいよ。報告書を作成するから、あとで事の詳細を書いておいてね」
「はい、分かりました……」
吉井さんもクレーム客の悪意に晒されて落ち込んでいるようだ。後でちゃんと話してケアする必要がありそうだ。
ま、俺もクレーム対応すると結構ストレスになるから本当は相手をしたく無いんだけどね。
――今日、夏菜に会えないかな?
俺は事務所に戻りながら癒しの天使、夏菜の姿を思い浮かべた。
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