第3話 君が流す涙の訳は

「そういえば夏菜は何が好きかな?」


 俺は退勤後、ベンチに向かう途中の自販機の前で会えるかも分からない夏菜への差し入れのドリンク選びで悩んでいた。


「何本か買っとくか……」


 女の子が好みそうなドリンクを何本か適当に見繕みつくろい購入し橋へと向かった。




 いつものようにベンチに座り、缶コーヒーのプルタブを開けるとコーヒーの香りが漂ってくる。この香りも癒し効果がありホッとする瞬間だ。


「おにーさん、こんばんわ」


 振り向くと初めて会った時と同じ笑顔で制服姿の夏菜が立っていた。


「夏菜、こんばんは」


「もう私が声を掛けてもおにーさんは驚かないね。もっと驚いて欲しかったのに慣れちゃったかな? ビクッとして挙動不審なおにーさんが面白かったんだけどな」


 つまらないなぁと、はにかむ夏菜の表情はいたずらっ子のそれだった。


「まあ、警戒してるんだから仕方がないよ。制服着た女子高生が夜に三十路の男と一緒にいたら、それだけで案件になりかねないからね。周囲の目には敏感になるさ」


「それは援交や淫行を疑われたりとか?」


 この薄暗い橋の上のベンチで不穏なワードを連発する制服姿の夏菜に冷や汗が止まらない。


「そ、そういう単語をあまり大きい声で話すと周りに聞こえちゃうから……」


 俺は口に人差し指を当て、もう少し小さい声で喋ってと夏菜にアピールする。違法行為をしている訳では無いのに後ろめたい気持ちになる。


「おにーさん、そこは大丈夫です。私は高校二年生だけど、もう十八歳だから職質されてもおにーさんと恋人同士って答えればおっけーです」


 夏菜はドヤ顔で胸を張りそう言いながら俺の隣に腰掛けた。


「い、いや……そもそも高校生ってのがダメな気がするんだけど……どうなんだろう? あ、飲み物買ってきたけどどれが良い?」


 恋人同士とか夏菜に言われた俺は色々と想像してしまい、その恥ずかしさを誤魔化そうと、先ほど自販機で購入したドリンクをバックから取り出しベンチに並べた。


「えーと……ミルクティを貰うね。おにーさんごちそうさま」


 パキッと缶の蓋を開け一口ミルクティーを飲み、ホッとひと息吐いた夏菜は訥々とつとつと語り始めた。


「私ね、三年前の中三の時に両親が離婚したショックもあったのかな……高校受験失敗しちゃったんだ。母親に引き取られて一年間浪人して昼間働きながら夜間定時制の学校に通ってるの。それで今は二年生なんだ」


「いつも制服なのはそういう事か」


「うん、ちなみに服装は自由だからこれはなんちゃって制服です」


「あ、そうなんだ。服装が自由なのにわざわざ制服で行ってるの?」


「だってJKやりたいじゃないですか。それに制服の方がおにーさんも嬉しいでしょ?」


 制服は嫌いじゃない、いや……むしろ好きだ。だがそれを言ってしまうと夏菜に付け入る隙を与えてしまう。イジられるネタを提供してしまうので黙っていよう。


「それで学校が終わって帰ってくると今の時間というわけだ」


「む、制服の話スルーしましたね。無言は肯定と言いますし、まあいいでしょう」


 どちらに転んでも制服は好きという事になってしまうようだ。


「で、授業が九時半に終わるから、真っ直ぐ帰ってくるとおにーさんがベンチで黄昏たそがれてる時間なんだよ」


 黄昏てるって思われてたんだ……いや実際そうだけどさ。


「そっか……昼間仕事して学校行って夏菜も疲れてるのに、俺の話相手までしてくれてるんだ。なんか迷惑掛けちゃったかな」


 自分も疲れてるだろうに、黄昏てるサラリーマンを見て声を掛けようなんて夏菜は女神様のようだな。


「おにーさん見掛ける度に元気が無くなっていって、そのうち川に飛び込んじゃうんじゃないかって心配になっちゃって」


「そ、そんなに酷かった?」


「うん、見ていていたたまれない気持ちになった。お仕事が大変なの? それとも……こ、恋の悩み……とか?」


 お年頃なのか恋愛に結び付けてしまうみたいだ。女子は恋愛話が好きなんだなとつくづく感じる。


「い、いや恋人なんてもう何年も前からいないし……仕事で疲れてるだけだよ」


「そっか、彼女いないんだ……ふへへ」


 あれ? 今、ちょっと笑われた? あーやっぱりね、とか思われてるんだろうか……。


「でもさ……何年もって事は前は恋人いたんだよね? ねえ、いつ頃の話?」


 夏菜は食い付き気味に質問をしてくる。やっぱりお年頃のJKって事なのかな。


「四年前くらいかな。その頃に付き合っていた人と別れたのが最後だよ」


 自分の女性遍歴をJKに語るのはかなり恥ずかしいんですけど。


「四年前……あのさ……もしかして別れた原因はその傷と関係ある? あ、えと……話したくなかったら無理に話さなくてもいいからね」


 鋭いな……直接関係あるかは俺には分からないけど、事故での入院を境に二人の溝は深くなっていった気がする。


「……関係無いとは言えないかもしれない。入院中にリハビリが始まって身体が思うように上手く動けなくて、ストレス溜めてイライラして彼女に冷たくしてしまったのが原因だろうな。いつしか彼女は病院に来なくなったんだ……本当に彼女には申し訳ない事をしてしまった」


 当時より薄れてきたとはいえ、今でも思い出すと胸が苦しくなる。俺は過去の話を語りながら胸の辺りの洋服を無意識に強く握り締めていた。

 俯き気味だった顔を上げ静かに聞いていた夏菜に目を向けた俺は、彼女のその姿に驚きを隠せなかった。


「ごめんなさい……辛い思いをさせてしまってごめんなさい……」


 涙を流しひたすら謝っていたのだ。


「な、夏菜……べ、別に君が悪い訳じゃないから……」


 夏菜の突然の涙にどうして良いか分からない俺は、とりあえずカバンからハンカチを取り出し彼女に渡す。


「これ、使ってない綺麗なハンカチだから」


「ん……ありがとう……」


 差し出したハンカチを受け取りながら、私の余計な好奇心からおにーさんに辛い過去の事を思い出させてしまった、と夏菜は涙を流した。

 まだ知り合ってから数回しか会った事のない相手にここまで感情移入できるものなのだろうか?


 夏菜自身も家庭の事情で大変だというのに、赤の他人である俺の事にまで気遣い、涙まで流している彼女の姿に胸を打たれた。胸の奥からジーンと暖かい何かが溢れてくるように感じる。


 それから俺たち二人に会話は無かったが心地良い時間が流れた。ベンチから望む夜景はキレイだった。涙に濡れる夏菜もまた不謹慎かもしれないけどそれに負けず綺麗だと思った。

 二、三分という短い時間だっただろうか、俺は夏菜が泣き止むまで彼女の頭を撫で続けた。


「……おにーさん、ありがとう。もう大丈夫……みっとも無いところ見せちゃったね」


 落ち着いたのか夏菜は顔を上げた。目は赤く充血し顔は紅潮している彼女を見ていると愛しさが込み上げてくる。抱き締めたくなる衝動を抑え、俺は彼女の頭から手を離した。


「落ち着いた? もう遅いからそろそろ帰ろう。家の近くまで送って行こうか?」


 流石にこの状態の彼女を一人で帰らせるのは心配だ。


「ううん、一人で大丈夫。家はすぐ近くだから……」


「そう……気を付けて帰るんだよ」


 一人で帰れると言われ少し残念な気持ちになる。夏菜が心配だから送って行くとは言ったものの、本当は彼女ともう少し過ごしたかったのが本音だった。でも俺は年上のいい大人なんだから我慢しなければ、そう自分に言い聞かせる。


「あ、そうだ! 今度は私服で来ようか? それなら周りを気にせずお話しできるでしょ?」


 夏菜の唐突な提案。俺は催促するのもどうかと思い返答に詰まった。かろうじて捻り出した答えは実につまらないものだった。


「俺はどっちでもいいよ」


「もう、にーさんはダメだなあ。こういう時は私服が見たいですって言えば相手は喜ぶんだからね」


 夏菜にダメ出しをされてしまう。こういう女性の心の機微を察するのは苦手とするところだった。


「じゃあ……夏菜の私服が見たいです」


「んー……私が言わせたみたいで納得いかないけど良しとしましょう。じゃあ次回は期待しててね! それじゃ帰ります!」


 夏菜は元気よく立ち上がり敬礼をする。

 ケガの話になった時しんみりとしてしまったが、今は夏菜も元気になったみたいで安心だ。


「おにーさん、またね!」


「ああ、またな。気を付けて帰れよ」


 夏菜は駅と反対方向に元気良く走っていった。


 ――なんか後半はすごく楽しそうだったな。


 元気な夏菜を見ていると自分も元気になってくる。活力が湧いてきて明日も頑張れるような気がする。


 またね、不確定な約束だけどきっとまた会えるだろう。そう思うと駅に向かう足取りがとても軽かった。

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